神経質礼賛 1494.清めの塩
先週の4月4日、舞鶴市で行われた大相撲春巡業の際、土俵に上がっていた市長が突然倒れ、救命措置のために土俵に上がった女性看護師に対して行司が「女性は土俵から下りて下さい」と繰り返し場内アナウンスしたことが問題になっている。さらに、市長の搬送後、土俵に大量の塩が撒かれたという話まで出ている。相撲協会はあれこれ言い訳して女性蔑視ではないとしているが、アナウンスや塩撒きの意図は明らかである。
相撲は神事でもあったから、日本神道の強い影響を受けており、土俵の上は神聖で女人禁制とされてきた。これまでも、大相撲は女性が土俵に上がることを強く拒んできた。しかし、人命がかかった一刻を争う事態が発生している時に及んでもそれを無理に通そうとするのは馬鹿げている。行司は円滑に救助できるように気配りし、使うかどうかは別にして会場にあるAEDをすぐに持ってくるよう指示するのがまずやるべきことではないか。
清めの塩も神道の習慣であり、力士たちが取組の前に土俵に塩を撒くのが習慣となっている。塩の純白さや殺菌効果から穢れを清めるものとされたのだろう。私たちの生活の中にもまだ残っている風習がある。神道に限らず、葬儀に参列すると、喪主の挨拶状に清めの塩が付いたものを渡され、帰宅して家に入る前に撒いたりしている。店の前に盛り塩をした飲食店を見かけることがある。これは厄除け・商売繁盛の縁起担ぎらしい。
土俵上の女人禁制にせよ、清めの塩撒きにせよ、一種の強迫観念・強迫行為と言えるかもしれない。それにとらわれていると、もっとはるかに大切なことが抜け落ちてしまう。神経症でも強迫症状のある人は手洗いや確認行為などのはからいごとで気分を良くすることを最優先にして、今回の行司のようなことになってしまうのである。気分はさておき、今まずやるべきことを優先して行動していけば強迫は良くなっていく。
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