神経質礼賛 1430.人情の事実
外来に新患で来られる方の中には、誰にでもありそうな仕事や勉強や人との付き合いといった日常生活の問題に悩み、診察というよりは、話を聞いて欲しい、といった方が時々いる。心配性の神経質の人が多く、大抵、薬の処方は希望されない。そういう方が来られた時は、ここは医療機関ですから、と説明した上で、現在の困りごとに加えて、一通り、既往歴、家族歴、生活歴、現在の生活状況をお聞きする。時には簡単な心理検査をしてすぐに結果を見せて説明することもある。そして、カウンセリング的な対応をして、不安を感じたり心配になってドキドキしたり眠れなかったりするのは誰にも起きうることである、とも話している。森田正馬先生は「人情の事実」ということを、そうした「患者さん」に話をされていた。
私は迷いに悩む患者が来る時に、「自分もまた、同じ悩みを持つ弱い人間である」という事を話して、妥協をする場合が多い。この点、親鸞が、「自分は悪人であり、罪人である。人を裁く力はない」というような事をいったのと、幾分似たところがありはしないかと思う。
多くの患者が「肺尖カタル(肺結核の初期症状)を心配して、不眠になり・食欲不振になる」とか、「人前でオドオドして、思う事の半分もいえない」とかいって相談にくる。これに対して、私は「自分も同様である。病気を気にし、人前で気が小さくなる。いろいろ迷う事があるが、それは人情の事実であるから、どうにもしかたがない。この人情を捨てる事はできないから、問題はただ、いかにして人にも愛せられ、よりよく生きて行く事ができるかを、ひたすら心配し・工夫する事である」という風にいいます。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.509)
一般的によく言われる「気にするな、心配するな」ではなく、人情の事実のままに「よりよく生きていけるよう、ひたすら心配し・工夫する」よう説くのが、森田療法の画期的なところである。
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