神経質礼賛 1415.くたびれた時にはどうする?
勤務先の病院は夏休みがないので、カレンダー通りに仕事をしている。このところ曇りがちのため暑さは和らいでいるけれども湿度が高く少々バテ気味である。読んで下さっている方々の中にはお盆休みの帰省で、かえって運転疲れ・家族サービスの行楽疲れという方もおられるかもしれない。
さて、くたびれた時にはどうしたらいいのだろうか。森田正馬先生のもとで月1回行われていた形外会の場でも、それが話題になったことがあった。香取会長の「身体がくたぶれた時には、回復には休養のほかないから、寝て休もうか、それともまだこんな事を考えるのは、身体に余裕があるためだから、もっと無理をして働こうかなどいろいろに迷う事がある。こんな時、どうすればよいかという事が問題になる」という発言に若林氏(いやいやでもやった方がよい)・根岸氏(熱や頭痛のある時に勘定のケタを間違えて大損した。病気の時は休んで、頭が明瞭な時に仕事した方が能率があがってよい)・山野井氏(列車の中で、老人や小児が来て席を譲るのがおっくうだから座らずに立っている方が良いという人がいる。自分は空いていれば座り老人が来たら立ったらよいと思う)が発言。それに対して森田先生は次のように話しておられる。
「疲労の時は、休息すべきか、もっと働いてもよいか」とか「熱の出た時は、勤務しない方がよいか」とかいう問答も、みな同様の理想主義の型にはまったものである。こんなことは決して問題にはならない。強行軍のときには、ヘトヘトになっても、ついて行かねばならぬし、大地震の時には、大熱があっても、飛び出さなくてはならないという風に、周囲の事情によって変化するもので、決してあらかじめ公式をもって定めておく事はできない。
「くたぶれたときどうするか」ではない。その時々の自分の境遇に対するあるものに対して、目をとめる。私はこれを一般に、「見つめよ」といって教える。試験勉強の本なり・忙しい事務の書類なりに、静かに目をとめていさえすればよい。そのうちに、自然に自分の身体の状態に適応した精神活動が起こってくるのである。自己内省的に、まず自分の疲労の状態から、測量してかかるのではない。周囲の境遇に従って、心を外向的に、物そのものに向けるのである。 (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.573-575)
「○○の時にはどうしたらよいか」とフローチャートを考え、マニュアルを作って準備するのは神経質人間が得意とするところであり、それによって失敗を少なくし仕事を円滑に進めることができる。しかしこれが行き過ぎると型にはまり過ぎて柔軟さを欠き「かくあるべし」に陥る。周囲の状況をよく観察し、臨機応変に行動していくのが森田式である。
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