神経質礼賛 1444.徹底的
強迫症状があって外来通院している人が数人いる。鍵のかけ忘れの確認、頻回の手洗い、運転中に事故を起こしたのではないかと気になって戻る、などいろいろな人がいる。駐車場で車が斜めになっていないか気になって何度も入れ直すなどは、私にも少々心当たりがある。強迫観念だけで収まっているうちはまだよいが、強迫行為をやりだすと回数が増えて収拾がつかなくなる。確認や手洗いは1回に留め、気にはなっても次に進むということが大切である。完全欲や徹底さも制限時間の中に収めて行動すれば生きてくる。森田先生は次のように言っておられる。
この神経質の徹底的という事が、最も有難いところである。昔から釈迦でも、白隠でもその他の宗教家でも、哲学者でも、皆徹底的に苦しみ抜いた人ばかりである。少しも煩悶し苦労した事のない人にろくな人はない。
ここでも、倉田氏でも佐藤氏でも、徹底的に強迫観念に苦しんだ人である。「大疑ありて大悟あり」で、その人は必ず、生来立派な人間であって、それが悟って成功したのである。この点から諸君は、ただ私のいう事を丸のみに聞いて、徹底的に苦しむべきを苦しみさえすれば、それで万事が解決するのである。 第5巻 p.82
ここで倉田氏というのは劇作家の倉田百三(1891-1943)のことである。その症状は渡辺利夫著『神経症の時代』の冒頭に詳しく書かれている。「連鎖恐怖」「いろは恐怖」「計算恐怖」と自ら表現する激しい強迫観念のため創作活動はおろか日常生活にも支障をきたして森田先生のところに通院し、強迫を乗り越えることができた。その後は創作活動を再開している。
強迫症状のあった作家ということでは、以前どこかで書いた泉鏡花(1873-1939)がいる。不潔恐怖(ばい菌恐怖)が強く、生の物は一切食べなかった。赤痢にかかったのがきっかけらしい。菓子は火であぶってから食べ、指をつけた部分は捨て、酒も一旦沸騰させてから飲むといった徹底ぶりだった。コレラを恐れて毎日のように湯豆腐ばかり食べていたこともあったが、豆腐の「腐」という字を嫌って豆府と書いたという。仕事はとても几帳面で、原稿は校正後に必ず回収して自分で保管していたそうである。その神経質さから細密な描写表現が生まれたのかもしれない。
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