神経質礼賛 1388.八十八を過ごしての後
三島森田病院には森田正馬先生の色紙が60枚余り保管されている。その中にちょっと変わった文面のものがある。
七十才の男 冥途にも行かでかなはぬ事なれば
八十八を過ごしての後
八十歳の男 冥途より若しも使が来るならば
九十九までは留守と答へよ
九十歳男 留守ならば又も使が来るべし
いっそいやぢゃといひきってやれ
大原健士郎先生は御著書『日々是好日』の中でこの色紙について書かれている(p.42-45)。小林一茶の作品に似たようなものがあり、寿司屋の茶碗にも同じような歌が書かれていて、森田先生もどこかから仕入れてきたものと思う、と書いておられる。
ネット上でいろいろ調べてみたが、オリジナルは不明である。『森田正馬評伝』によれば森田先生は長い旅の際には一茶の句集を持ち歩いたという。小林一茶の俳句データベースで「八十八」をキーワードに検索してみると、2万2千句あまりの中から「大霜や八十八夜とくに過ぎ」「山桜さくや八十八所」「接待やけふも八十八ところ」の3句が表示され、いずれも年齢の八十八とは無関連である。ちなみに「九十九」で検索すると「砂原やあつさにぬかる九十九里」の1句が表示された。狂歌のデータベースはないのでわからないが、もし一茶の作であれば似たようなテーマの俳句があってもよさそうである。
ともあれ、大原先生の書かれたように、この色紙は森田先生のあくなき「生の欲望」を示したものであることは確かである。森田先生は肺結核の持病があり晩年は喘息症状や発熱に悩まされた。それでも決して諦めず、生き尽された。
森田先生のお弟子さんの高良武久先生にせよ鈴木知準先生にせよ百歳近くまでお元気で仕事をしておられたことでわかるように、自分の健康に気を配って養生する神経質人間は概して長生きだと思う。当ブログで何度か取り上げた神経質人間の徳川家康も自ら薬を調合して服用していた「健康オタク」であり当時としてはかなりの長命である。
それにひきかえ弱気な私はどうも生の欲望が少々乏しい。突発的な事故や大病に遭わなければ、あと2、3年は何とかなるだろうけれどその先は自信がない。仮に七十歳まで生きたとして、八十八過ぎまで、とは考えないだろう。とりあえずあと1年と思いながら毎日を生きて行こうとするだろう。それでも今を精一杯やっていればいいのだ、と開き直る。
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手ぬぐいとか湯呑みに書いて有りそうでわたくしもどこかで見たことがございます。ちょっと検索しましたら、貴礼賛でも「神経質礼賛 90.仙厓と森田正馬先生」等でおなじみの仙厓さんが出てきました。この方は絵も描いて狂歌も作り面白い人だったんですね。
四分先生が締めでお書きの「とりあえずあと1年と思いながら毎日を生きて行こうとするだろう。それでも今を精一杯やっていればいいのだ、と開き直る」。この味わいが今はしみじみと分かるようになりました
投稿: たらふく | 2017年5月22日 (月) 23時36分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。
湯呑などで見たことは私はありません。もし、どこかにありましたらお教えください。
四書五経、孔子、著名な禅僧やニーチェの言葉まで引用して色紙を書いておられた森田先生ですが、このようなちょっとした戯れ歌もネタにして患者さんの教育にあたられていたのは実に面白いですね。これを書きながらニヤリと笑う森田先生のお顔が思い浮かびます。
投稿: 四分休符 | 2017年5月23日 (火) 18時06分