神経質礼賛 1378.道
昨日の読売新聞日曜版1・2面の「名言巡礼」は松下幸之助(1894-1989)の創業の地・大阪市福島区大開町にある記念碑に刻まれた「道」という詩に関する記事だった。
自分には
自分に与えられた道がある
広い時もある
せまい時もある
のぼりもあればくだりもある
思案にあまる時もあろう
しかし 心を定め
希望をもって歩むならば
必ず道はひらけてくる
深い喜びも
そこから生まれてくる
松下 幸之助
経営の神様と呼ばれた松下幸之助が実は神経質人間だったことは以前に書いた通りである(211話・拙著p.240-243)。この詩を作った1967年にはすでに松下電器産業(現・パナソニック)は日本を代表する大企業になっていたが、起業した時は妻と義弟(のちに三洋電機を創業)の3人で始めた借家内の小さな作業場に過ぎなかった。当初開発した商品はまるで売れず苦難の連続だった。ようやく事業が軌道に乗り始め、1918年に大開の地に松下電気器具製作所を創業。以後は次々とヒット商品を世に送り出していった。この大開の地には強い思い入れがあり、本籍を移さなかったそうである。松下幸之助は自ら成功した理由を「学歴がなかった」「貧しかった」「病弱だった」としている。神経質の人一倍強い「生の欲望」に沿って行動し続けてマイナスをプラスに転化してきたのだと思われる。そして、強い反省心が大きな失敗を予防していたのだろう。この点はメンタルヘルス岡本記念財団初代理事長の岡本常男さん(37・268・871話)とも共通する。また、「企業は社会の公器」という理念を貫き、PHP研究所を創設した。最近の日本では社会の公器であることを忘れて安直な金儲けに走った挙句に崩壊して社員たちを路頭に迷わせる一流企業が目立つ。
広い道・狭い道・上り道・下り道、人生にはいろいろある。時には道を見失ってしまうこともある。それでも歩いているうちに必ず道は開ける。私たちを元気づけてくれる詩だと思う。岡本常男さんも著書『私は森田療法に救われた』の中で「どんなときにもところにも 道はあるもの」と書かれている。窮地に立たされて足がすくんでしまった時にはこの言葉を思い出して一歩前へ進みたい。
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