神経質礼賛 1480.症状はありながらも働く
同じ病院で長く仕事をしていると、同じ患者さんに長く関わっていくことになる。病気のために仕事ができなくなり、復職を目指す人、新たに職探しをする人を外来で診ている。特に統合失調症の人の場合、完全には症状がなくならずに幻聴や被害関係妄想などの症状が残存したままということも少なくない。それでも、作業所に行けるようになり、さらには就労できるようになると御本人の喜びを御裾分けしてもらってこちらもうれしくなる。元来、とても真面目な人が多いから、仕事が1年、2年、3年と続いていくのである。
その点、神経症の場合は働けるのに症状を言い訳にして働かない人がいる。働かないで休んでいたのでは、ますます症状へのとらわれを深めて、いつまでたっても良くならない。つらくても行動しているうちに、仕事ができるばかりでなく、結果として症状も良くなってくるのだ。 森田先生のところに通院して指導を受けていた劇作家の倉田百三は次のように述べている。
私がまだ強迫観念の盛んであった頃に、私は自発的に感想が起こらず創作力がなくて、書くのは心にやましいから書かないといったところが、森田先生から、できてもできなくてもよいから、なんでも書きさえすればよいといわれて書いたのです。いま見るとその時に書いたのがかえってよくできている。今度『冬うぐいす』というのを出版するが、非常にそれが自分に気に入ったのであります。
強迫観念者は、自分でよくできぬといっていながら、他と比べれば非常に細かく心が働いている。すなわち強迫観念それ自身のために、人一倍苦心していながら、まだその上によくできるから大したものである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.103-104)
神経症の人が言う「できない」は「やらない」だけのことであり、仕事が最強の薬なのである。
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