神経質礼賛 1410.心は流転する
日常生活をしていく中であれこれ雑念が湧く。時にはそこに留まってしまうことがある。大事なことを忘れていやしないか、と気になって確認したくなることもある。嫌な気分や怒りの感情がくすぶって頭の中でそれを反芻して長引いてしまうこともある。体の不調が気になることもある。先のことがあれこれ心配になることもある。幸いにして、次々とやらなければならないことが発生するので、行動しているうちに雑念や確認願望や怒りや種々の心配・不安はいつしか消えている。浮かんでは消えていく空の雲のようなものである。雲を相手にして一喜一憂しても仕方がない。放っておけば、時間が経てば、自然に消えていくものだ。
森田正馬先生は、「つまらないことに疑問が起こり気にする」という29歳男性会社員からの手紙に次のように返信しておられる。
貴方の疑惑症と称するものは、之を治すのに、実際には、日常生活に於て、其疑惑の・様々に起伏出没するまゝに、之を其儘に、自由に放任しながら、急ぐ仕事は急いで、ひまの時には、ゆつくりと、其業務を怠らぬやうに、勤めて行かなければなりません。之が唯一の療法であつて、之より外に、決して治る事は出来ません。
之は小生の療法で、神経質の頭痛持ちは、其頭痛のするまゝに、決して之を治す工夫をせず、常人と同様に、仕事をすればよろしく、又不眠の人は成るたけ、寝床につく時間を減少して、人一倍働くやうに・しなければならぬと同様です。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.484)
其強く心に、次第に推し進めて行く心理は、即ち、強迫観念の性質であつて、こんな想像や・考へを起すのは、余計なムダ事で、徒に仕事の能率を悪くするから、こんな考へを起さないやうにしやうと、我と心に反抗するから、益々其心が明瞭になり・強くなり・苦痛を伴うやうになります。若し、之を其のまゝに、思ひ流して行けば、決してそれが苦痛とはならず、絶へず流れ去って、濁った泥水も、水流が適度に早ければ、其水が早く澄むやうに、心の邪魔もなくなるのであります。尚ほこんな事を思ひすてるために、最後の決心として、便利な考へ方は、「世の中は、諸行無常で・定まりはない」「得べかりし金剛石を失ふのも、一朝に我家の焼け失せるのも、何とも、成り行きで仕方がない」「何不足、人は裸体で生まれたに」という風に思ひきる事です。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.486)
いろいろなことが気にはなっても、それはそのままにして行動していくうちに、自然に薄れていく。心は流転していくのである。
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