神経質礼賛 1485.トイレ恐怖
精神科の外来にはトイレ恐怖を訴える人が時々みえる。トイレ恐怖には何種類かあると考えられる。
まずは、トイレが間に合わないと困ると思って頻回に行ってしまう場合。これは、神経質な人にはありがちのことかと思う。心配性の私も子供の頃から、行ける時に行っておかないと大変なことになるかも知れないと思って、学校の休み時間には必ずトイレに行く習慣があったし、バスでの遠足の際にはトイレ休憩の時には行きたくなくても全て行っていた。入学試験の時は言うまでもない。これは単なる心配性であって実害はないばかりか、不測の事態への備えになる。
別のパターンは一種の対人恐怖に関連するもので、誰か他の人が入ってくると用を足せなくなるというものだ。特に男性の場合、小用の際、横に人が来ると緊張してしづらくなる。これはわからないでもない。社会不安障害(社交不安症)の症状評価に用いられるLSAS-J(Liebowitz Social Anxiety Scale日本語版)の質問24問の中にも「公衆トイレで用を足す」という項目がある。昔の公衆トイレでは男子用は横に長い溝があるだけのところがよくあって、臭いも強烈な上に、他の人がすぐ横ですると丸見えなので、入るのに躊躇する所もあった。今では随分清潔になった上、便器もある程度横からの視線を防げるようになっている。横に人が来たからといって用を足さずに退却するようではいけない。気にはなっても、時間がかかってもいいから逃げないことだ。
厄介なのが、不潔恐怖のために公衆トイレが使えないという場合。やむを得ず使ってしまうと、不潔になってしまったということで、長時間の入念な手洗いも含めて不潔を振り払うための不合理な儀式をしなくてはならなくなる。この儀式をやり始めたら儀式はどんどん拡大し時間や労力を費やして日常生活に支障をきたすようになる。気にはなっても不潔を振り払う儀式はガマンして、そのまま次の行動へと移って行くことが肝要である。
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