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2018年4月30日 (月)

神経質礼賛 1500.森田先生の症状

 わが国独自の神経症の治療法である森田療法を編み出した森田正馬先生自身が神経症の症状に悩み、それを克服した人物であることは御存知の方が多いかと思う。そして、その症状としては、「必死必生の体験」として『神経衰弱及強迫観念の根治法』さらには『神経質ノ本態及療法』に記されたエピソードがよく知られている。東京帝大入学後、神経衰弱に脚気の合併と診断され、勉強に集中できなかった。しかも試験が目前に迫る頃、親からの送金も途絶え、森田先生は窮地に追い込まれた。そこで、「親への面当てに死んでやる」と薬も治療もやめ、夜も寝ずに勉強しまくった。その結果、思いのほか好成績を上げ、しかも神経衰弱や脚気の症状なくなっていたのである。


 
 しかし、森田先生の日記を詳細に分析して書かれている畑野文夫著『森田療法の誕生』によると、そのエピソードから4カ月後にも心悸亢進があって大騒ぎになり、医者が呼ばれて来た時には症状はおさまっていた、ということがあって、同じ月に4回も医師の診察を受け、翌月も大学病院で2回診察を受け、3週間学校を休んだ、ということだ。


 
 さらには、もっと前の中学時代にも症状があったことを森田先生は「なくもがなの恩人」と題して次のような小文に書かれている。


 
 余が中学時代、十五六歳の頃、心臓病との診断で、長い年月、常に医者の薬を飲まされて居た。余の母は、今にも其医者を、余の心臓病を癒して呉れた恩人として感謝して居る。後になつて思へば、実は之は心臓病ではない。余の神経質の一症状であつて、其医者が之を治したのではない。其心臓薬は有害でこそあれ、決して健康に有益ではない。而かも精神的には、此少年を、徒らに疾病恐怖性に養成したのである。若し其医者が、之を適切に神経質と診断する事が出来たならば、其治癒は簡単であり、長い間の苦痛に悩まされる事はなかつたのである。此場合には、寧ろ自然の治癒が幸いであつて、却つて医者といふものは、なくもがなのものである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.224


 
 結局、神経質性格に根ざした種々の症状は出たり引っ込んだりするものであって、雨や風と同じことであり、そもそも病気ではないのだし、完治したから消えてなくなるものでもないのだ。神経症症状がひょっこり顔を出してもそれはそのままにして、やるべきことをやる、という「あるがまま」の生活態度ができていればそれが完治なのである。

2018年4月27日 (金)

神経質礼賛 1499.今度は黄色と緑

 先月から地元の静岡鉄道に新しい色の電車が走り始めた。一昨年、新型のA3000形第1号としてクリアブルー車両が導入され(1248話)、昨年にはパッションレッドの第2号が導入された(1369)。順次7色のレインボーカラーを揃えるという話だったから、今度は何色だろうと思っていたら、今回は第3号、第4号が一度に投入され、色はブリリアントイエローとナチュラルグリーンだった。当地の名産品、みかんとお茶をイメージさせる色だそうだ。ブリリアントイエローは黄色に少し橙がかった山吹色に近い感じだ。ナチュラルグリーンは落ち着いた感じがする。


 小心者の私は着る物や身につける物は地味な色ばかりである。中学
1年生の時に、小遣いを貯めてSONYのFMラジオを買った。色はイエローとブラックの2色があって、イエローが格好いいなと思いながら迷った末に、結局は地味なブラックにした記憶がある。まだ40代の頃、妻が黄色のセーターを買ってくれたけれども、ちょっと外を歩くには抵抗があって、あまり着なかった。虫が寄ってきやすいという難点もあった。しかし、黄色は元気が出る色だし、黄色の物を持っていると金運に恵まれるような話もある。神経質人間にはちょっと縁遠い色だけれども、たまには黄色を身につけて気分一新してみようか。

2018年4月23日 (月)

神経質礼賛 1498.今日の事は今日なせ

 さほど仕事のスケジュールが入っていない日でも、入院患者さんの急変でバタバタしたり、患者さんの家族や関係者から面談を求められたりすることがある。さらには突然に他の病院や保健所からの依頼で急性期の患者さんの入院依頼を受けることがあって、そうなると診察と家族・関係者との面談から入院関係書類の作成まで2、3時間かかってしまうのが常である。全く油断はできない。普段から担当患者さんに関する種々の診断書や意見書の類の書類作成の仕事が次々と発生しているから、面倒だなあと思っても先送りせずに極力その日のうちに書くようにしている。そして、いずれ書かなくてはならないとわかっているものはパソコンで下書きを作っておくこともある。

 森田正馬先生は次のように言っておられる。


 
 僕も若いころ、呉先生の下で薫陶されましたが、先生は常によく「今日の事は今日なせ」という事をいわれましたから、僕もそれを守って、随分夜のふけるまで勉強した事もあります。そのほか僕などは呉先生によって、さまざまの修養の基礎となる事を体験する事ができました。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.684-685)


 
 呉先生とは日本の精神医学の創始者と呼ばれている呉秀三(1865-1932)東京帝大医学部教授のことで、森田先生は呉教授の命を受けて、巣鴨病院(現在の都立松沢病院)で作業療法を推進していった。それはのちの森田療法の土台となっている。また、森田先生が50歳にして医学博士号を取得できたのも、呉教授の非常に強力な推薦があってのことだった。これについては畑野文夫著『森田療法の誕生』に詳しく書かれている。今日の事は今日のうちにやっておく、その積み重ねが後で生きてくる。

2018年4月20日 (金)

神経質礼賛 1497.言うべきか言わざるべきか

 長年、ほぼ毎週買物をしている店がある。昨年から店のポイントカードが廃止となり、多くの店で使われているTポイントになった。買物をするとレジで「Tポイントカードをお持ちですか?」と聞かれるのでそれを出す。さらに「ポイントを使いますか?」と聞いてくるので、使いませんと答えている。先週は初めて見る店員さんだった。まだ慣れないらしく、レジに時間がかかっている。私の番になり、ポイントカードを出して処理してもらったが、「うまくいかなかったので、もう一度出して下さい」と言われてもう一度渡して代金を支払った。さて、家に帰ってレシートを見たら、ちょうど買った金額分のポイントが減っていることに気付いた。最初の処理で誤って代金を全部ポイントで支払う処理をして、さらにもう一度現金払いをした処理をしてしまっていたのだ。つまり二重払いしたことになる。

 さて、これを店に言うべきか言わざるべきか迷う。百円や二百円の話ならば面倒だからそのままにするけれども、千円超の話であるからやはり言った方がいいだろうと思い、結局レシートを持ってもう一度店に行った。最初のポイント決済された時のレシートは店員さんが捨てていて渡されていないから証明するものがない。他の店員さんがポイント履歴を出そうとしたが操作できず、「後で調べて御連絡します」ということになった。その後、店から電話があり、二重払いが確認できて「すみませんでした。ポイント払いをキャンセルする処理をしておきます」ということで、一件落着した。


 今回の話はともかく、私たちの日常生活の中では、いろいろな場面で言うべきか言わざるべきか迷うことがある。特に神経質人間はその傾向が強い。それは神経質の長所でもあって、軽はずみな発言で失敗することが少ないのである。そして、言った方がよいと判断したら、ちょっと気後れしても思い切って言ってみよう。

2018年4月16日 (月)

神経質礼賛 1496.芋蔓(いもづる)式

 森田療法を学んでそれを実行して客観的にはずいぶん良くなった人が、「全然治ってない」「良くならない」と語ることはよくあることだ。これは、森田先生の時代からありがちな現象である。形外会の場でも、自分では治っていないと思っても、森田先生から「治った」と言われて仕方なしにその通りにしていたら、いつの間にか治っていた、という患者さんたちの体験談がよく語られる。それに対して森田先生は次のように述べておられる。


 なんでもその人の働きが事実において、偉くなったのが治ったのです。細かい気持ちの事を、とやかくいうのではない。全治したからピッタリ治った、修養が出来上がったのではない。学校を卒業したから、それで学問をしまったのではない。専門学校・大学・大学院と、上には上がある。

 本多という井上(常七)君の世界歴史の先生は、七十で、なんのうるところもないという。ほかからみれば、とても偉い。学問が積めば積むほど、芋蔓のように、それからそれと、問題ができて、勉強に果てしがなくなる。その人が初めて、よくわかった偉い人である。

 また健康という事も、これと同様です。これで健康が出来上がったという事もない。神経質の全治も、ただ卒業という一段階であって、以上の修養には限りがない。そこが、神経質の生の欲望の過大なところであって、最も上等の素質であるというところです。

 普通の人ならば下痢が治って、まだ少々粥食をしていても全治で満足するが、神経質はいくら大食しても決して胃腸を損ねないという風でなければ、全治とはいわないというようなものです。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.590


 完全欲が強い神経質人間は欲張りであるから、不安が全くなくなり、完璧に症状がなくなり、常に頭の中が青空のようにスッキリ晴れ渡るようになることを望みがちである。しかし、人間は生きて行く以上、不安はつきものであるし、ドキドキもイライラもこだわりも不眠も出てくることはある。それをなくすのは不可能である。不安はあっても症状はあっても、それはそのままにして、やるべきことをやっていく習慣が身に付けば、それらは時間とともに消えていく。そうなれば全治と言えよう。そして、強い生の欲望・完全欲を活かして、芋蔓式に次々と仕事をしていけば、大いに発展することができるのである。

2018年4月13日 (金)

神経質礼賛 1495.ヒノキ花粉

 そろそろスギ花粉は少なくなってきたが、ヒノキ花粉が大量に飛散している。スギとヒノキと両方のアレルギーがある私はクシャミ・鼻水だけでなく眼のかゆみが激しく、仕事にも支障が出るので、内服薬に加えてステロイド点鼻・点眼薬を使ってしのいでいる。今年は、関東周辺でヒノキ花粉の飛散がスギ花粉を上回り、観測史上最高量となっているのだそうだ。そのため今までヒノキ花粉では大丈夫だった人まで症状が出ているという。喉の痛みや微熱を伴って、風邪と思われる場合もある。風邪が長引いていて変だ、と思う方は医療機関を受診してヒノキ花粉によるアレルギーではないか一度調べてもらうとよい。今年は3月下旬に夏日となる日が続いて例年より早く一気に開花したこと、スギが盛んに植樹された年代から遅れて植樹されたヒノキが花粉を多く出す時期にさしかかっていることが原因らしい。

 鼻から花粉を吸入するのはマスクで減らすことはできても眼を防御するのは難しい。メガネの上に覆いかぶせる花粉防御ゴーグルが販売されているけれども、見た目にちょっと抵抗を感じるし、ずっと装着するのもうっとうしそうだ。なるべく不要不急の外出は控えて花粉の曝露を減らすしかない。花粉が衣類に付着しないよう、このところ洗濯物は室内干しである。ヒノキ花粉飛散が収まる日が待ち遠しい。

2018年4月 9日 (月)

神経質礼賛 1494.清めの塩

 先週の4月4日、舞鶴市で行われた大相撲春巡業の際、土俵に上がっていた市長が突然倒れ、救命措置のために土俵に上がった女性看護師に対して行司が「女性は土俵から下りて下さい」と繰り返し場内アナウンスしたことが問題になっている。さらに、市長の搬送後、土俵に大量の塩が撒かれたという話まで出ている。相撲協会はあれこれ言い訳して女性蔑視ではないとしているが、アナウンスや塩撒きの意図は明らかである。


 相撲は神事でもあったから、日本神道の強い影響を受けており、土俵の上は神聖で女人禁制とされてきた。これまでも、大相撲は女性が土俵に上がることを強く拒んできた。しかし、人命がかかった一刻を争う事態が発生している時に及んでもそれを無理に通そうとするのは馬鹿げている。行司は円滑に救助できるように気配りし、使うかどうかは別にして会場にあるAEDをすぐに持ってくるよう指示するのがまずやるべきことではないか。


 清めの塩も神道の習慣であり、力士たちが取組の前に土俵に塩を撒くのが習慣となっている。塩の純白さや殺菌効果から穢れを清めるものとされたのだろう。私たちの生活の中にもまだ残っている風習がある。神道に限らず、葬儀に参列すると、喪主の挨拶状に清めの塩が付いたものを渡され、帰宅して家に入る前に撒いたりしている。店の前に盛り塩をした飲食店を見かけることがある。これは厄除け・商売繁盛の縁起担ぎらしい。


 土俵上の女人禁制にせよ、清めの塩撒きにせよ、一種の強迫観念・強迫行為と言えるかもしれない。それにとらわれていると、もっとはるかに大切なことが抜け落ちてしまう。神経症でも強迫症状のある人は手洗いや確認行為などのはからいごとで気分を良くすることを最優先にして、今回の行司のようなことになってしまうのである。気分はさておき、今まずやるべきことを優先して行動していけば強迫は良くなっていく。

2018年4月 6日 (金)

神経質礼賛 1493.ヒゲの心理

 長く入院している患者さんの中には週2回の入浴を嫌がる人がいて、時々、看護師さんから説得を頼まれることがある。「言いつけやがったな!」と怒りながらも何とか入ってくれことがほとんどだ。無精ヒゲを剃ろうとしない場合にも説得を依頼されるが、こちらは効果が薄い。もちろん、ヒゲを剃ろうと剃るまいと自由であって、剃ることを強制はできないけれども、他の(特に女性の)入院患者さんたちが怖がるし、剃らない人は概して不潔になりやすい人なので、「ヒゲを剃ってサッパリしようね」と度々声をかけることになる。


 ヒゲを伸ばす心理としては、一般的に、男らしく強く見せたいという願望があると言われている。また、自信のなさを打ち消すための行動ともみられる。幻聴や思考伝搬や被害関係妄想などの精神病症状のある人だと、サングラスやマスク
(1453)や帽子と同様、自我境界を強化する防衛手段の一つという可能性もあるだろう。さらに文化的なものもあって、イスラム教やユダヤ教を信奉する人々はヒゲを伸ばしているから、中近東に出張する男性の場合、現地の人との交流の必要からヒゲを伸ばす、ということもある。私の学生時代は、ヒッピー文化の影響から長髪に無精ヒゲという姿を見かけたものだ。権力には従わないぞ、という意思表示である。当時、W大近くのグランド坂に「ひげの九二平」という私のような貧乏学生のサイフにやさしい酒場があって、「まずい焼鳥 水っぽい酒」という暖簾を掲げていた。店主がヒゲを生やしていたかどうか記憶はないが、とても美味しい焼鳥やドジョウ串焼が出てきたから、「卑下の九二平」だったのかなあ、と勝手に思っている。

 森田正馬先生の写真には立派な口ヒゲを生やしたものが多い。ただし、亡くなる前年に患者さんに乳母車を押してもらってそれにちょこんと乗って傘をさして笑っている写真ではヒゲをきれいに剃っている。森田先生が教えを受けた偉大な精神医学者・呉秀三東大教授も口ヒゲを生やした写真が残っているし、精神神経学会で激しい論争をした相手・精神分析の丸井清泰東北大教授はチョビヒゲである。当時の大学教授はヒゲが珍しくなかったのだろう。現代の大学教授でヒゲを生やしていると、変わり者と目されやすい。

2018年4月 2日 (月)

神経質礼賛 1492.木島櫻谷(このしまおうこく)展

 前話の続き。両国のアスリート食堂の定食でしっかり腹ごしらえをしてから六本木へ向かう。大江戸線は地下深くを走っている。エレベータで降りていく。パニック障害の人だとピンチに陥りそうな局面である。地下鉄を降りて出るまでも長くエスカレーターが続く。まず、サントリー美術館の「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」という展覧会を見る。茶道具は見る目がないのでさっぱりわからない。絵画は楽しむことができた。万福寺にある探幽が描いた釈迦・文殊・普賢図は、昨年京都の聖護院で見たものと同じ構図だった。


 サントリー博物館を出てからが、私のような田舎者には大変で、混雑したミッドタウン内を右往左往する。何とか六本木通りに出て泉屋博古館(せんおくはくこかん)分館をめざす。泉ガーデンの看板を見て右に入ったが、そのまま狭い坂道を登ってしまう(なだれ坂)。使い慣れないスマホで現在地を見ようとするが、どうもよくわからない。歩き疲れてきたので、小さな喫茶店に入ってコーヒーを飲み、店主に道を教えてもらう。さらに、道端で工事現場の警備をしている人に尋ねてようやく行き着いた。


 現在、泉屋博古館分館では明治から昭和にかけて活躍した日本画家・木島櫻谷
(1877-1938)の作品が展示されている。櫻谷の絵画は日曜美術館などのTV番組で紹介されて人気が高まっている。動物画を得意とし、精緻な描写が見事である。動物園に通って写生を繰り返していたそうであり、スケッチ画帳とともに京都市立動物園から贈られた特別優待券も展示されていた。月夜に雪の積もった竹林の中のキツネを描いた「寒月」には思わず息を飲んだ。画の前にゆったり座れるソファがあってそこに座る。大迫力の画面に引き込まれる感じがした。黒っぽく見える竹は、群青の絵の具を焼いて酸化させて様々な黒さを作って描いたそうで、研究熱心さがうかがえる。この画には、当時新聞記者をしていた夏目漱石(626)から「屏風にするよりも写真屋の背景にする方が適当である」とボロクソに批判されたというエピソードがある。それでも文展の最高賞を獲得している。TV番組で紹介された「かりくら」という題の絵も見ごたえがある。この画はかなり傷んだ状態で数年前に発見され、修復されて今回公開となっている。馬に乗った3人の武士が狩りをする場面で生き生きとした武士の表情や躍動する馬の表現が目を引く。会場では晩年に孫たちと遊ぶ櫻谷やその家族を映した3分間のフィルムが流されていた。その道を究めた人ではあるが、家族想いの優しいおじいちゃんだった様子がうかがえる。没年が森田正馬先生と同じ人なので、森田先生の晩年にも思いが及ぶ。閉館時刻のアナウンスで現実に戻る。

2018年4月 1日 (日)

神経質礼賛 1491.両国の家康像

 週末は東京へ。すみだ北斎美術館に行こうと思い、両国の観光マップをプリントアウトしてみた。JR両国駅南側半径300m以内に、芥川龍之介生育の地と文学碑、吉良邸跡、勝海舟生誕の地があるので、まずはそれを見て回る。龍之介生育の地はパネルがあるだけで、うっかり見落として通り過ぎ、戻って見る。文学碑は両国小学校脇にあった。吉良邸跡の小さな公園には吉良公の像、首洗いの井戸があって、吉良上野介を守ろうとして討たれた家来たちの名も記されている。討死した家老・小林平八郎は葛飾北斎の母方曾祖父だという。勝海舟生誕の地も公園になっていて、海舟や幕末の偉人たちがパネル展示されていた。園内の桜花が風に舞い散っていた。


 それから北斎生誕の地に建てられた美術館へ。北斎は欧米でとても人気があって外国人の来館者も多い。「華やぐ江戸の女たち」という企画展だった。北斎のみならず弟子たち、娘の葛飾応為の作品も展示されていた。常設展示は作品の下にあるディスプレイをタッチすれば解説が見られる仕組みになっている。北斎漫画も面白かった。晩年の北斎・応為の生活の様子を人形で再現した展示があり、時々、見ている人から、「あ、手が動いた」という声が上がる。筆を持つ北斎の手が動くようにできているのではなく、風で少し動くのかなあ。

  美術館を後にし、旧安田庭園へと向かう。江戸東京博物館北側の遊歩道を歩いて行くと、大きな銅像があった。これは観光マップにはない。背中側からで顔はわからない。葵の紋章が入っているから徳川将軍の誰かだろうと思った。旧安田庭園はあいにく工事中のため一部しか見られなかった。戻ってくる時に銅像の正面に回ってみると徳川家康と刻まれていた。変わった像である。鷹を手にしているが、大きな笠を被っていて顔は少々わかりにくい。台座がやけに高くてしかも大きな亀の上に載っている。解説パネルは見当たらない。亀のように遅くても着実に進んだ者が最後に勝つということなのだろうか。

後で調べてみると、平成6年4月に江戸消防記念会が江戸東京博物館に寄贈した家康像なのだそうで、山下恒雄の作、像の高さ3.7m、台座を含めると7.76mもあり、都内で唯一の家康の銅像だという。台座は15段積まれていて徳川15代を表わし、私が亀だと思い込んだのは中国の伝説上の生物である贔屓(ひき・龍が生んだ9頭の神獣の一つ)だという。贔屓は重きを負うを好み、家康公遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」に合致している。確かに家康公は江戸・東京の生みの親であるから、東京に家康像があってもおかしくない。


  初めての所を歩いているといろいろ発見があって楽しい。スマホを見ながら歩いていては損をする。少し上を向いて歩こう。

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