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2018年4月16日 (月)

神経質礼賛 1496.芋蔓(いもづる)式

 森田療法を学んでそれを実行して客観的にはずいぶん良くなった人が、「全然治ってない」「良くならない」と語ることはよくあることだ。これは、森田先生の時代からありがちな現象である。形外会の場でも、自分では治っていないと思っても、森田先生から「治った」と言われて仕方なしにその通りにしていたら、いつの間にか治っていた、という患者さんたちの体験談がよく語られる。それに対して森田先生は次のように述べておられる。


 なんでもその人の働きが事実において、偉くなったのが治ったのです。細かい気持ちの事を、とやかくいうのではない。全治したからピッタリ治った、修養が出来上がったのではない。学校を卒業したから、それで学問をしまったのではない。専門学校・大学・大学院と、上には上がある。

 本多という井上(常七)君の世界歴史の先生は、七十で、なんのうるところもないという。ほかからみれば、とても偉い。学問が積めば積むほど、芋蔓のように、それからそれと、問題ができて、勉強に果てしがなくなる。その人が初めて、よくわかった偉い人である。

 また健康という事も、これと同様です。これで健康が出来上がったという事もない。神経質の全治も、ただ卒業という一段階であって、以上の修養には限りがない。そこが、神経質の生の欲望の過大なところであって、最も上等の素質であるというところです。

 普通の人ならば下痢が治って、まだ少々粥食をしていても全治で満足するが、神経質はいくら大食しても決して胃腸を損ねないという風でなければ、全治とはいわないというようなものです。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.590


 完全欲が強い神経質人間は欲張りであるから、不安が全くなくなり、完璧に症状がなくなり、常に頭の中が青空のようにスッキリ晴れ渡るようになることを望みがちである。しかし、人間は生きて行く以上、不安はつきものであるし、ドキドキもイライラもこだわりも不眠も出てくることはある。それをなくすのは不可能である。不安はあっても症状はあっても、それはそのままにして、やるべきことをやっていく習慣が身に付けば、それらは時間とともに消えていく。そうなれば全治と言えよう。そして、強い生の欲望・完全欲を活かして、芋蔓式に次々と仕事をしていけば、大いに発展することができるのである。

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コメント

 味わい深いすばらしい教えです。森田療法とはいかなるものかと問われたら、今回の記事を示したいと思いました。森田の真髄が見事に表現されているように思われますヽ(`Д´)ノ

たらふく 様

 コメントいただきありがとうございます。

 山野井さん、井上さんをはじめ、のちに社会で大活躍をし、かつ後進の指導に熱心だった多くの人たちがみな、退院時にはまだ治っていないと思いながら、森田先生から「治った」と言われて仕方なしにその通りに行動していたら、本当にすっかり治ってしまった、というのは実に興味深いことです。仰るように、これが森田療法の真骨頂だと思います。
 よく引用させていただく「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません。(森田正馬全集 第4巻 p.386)」は神経質者への最高の福音だと思います。現代の森田療法家でここまで言い切れる人はいないでしょう。

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