神経質礼賛 1491.両国の家康像
週末は東京へ。すみだ北斎美術館に行こうと思い、両国の観光マップをプリントアウトしてみた。JR両国駅南側半径300m以内に、芥川龍之介生育の地と文学碑、吉良邸跡、勝海舟生誕の地があるので、まずはそれを見て回る。龍之介生育の地はパネルがあるだけで、うっかり見落として通り過ぎ、戻って見る。文学碑は両国小学校脇にあった。吉良邸跡の小さな公園には吉良公の像、首洗いの井戸があって、吉良上野介を守ろうとして討たれた家来たちの名も記されている。討死した家老・小林平八郎は葛飾北斎の母方曾祖父だという。勝海舟生誕の地も公園になっていて、海舟や幕末の偉人たちがパネル展示されていた。園内の桜花が風に舞い散っていた。
それから北斎生誕の地に建てられた美術館へ。北斎は欧米でとても人気があって外国人の来館者も多い。「華やぐ江戸の女たち」という企画展だった。北斎のみならず弟子たち、娘の葛飾応為の作品も展示されていた。常設展示は作品の下にあるディスプレイをタッチすれば解説が見られる仕組みになっている。北斎漫画も面白かった。晩年の北斎・応為の生活の様子を人形で再現した展示があり、時々、見ている人から、「あ、手が動いた」という声が上がる。筆を持つ北斎の手が動くようにできているのではなく、風で少し動くのかなあ。
美術館を後にし、旧安田庭園へと向かう。江戸東京博物館北側の遊歩道を歩いて行くと、大きな銅像があった。これは観光マップにはない。背中側からで顔はわからない。葵の紋章が入っているから徳川将軍の誰かだろうと思った。旧安田庭園はあいにく工事中のため一部しか見られなかった。戻ってくる時に銅像の正面に回ってみると徳川家康と刻まれていた。変わった像である。鷹を手にしているが、大きな笠を被っていて顔は少々わかりにくい。台座がやけに高くてしかも大きな亀の上に載っている。解説パネルは見当たらない。亀のように遅くても着実に進んだ者が最後に勝つということなのだろうか。
後で調べてみると、平成6年4月に江戸消防記念会が江戸東京博物館に寄贈した家康像なのだそうで、山下恒雄の作、像の高さ3.7m、台座を含めると7.76mもあり、都内で唯一の家康の銅像だという。台座は15段積まれていて徳川15代を表わし、私が亀だと思い込んだのは中国の伝説上の生物である贔屓(ひき・龍が生んだ9頭の神獣の一つ)だという。贔屓は重きを負うを好み、家康公遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」に合致している。確かに家康公は江戸・東京の生みの親であるから、東京に家康像があってもおかしくない。
初めての所を歩いているといろいろ発見があって楽しい。スマホを見ながら歩いていては損をする。少し上を向いて歩こう。
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