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2017年11月 3日 (金)

神経質礼賛 1441.高きを仰ぐ

 一昨日の新聞各紙朝刊の地方版は秋季高校野球東海地区大会で静岡高校が2年連続優勝したことを大きく写真入りで報じていた。近年、高校野球の強豪校は私立高ばかりである。学校にとって大きな宣伝になるので、練習施設に金をかけ、遠くの都道府県から特待生を集めている。そんな中、公立高としてはよく健闘していると思う。

静岡高校の校訓は高(こうこう:高きを仰ぐ)であり、校門を入ってすぐの所に碑がある。恥ずかしい話、私は卬の字を知らず、印の字と見間違えて印高って何だろう?と思っていた。卬は立っている人とひざまずいている人を表す会意文字なのだそうで、通常、音読みはゴウ、訓読みは、あおぐ、のぞむ、などである。同校の校舎からはグランド越しに富士山をのぞむことができ、校歌にも「理想は高し富士の山」とある。


  完全欲が強い神経質人間も「高きを仰ぐ」である。理想が高く、よりよく生きたいという生の欲望が人一倍強い。それが仕事や勉強や日常生活に向かって建設的な行動を積み重ねれば、神経質の特性を十二分に発揮して活躍することができる。ところが、方向が内向きになると、生の欲望とは表裏一体の死の恐怖に目が行って、自分の悪い所探し、症状探しにエネルギーを空費することになる。高い理想が「かくあるべし」となって現実とのギャップに苦しむのである。

赤面恐怖と強迫観念に悩み、森田正馬先生のところに入院していた帝大文科(東大文学部)の学生さんは、日記に「(森田)先生と神経質患者との境は紙一重である。紙一重をへだてゝ、一方は明るい生の欲望に燃え、片方は、暗い死の恐怖に喘いで居る」(白揚社:森田正馬全集      第4巻 p.126)と書いている。その紙一重を左右するのは何か。苦しいながらも行動するかどうか、ただ一点である。むずかしい理屈はいらない。

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