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2018年1月22日 (月)

神経質礼賛 1468.草土記(2)

 『生活の発見』誌には名文発掘プロジェクトというコーナーがあって、過去の森田療法関係者の講演などを紹介している。今月号(20181月号)は「森田先生の思い出」と題する河原宗次郎さん(1901-2002)が昭和6311月に行った講話だった。神田小川町に草土舎という額縁・画材商店を興した河原さんについては、生活の発見会の創始者・水谷啓二さんが自伝風の『草土記』(670)を著してベストセラーになっている。森田先生の厳しい中にも優しさのこもった治療や物の性を尽くすことが徹底された入院生活については草土記の記載と同様であるが、心の変化という点では差異がある。草土記の中では40日間の入院生活で心の状態がガラリと変わった、とあるが、講話の中では「症状は一向にはっきりしない、早く言えば治っていない」と感じていたけれども高い入院費(14円・・・現在で言えば4万円以上)を払い続けるのが厳しいので退院させてもらい、家に帰ったとなっている。苦しくて仕方がなく自分では治ったという実感がなかったが、妻や店員たちから「人相が良くなった」「肥って健康そうになった」と言われてようやく自分の変化に気付いたそうである。そして、退院して一週間ほどして、森田先生が突然店を訪れ、「元気そうだな」と一声をかけて去っていかれたという。

 河原さんは神経質について次のように述べておられる。

「悩みを深めていたときは、私の細かい神経を悪いものと思っていましたが、今では細かい神経を持って生まれて良かったと思っています。細かい神経がマイナスに作用するとやっかいになりますが、細かい神経をもっていたからこそ、女房や家族、店の人や地域の人に細かい気配りができたのだと思います。それを森田先生に教えていただいたのです。気配りとは人にグチや悪口を言わないことです。人間は感情の動物ですから、面白くないことや嫌なことはたくさんあります。しかし、それを口に出してしまったら終わりです。口に出さなければ消えてしまいます。このような気配りができるのも神経質の有難いところです」

 この講話をした時、河原さんはすでに87歳だったはずである。自分が治ればそれでよしではなく、同病相憐れむの精神から、同じような悩みに苦しむ人の役に立つように活動を続ける人たちを輩出したのも森田療法の特筆すべき点だと思う。

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コメント

「一週間ほどして、森田先生が突然店を訪れ、『元気そうだな』と一声をかけて去っていかれた」
森田先生のファンとしては涙がでるような好エピソードです。感謝!

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 一見怖くて厳しい森田先生でしたが、実は人情家であり、いつも患者さんたちやお弟子さんたちのことを気にかけておられましたから、こういったエピソードは少なくありませんね。

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