神経質礼賛 1437.ヴォルガの舟唄(船引き歌)
私が小中学生の時分は世界の民謡を聞くことがよくあった。学校の音楽の時間でも取り上げられていたし、中学の学生手帳と一緒に配布された同じ大きさの歌集には世界の民謡が載っていた。ダークダックスやボニージャックスが歌うそうした歌をテレビやラジオを通して聞く機会もあった。大人になったばかりの頃はまだ歌声喫茶や歌声酒場が残っていたけれども、今は世界の民謡を聞く機会はまずない。
秋から冬の季節になってくると、ロシア民謡が似つかわしい。トロイカ、カチューシャ、カリンカ、ともしび、一週間、黒い瞳などとともにヴォルガの舟唄が頭に浮かぶ。往年の名ヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーのSP復刻版に収録されているヴォルガの舟唄はもう1曲の美しい民謡をからめて編曲されたもので、ジャズ風の和音が混じり、とても魅力的な小品に仕上がっている。若い頃、その楽譜が欲しくて輸入楽譜をヤマハから二度注文したけれども入手できなくて諦めて、すっかり忘れていた。それが、今年になってネット上に著作権切れの楽譜を公開している楽譜図書館にあったのだ。うれしくなって、早速パソコンに楽譜を打ち込み、伴奏音源を作った。今年も病院のクリスマス会での演奏を頼まれているので、そこで弾く1曲になりそうだ。
ヴォルガの舟唄は正しくはヴォルガの船引き歌であり、人や荷物を載せて川を下ってきた船を今度は人が陸から綱で引いて上流に戻す作業の時に歌われていたものを、作曲家バラキレフが採譜したものである。絵画の世界でもヴォルガの船引きを題材にしたものがあり、民衆の労苦と誇りを示していると言われている。
今日の私たちの世界では船引きほどの肉体的な重労働はないけれども、精神的な重労働は少なくない。その日の仕事を考えると気が重くて、仕事へ向かう足も重くなる方もいることだろう。特に神経質人間はともすれば悲観的に考えがちである。それでも、ヴォルガの舟唄の訳詞「エイコラ エイコラ もひとつエイコラ」ではないが、気分はとりあえずそのままにして、一歩一歩進んで少しずつこなしていけば、仕事もだんだん片付いて行き、そのうち気分も晴れてくるものだ。なお、悲観するのは決して悪いことではない。楽観し過ぎては大きな失敗を招く。リスクを考え、ワーストケースを読み、そうならないようにしていく神経質さは必要なのである。
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