神経質礼賛 1500.森田先生の症状
わが国独自の神経症の治療法である森田療法を編み出した森田正馬先生自身が神経症の症状に悩み、それを克服した人物であることは御存知の方が多いかと思う。そして、その症状としては、「必死必生の体験」として『神経衰弱及強迫観念の根治法』さらには『神経質ノ本態及療法』に記されたエピソードがよく知られている。東京帝大入学後、神経衰弱に脚気の合併と診断され、勉強に集中できなかった。しかも試験が目前に迫る頃、親からの送金も途絶え、森田先生は窮地に追い込まれた。そこで、「親への面当てに死んでやる」と薬も治療もやめ、夜も寝ずに勉強しまくった。その結果、思いのほか好成績を上げ、しかも神経衰弱や脚気の症状なくなっていたのである。
しかし、森田先生の日記を詳細に分析して書かれている畑野文夫著『森田療法の誕生』によると、そのエピソードから4カ月後にも心悸亢進があって大騒ぎになり、医者が呼ばれて来た時には症状はおさまっていた、ということがあって、同じ月に4回も医師の診察を受け、翌月も大学病院で2回診察を受け、3週間学校を休んだ、ということだ。
さらには、もっと前の中学時代にも症状があったことを森田先生は「なくもがなの恩人」と題して次のような小文に書かれている。
余が中学時代、十五六歳の頃、心臓病との診断で、長い年月、常に医者の薬を飲まされて居た。余の母は、今にも其医者を、余の心臓病を癒して呉れた恩人として感謝して居る。後になつて思へば、実は之は心臓病ではない。余の神経質の一症状であつて、其医者が之を治したのではない。其心臓薬は有害でこそあれ、決して健康に有益ではない。而かも精神的には、此少年を、徒らに疾病恐怖性に養成したのである。若し其医者が、之を適切に神経質と診断する事が出来たならば、其治癒は簡単であり、長い間の苦痛に悩まされる事はなかつたのである。此場合には、寧ろ自然の治癒が幸いであつて、却つて医者といふものは、なくもがなのものである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.224)
結局、神経質性格に根ざした種々の症状は出たり引っ込んだりするものであって、雨や風と同じことであり、そもそも病気ではないのだし、完治したから消えてなくなるものでもないのだ。神経症症状がひょっこり顔を出してもそれはそのままにして、やるべきことをやる、という「あるがまま」の生活態度ができていればそれが完治なのである。
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こんにちは。
悟り、とまでは言わなくても、大きな気づきにより長年の悩み囚われが一瞬にして消えた、の類の話をたまに見聞きしますが、私にはどうもイカガワシイ話のように思われます。仏教などのその手の話もよくよく調べると「言い張ってるだけ」だったり、躁病的な状態だったり、第三者による想像創造だったりすることが多いように思われます。(森田先生や鈴木知準先生がそうだとは思いませんが)
でもこれの真偽を見破るのは経験の浅い者にはなかなか難しい。
経験の深い先生によるこのような文章に触れると「治るのならば治さねば!」との力みが落ち「受容するしかないのだな」と、受容への態度が進むように思われ、とても勇気付けられます、ありがとうございました。
(返信は不要です)
投稿: 通りすがりの者 | 2018年5月11日 (金) 07時27分