神経質礼賛 1478.かあさんの歌炎上?
先日、ネットニュースの見出しの中に「かあさんの歌炎上」というようなものを見かけた。「♪かあさんが夜なべして手袋編んでくれた・・・」という童謡の「かあさんの歌」が批判されているのかなあ、せちがらい世の中だなあ、と思って読まなかった。2月17日付毎日新聞のネットウオッチというコラムを読んで、別の歌の話だと知った。
話題になっているのは、「あたしおかあさんだから」という歌。一人で暮らしている時にはヒールはいてネイルしていたけれど、子供と遊ぶために爪を切り、パートに行くため走れる服を着て、朝5時に起き、大好きなおかずも子供にあげる。あたしおかあさんだから、あたしよりあなたの事ばかり、といった内容の歌詞である。それに対して、「母親は自らをなげうつのが当然って呪いのメッセージがひどすぎる」「おかあさんでひとくくりにしないで」といった批判が相次ぎ、作詞者が「みなさまを傷つけてしまった」と謝罪したとのことである。
独身の時には自分のことしか考えて行動していなかったのが、子供が生まれてからは愛する子供のことを第一に考えて行動するようになった、という流れ自体は親になって自然のなりゆきであり、非難するまでもないように思える。ただ、母親だから自分の全てを子供に捧げなければ、というのは無理がある。それでは身がもたない。森田療法の立場から歌詞を見ると、「かくあるべし」が強過ぎて、完全主義の神経症の人の考え方のようである。認知療法で言えば「すべき思考」や「レッテル貼り」に該当する。時には子供を預けてオシャレしてヒールをはいて友人とランチしに行ってもいいのだし、パートがない日はゆっくり寝ていたっていいのだし、好きなおかずは全部あげなくても仲良く分け合えばいい。全部作らなくても自分が好きな惣菜を買って来たっていいではないか。「おかあさんだから」の連呼も聞いていたら疲れる。「お兄(姉)ちゃんだからガマンしなさい」と言われ続けて育った長男長女の皆さんは子供の時の嫌な気分を思い出すかも知れない。それに、あまり子供に入れあげて過保護・過干渉になっては、子供のためにもならない。「親はなくても子は育つ」いや「親はあっても子は育つ」のである。
この歌の替え歌がいろいろ作られてネット上にひろがっているそうだ。「おかあさんだけど」ピアスを開けるし髪も染めるし寝坊もする、とか「おとうさんだから」「おとうさんだけど」といった替え歌で子育ての本音を表現するのもよいだろう。
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