神経質礼賛 1417.店員さんの声かけ
16日の読売新聞に、声かけ自粛「話しかけない」接客サービス広がる、という記事があった。衣料品店や美容院やタクシーで話しかけない接客が増えているという。あるアンケート調査によると、服を買う時、そっとしておいてほしい、という回答が8割を超えていたそうである。衣料品店では声をかけられると「買わなければならない」というプレッシャーを感じて嫌だという意見がある。それに、最近は常時スマホを見ている人が増えているから、美容院やタクシーでもスマホの世界に籠っていたいという情勢なのだろう。
私も、元来が対人恐怖であるから、衣料品店や靴屋や家電量販店で店員さんが近くに寄ってきて声をかけられるとうるさく感じる。他の売場へ一時避難し、買おうかどうしようか迷っている品があれば、後でもう一度戻って手に取って見る、といった具合である。しかし、客が多い時に、他のサイズはないか、同じ型の色違いはないか、などと聞きたい時に店員さんを捕まえようとしても捕まらないこともある。だから、絶対に買おうと思っている時には客が少ない時間帯を選び、ただ見るだけなら休日の昼などの混んだ時間帯を選ぶようにしている。
逆に、店員さんの立場だったらどうしたらよいのだろうか。強迫観念に悩む店員さんに森田先生は次のように指導しておられる。これなど、現代にも通じるものである。
只現在の君は「向上の道」とか「満身の力」とか「修養」とかの空言は、しばらく後まはしにして、総て自分の心構への仕方や「丹田の力」とかいふものは捨てゝしまつて店の売場の装飾とか、客に対する言葉の撰び方。お辞儀の仕方等、例へば客が通りがかりに入つて来て、店の正札付の品物を見まはして居る時、之に対して「入らつしやい」とか「何を上げませうか」とかいふべきか、いはざるべきか、種々に思ひ悩むのがよい事で、其迷ふ心がありてこそ、初めて客の心理や様々の場合の応対の仕方が研究さるゝのであります。只通り一遍のサービスとかいふもので、口軽くしゃべり立てゝは、却て客を追ひ払ふだけに終る事が多いのであります。こんな事に迷ふ事も、神経質の良き特徴の一つであります。神経質は何の職業にも地味で深い信用を得る元となります。只神経質の悪い症状が治らない間だけがいけないのであります。君が今度煩悶を増されたのは、多分お客相手の仕事に急に変化した事であつて、人は皆境遇の変化に応じて、思想が変わり人生観が変化していくので、其問に次第に人間味が修養されていくのであります。
只しかし各其境遇に一つ一つ反抗して行つては仕方ありませんが、強迫観念が全治したやうな場合は必ず常に「自然に服従し境遇に柔順なれ」といふ事を体得して感謝と勇猛との精神を以て、どんな境遇にも当る事が出来るやうになります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.594-595)
「口軽くしゃべり立てゝは、却て客を追ひ払ふだけ」、まさにその通りである。やみくもに声かけするのではなく、お客さんの様子を観察して、声かけをするかどうか判断し、声かけのタイミングを計るのが有能な店員なのである。上手に商売をするには神経質が不可欠である。
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今回の通信指導を読ませて頂き思いますのは、文章を貫く森田先生のやさしさです。対面時には「おっかない先生」(?)のイメージですが、このお書きになった文章は本当にやさしく、人の文章にすぐ突っかかるわたくしでも心安らかに読ませていただけました。最高学府の帝大出のお医者様であれば、御典医のように偉ぶり、権威ぶるのも多そうですが、本当に森田先生は素晴らしいです
投稿: たらふく | 2017年8月22日 (火) 07時53分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。
最近でこそ、背広姿でニコニコ笑っている森田先生の写真に基づいた似顔絵が『生活の発見誌』によく出てきますが、実際に診察を受けた人にとっては、詰襟服の写真か、和服の写真の、無愛想で怖いイメージだっただろうと思います。取っ付きが悪いのは神経質人間の特徴であり、慣れてくれば親しみやすさが、にじみ出てくるものです。もしも私が森田先生の診療所に入院したら、叱られるのを恐れて逃げ回っていたクチだったことでしょう(笑)。 しかし、森田先生は「同病相哀れむ」の精神で神経質の人たちに接しておられました。御自分の恥になるようなことも治療のためには平気で開陳されておられました。なかなかできることではありません。
投稿: 四分休符 | 2017年8月22日 (火) 21時02分