神経質礼賛 1476.疑われることを気にするのが最上等の人
前々話に、私が無人販売で買う時、お金を払わずに商品を持ち出しているのではないかと思われるのを心配していると書いた。店で買物をする時も盗んだと疑いをかけられては厄介だから、疑われるような動作をしないように気をつけているし、レジ袋を断った時などはレシートを商品と一緒に持ち歩くといったことをしている。確か、森田正馬全集にもそんな話題があったなあ、と思ってページをめくってみると、やはりあった。
「私はデパートに行くと、自分がポケットに何か入れるように思われはしないかと気になる。(中略)こんな恐怖があって苦しいけれども、必要があれば、いつでも買物に行く。強迫観念が治ったと、治らないのとの境は、ここにあるのじゃないかと思います。治らないうちは、恐怖にとらわれて、買物があっても、行く事ができない。治った人は、買物があれば、恐怖があっても行く。たったこれだけの相違でないかと思います」という山野井房一郎さん(660・661話)の発言を受けて森田先生は次のように言っておられる。
山野井君の店員から見られるのが気になるというのは、普通の人にもある事です。このことを「李下に冠を正さず、瓜田に履(くつ)を入れず」という喩(たとえ)で表してあります。
一番上等の人が、疑われはしないかと用心する人です。中等がなんとも思わぬ無頓着の人で、最下等が、チョイチョイとごまかす人です。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.290)
疑われるのが心配だからといって買物に行かないというのは気分本位の神経症である。山野井さんが言われるように、気にはなっても目的本位に必要な行動が取れるのが「治った人」である。そして、神経質が足りないばかりにあらぬ疑いをかけられては損だ。森田先生の言われるように、疑われはしないかと用心するのが最上等の人である。
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