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2018年5月28日 (月)

神経質礼賛 1510.須(すべから)く往生せよ

 昨年10月に京都森田療法研究所の岡本重慶先生から宇佐玄雄先生の講話などを収めた貴重なCDを送っていただいた。宇佐玄雄先生は禅僧にして森田正馬先生の弟子であり、京都の三聖病院院長だった。講話の中から抜粋で研究所ブログに紹介された部分は聴いていたが、この講話全体はとても長い。講話1が1時間54分、講話2が2時間25分にわたる。MP3形式で編集してあるので、パソコンに入れて少しずつ聴いて行こうと思っているうちに半年経ってしまった。これではいけない。MP3プレーヤーに移して、通勤の電車の中で聴いていくことにした。


 
 講話1の最初の部分は「あるがまま」について語られている。気分がよくないから、やりたくないから、「あるがまま」にやらないというのは誤りであって危険である。やりたくない気分はそのままに行動しなさい、ということである。森田先生は「須らく往生すべし」と言われた。ここでの往生とはそのまま行け、Go on!(英)、Gehen!(独)のことである。さらに般若心経の「諦羯諦波羅羯諦(ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあてい)」も同じである、と森田療法的解釈をしておられるのがとても面白い。


 
 森田正馬先生は三聖病院で次のように講話されている。

最近驚いた実例は、静岡県の人で、三十余歳の人である。胃アトニーが、主症候で、そのほか十五年以来の反芻癖があり、これが自分で非常に厭わしい。胃アトニーは、一週間ほどで治ったが、その後、日記で、反芻癖はどうすれば治るかと、質問したから「どうもしかたがない」と赤字で答えて置いた。それから、いつ治ったかは、本人も気付かなかったが、三週間後には、いつの間にか、全く治っていた。これは療法上の術語で、不問療法という。知らぬふりして、放ったらかして置くことである。医者としては、不親切で、無責任に思われるから、実際には、素人が考えたよりも、なかなか難しいものである。「しかたがない」ということは、僕の『根治法』の内に、「須(すべから)く往生せよ」といってある事に相当するものである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.334


 
 また、刑外会でも次のように話しておられる。

 神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、十年でも二十年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事も出来ぬ、しかたがないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。すなわち「逃げようとする」か「踏みとどまる」かが、治ると治らぬとの境である。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.389

 
 苦痛をなくしたい、症状を取り去りたい、とは誰もが願うことながら、そうしようとすればするほど悪循環にはまって、苦痛を深め症状を固着させてしまう。踏みとどまって苦しいままに行動していくうちに、いつしかそれらは薄れている。そして神経質が生かせているのだ。

2018年5月25日 (金)

神経質礼賛 1509.潰せ

 N大のアメリカンフットボールの選手が交流試合で試合の流れとは無関係に相手チームの選手に後ろからタックルして負傷させた件が大問題となっている。その状況が録画されていてTVニュースに何度も流された。そして、その選手が監督やコーチから「相手選手を潰せ」と指示されていたことが判明して監督やコーチの責任問題に発展した。

 この話を最初に聞いた時は、「潰せ」というのはあくまでも比喩的表現で、それを選手が字義通り実行してしまったのではないか、もしかしてアスペルガー症候群的な傾向のある選手なのだろうか、という考えが浮かんだ。しかし、選手の記者会見での発言によれば、コーチから「相手選手がけがをしたらこっちの得」と具体的に言われ、監督からはやらなければ日本代表を辞退させると脅されていたようだ。それが事実ならば、傷害行為・犯罪行為を強要されたようなもので、この選手も被害者ということになる。


 かつて高校野球の応援では「○○倒せ!ぶっ倒せ!」などとやっていたものだが、現在では、「ぶっ潰せ」「ぶちかませ」などはもちろん、「ぶっ倒せ」もよからぬ表現とされて聞かなくなった。しかし、闘争心を煽るためにスポーツの指導者がそうした言葉を使うことはあるのかもしれない。ただ、勝敗やチームの損得にこだわるあまり、相手の選手がけがをすれば得だと考えるのはいくら何でも異常である。

 趣味程度のスポーツは健康的で心身に有益ながら、プロやオリンピックや大学など競技としてのスポーツは身体に有害であるだけでなく、勝ちさえすればよい・強ければ何をやってもよいという歪んだ思考に陥る危険性もはらんでいる。また、閉鎖的な指導環境はハラスメントの温床にもなりやすい。競技スポーツは輝かしい面だけでなく、そうした負の側面も持っているのである。


 ところで、私はいつも、新しい患者さんの診察の際、生活歴の中で、学校でどんな部活に入っていたかを尋ねることにしている。神経質傾向の人は、バスケットやサッカーやラグビーのように人とぶつかり合うようなスポーツを選ばず、テニスや卓球のように相手とはネットを隔てていて直接ぶつからないスポーツを選んでいることが圧倒的に多い。神経質人間に「相手を潰して来い」と命じても相手の身を案じてできない話である。喧嘩も弱いがそれでよい。

2018年5月21日 (月)

神経質礼賛 1508.スヌーピーの作者は神経質

 私が中学生の頃、同じ学年にスヌーピーのキャラクターグッズを沢山持っている男の子がいた。彼の周りには「わー、可愛い」「これ、いいなあ」と女の子たちがよく集まっていたものだ。彼は小柄で痩せていて神経質な人だった。親の後を継いで小児歯科医になっている。私はスヌーピーが登場する漫画はそれほど読んでいないが、医学生新聞に転載されていたものは印象に残っている。それは、主人公でスヌーピーの飼い主であるチャーリー・ブラウンの友達が抗ガン剤の治療を受けて髪の毛が全部抜けてしまったのを見て、クラスの男の子たちが坊主頭になって励ますというような、いい話だったように思う。

先週の火曜日、NHKのアナザーストーリーズという番組でスヌーピーの作者チャールズ・シュルツ(1922-2000)を扱っていた(今夜BSプレミアムで再放送される予定)。シュルツの父親は貧しいドイツ移民の床屋だった。シュルツは内気ながら勉強はよくできて2年飛び級したが、年上で体の大きなクラスメイトたちから仲間外れにされてしまう。高校を卒業してから漫画を投稿するが採用されなかった。しかし、ボツになってもめげずに投稿を続け、負けず嫌いさが出てくる。第2次世界大戦従軍後、アートスクールで働きながら漫画の投稿を続け、ついに地元新聞に掲載される。さらには全米の新聞に連載となり、世界中の雑誌に掲載され、アニメ化もされ、キャラクター商品も売り出されるようになった。主人公のチャーリー・ブラウンがシのュルツの分身であることはシュルツ自身認めていたという。チャーリー・ブラウンの野球チームは負けっぱなし。その原因を作っているルーシーからはいじめられ、責任を押し付けられる。野球に限らず、思うようにならない困ったことが次々起こる。その困ったことに対処していくのが漫画のテーマになっていると評されている。「人生はうまくいかない」と嘆きながらも仕方なしに行動していくのは作者自身の姿でもある。チャーリー・ブラウンが憧れている「赤毛の女の子」は、シュルツがプロポーズして断られた同僚女性がモデルなのだそうだ。この赤毛の女の子は顔が描かれることはほとんどなく、長いこと登場しているという。内気でも負けず嫌いで失敗にこだわるシュルツは神経質だったことは間違いない。神経質の粘り強さのおかげで、亡くなるまで50年の長きにわたり、スヌーピーとチャーリー・ブラウンが活躍する漫画「ピーナッツ」を描き続けることができたのだろうと思う。

2018年5月18日 (金)

神経質礼賛 1507.仕事のよくできる人はかえって自分ではよくできぬと思っている

 どうも仕事がはかどらない。集中できない。そう思っていると、さらに予期しない事態が発生したり、新たな仕事が次々と発生したりして焦る。ダメだなあ、いい歳して情けないなあ、と自虐的になる時がある。これは私ばかりではないと思う。そんな時には形外会の場で会長の香取さんが語った一節を読み返してみるといいだろう。


 
 私の神経質は、八年の不眠症を(森田正馬)先生の御著書で、直ちに治し、次に激しい発作性の偏頭痛で、汽車に乗れば必ず起こっていたものも、あるとき思いきって、これを突破したら、一度で治ってしまった。

 退院後は、入院前と比べると、ずっと仕事ができるようになり、この頃も、妻や他人からは、仕事がよくはかどるといわれるが、自分では、少しも仕事がはかどらなくて困っている。

 今日も先生にうかがったが、先生もまた仕事がはかどらないと、いっておられました。やはり実際には、仕事ができていても、自分自身の主観では、仕事がおもうようにできないと思っているものらしい。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.623-624

 
 完全欲が強い神経質人間は、何があっても動ぜずにスラスラと仕事ができることを望む。しかし、それは不可能なことである。特に予期しない事態が発生したら誰でも動揺する。自分はダメだと思いながらも神経質人間は粘り強く取り組んでいくので、客観的には仕事がよくできているということも少なくない。とにかく粘っているうちに道は開けていく。

2018年5月14日 (月)

神経質礼賛 1506.1日に食べてよい卵の個数は?

 「1日に食べてよい卵は1個」そんなことを言われた経験はないだろうか。私も母親からそのように頭に刷り込まれていたものである。2個以上食べてしまうと、ちょっと食べ過ぎかなあ、と気になっていた。卵の良質のたんぱく質は良いとしてもコレステロールの摂り過ぎは有害、というのがその根拠かと思う。ところが、その常識が近年覆された。実は食事から摂るコレステロールはほとんど動脈硬化をきたさないのだ。体内のコレステロールの多くは肝臓で作られている。厚労省も以前は1日のコレステロールの摂取基準を男性750㎎、女性600㎎としてきたが、2015年にこの基準を廃止している。ちなみに鶏卵Mサイズ1個が約60gで、100gあたりのコレステロールは420㎎でエネルギーは約150kcalである。ということはMサイズの卵1個で約250mgだから3個で従来の男性1日のコレステロール基準値に達してしまっていたわけだ。グルメ番組を見ると、オムライスや卵焼きには卵を3個も使ったりするので、これで安心して卵料理が食べられるというものだ。もっとも、コレステロールは問題なくても、カロリー過剰にならないように気をつける必要はあるだろう。

 この
11個という話の元は1913年にロシアで行われた実験なのだそうだ。ウサギに鶏卵を与えると動脈硬化をきたした、という結果が得られたのだが、そもそもウサギは草食動物なのだから、不適切な実験である。ともあれ、この話は日本にも広がり、森田正馬先生の時代には広く知られていたのだろう。森田先生の大好物は以前書いたアンパンの他、カレーライスと卵であり、カレーは2杯、3杯とおかわりし、ゆで卵は一度に10個も食べていた。妻の久亥さんが心配してやめるように注意すると、勤務先の根岸病院へ行って、そこでカレーやゆで卵を存分に召し上がっていたという逸話が残っている。卵の食べ過ぎは心配しなくてよい、と百年後に常識が覆されたことを知ったら、「それみたことか、私のやっていたことは間違っていなかったろう」と墓の中で仰るのではないだろうか。

2018年5月11日 (金)

神経質礼賛 1505.活動量計

 妻が「ウチに万歩計はなかった?」と聞いてくる。運動不足が気になるという。だいぶ前に景品でもらって一度も使っていなかったのがあったはず、と引っ張り出してみる。添付のボタン電池を入れてみるが動かない。最近買った電池を入れてみてもやはり動かない。これはダメそうだ。いつもスマホを身につけている人ならばスマホの歩数計アプリを利用すればよいが、私も妻もスマホはそれほど使わないので、新たに買うことにした。


 簡単な歩数計だと不正確だという評判もあるので、タニタの活動量計
AM-111カロリズム、という機種にした。型落ち機種のため実売価格は1個千円台とお手頃だ。自分の分も合わせて2個購入した。寝ている時と風呂に入っている時は除いていつも胸ポケットに入れておいて邪魔にならない。ボタンを押すと、歩数の他に歩行距離、歩行時間、24時間の活動量グラフ、消費カロリー、脂肪燃焼量などが表示され、7日分のデータが記録できる。歩行しているかどうかの判断には、7秒以上の一定の動きがあった時に歩行と判断してそれまでのデータを加算表示するとのことで、使ってみると大体合っている感じがする。ちなみに30分間ヴァイオリンを弾き続けても歩数は一歩も増えなかった。

 仕事の日は、通勤の往復と仕事中の歩きで一日の歩数は9000歩前後のことが多い。ちょっと買物をして帰ったりすると10000歩を超える。今の所、一番歩いたのは、先日の東京へ行った日の16859歩で歩行距離は10.11km、総消費カロリーは2323kcal、脂肪燃焼量22.8gと出ていた。神経質人間は記録好きである。万歩計が欲しいと言った妻よりも私の方が完全にハマっている。

2018年5月 7日 (月)

神経質礼賛 1504.東芝未来科学館

 前話の続きの目的地は川崎駅前にある東芝未来科学館である。昨今の状況からして閉館が懸念されるため早目に見ておきたかった。子供向けの入場無料の科学館であるが、大人も十分に楽しめる。ちょうど超伝導の実験をやっていたので親子連れの中に混じって見る。理屈はわかっていても、液体窒素で冷やした模型が軌道を外れずに宙を浮いて滑るように動いていく様子は実に不思議な感じがする。静電気の実験のところでは、髪が総立ちになった親の様子を大笑いでスマホに撮る子供がいた。子供向けの工作教室も開かれていた。以前は渋谷に東京電力の科学館があって、私も子供を連れて行ったことがある。子供たちに科学技術をやさしく教えてくれる企業立のこうした施設がだんだん減っていくのはさびしい。


 
 東芝の創業者があの「からくり儀右衛門」・江戸時代後期から明治にかけての発明家・田中久重(1799-1881)だったとは知らなかった。久重の発明品が展示されていた。そして、その原点となったからくり人形の実演があった。お茶を置くと客人の所まで運び、客がお茶を飲んで置くとUターンして戻ってくる茶運び人形のしくみを見せてくれた。実は最初に距離を設定して、そこまで行くとカムが回って車輪が曲がりUターンする仕組みになっているのだ。さらに横の展示室には洗濯機・冷蔵庫・掃除機・TVなど電化製品の一号機が展示されていて、興味深かった。


 
 久重は高い志を持ち、創造のためには妥協を許さず、「知識は失敗より学ぶ」と常々言っていたそうである。後進の技術者たちは次々と夢を実現していった。しかし、近年になって海外の企業買収などで安易な利益を追求するようになり、会計処理もごまかすようになって、日本を代表する超一流企業があっという間に破綻寸前にまで転げ落ちた。すでにおなじみの家電部門は別会社。唯一の稼ぎ頭である半導体部門も身売りされる。経営陣の中にリスクを十分に考えて先を読む神経質人間がいなかったのが災いしたのではないかと思ったりする。

2018年5月 5日 (土)

神経質礼賛 1503.五島美術館と等々力渓谷

 昨日はみどりの日。配達された毎日新聞の題字もいつもの青地に白ではなく緑地に白である。いつも通りの時刻に家を出ていつもの電車に乗る。通勤客の姿はなく、同じ車両に乗っているのは3人だけだった。三島駅で降りて先の切符を買う。目指すは五島美術館。連休の間だけ公開されている国宝の源氏物語絵巻が目当てだ。電車はだんだん混んできて通勤ラッシュ並みの混雑になってくる。横浜で東横線に乗り換え、自由が丘で大井町線に乗り換え、上野毛で下車。緑豊かな住宅街に美術館はあった。


 
 「春の優品展 詩歌と物語のかたち」と題して平安時代から鎌倉時代の名筆や物語画、さらには琳派作品が展示されていた。そして、小さな展示室には国宝の4面の源氏物語絵巻、鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法(みのり)が展示されていた。それぞれ詞書とともに隣に復元画が並べてあり、とてもわかりやすくてよかった。現在はかなり色が落ちている部分や消えかかってしまっている部分もはっきりとわかる。いずれも古文や日本史の教科書・参考書によく紹介されている。夕霧は光源氏の長男で、登場人物の中では神経質なキャラクターだろうと私は思っている(267話)。夕霧が手にしている手紙を恋文だと思って取り上げようと妻・雲居の雁が後ろから迫る場面である。御法は紫の上が最期を迎える場面。復元画と比べながら見ると、庭には秋の草たちが細かく描きこまれていたことがよくわかり、生命のはかなさを強調しているようである。美術館からは広い庭園に出られるようになっている。崖を降りていくような感じでウグイスの鳴き声も聞こえる。緑が美しい。あまり下まで降りてしまうと後が大変そうなので、ショートコースで済ませる。


 
 五島美術館を出てから10分あまり環八通りを歩き、玉沢橋の手前を右に入る。そして日本庭園の所から等々力渓谷公園に入る。ここが次の目的地だ。等々力駅から入る通常のコースとは逆コースである。ここも緑が美しく歩いて心地よい。不動の滝から等々力不動尊に上がる所には茶店があって賑わっていた。渓流に沿って緑のトンネルを歩いているような感じがする。等々力駅側からは次々と家族連れがやってくる。東京23区内で唯一の渓谷なのだそうだ。紅葉の季節の平日に来たらいいだろうなと思った。少し歩き疲れたので、早目の昼食休憩にする。

2018年5月 4日 (金)

神経質礼賛 1502.神経質と年齢

 

 森田正馬先生は10歳か11歳の頃、金剛寺という村の真言宗の寺で極彩色の地獄絵を見てから死の恐怖におののき、眠れなくなったり夢で見てうなされたりしたそうである。前話の白隠もまた、11歳の時に母親に連れられて村の寺で日厳上人の「摩訶止観」の説法を聴いた。死後に閻魔のこらしめがあることや地獄の様子の話を聞いて、自分は地獄に落ちるに違いないと思い込み、強い恐怖に襲われるようになり、そこから解脱するため座禅修行に入っていったと言われる。


 
 幼児期はまだ死というものがよくわからない。私も、小学校低学年の時は親戚の葬式で同年齢の従兄弟とふざけ合って叱られた覚えがある。10歳位になると死んだらどうなるのかといったことを真剣に考えるようになるのではなかろうか。そして死の恐怖が芽生える年頃なのだろう。私の小学校3・4年の担任の先生はとても話好きで、いつも1時間目は漫談で終わっていた。それらの話の中には、車にはねられた子供が苦しみながら死んでいった話とか、頭を強く打つとその時は大丈夫でも少しずつ脳内出血を起こして死ぬことがある、などといった話もあって、それらの話が頭に焼き付いて、強い死の恐怖を感じた覚えがある。対人恐怖や強迫観念もその頃から出始めたのだと思う。そして感受性や自意識が強い思春期には症状に苦しんだのである。

 神経質と年齢に関して森田先生は次のように述べておられる。


神経質は早いのは、十六、七歳から発病して、二十、二十四歳くらいで、煩悶をきり抜ける事ができたら、一番都合がよいかも知れぬ。白隠禅師なども、神経衰弱の最も激しかった時は、二十歳を少し過ぎた時でもあったろうか。お釈迦様は、十六、七歳から煩悶し、二十九歳で山に入り、三十五歳で、切り抜けたのであります。三十あまりで発病するのは、神経質が足りない。また発病して、二十年も三十年もたって、治らない人は、もはや治したいという気力がなくなってしまう。将来の希望がなくなり、無理な骨折りをするよりも、このまま、どうかこうか、日を暮らしたほうがよい、という気持ちになってしまう。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.183


 苦しくても仕方なしに社会生活を送っていけば、症状は気にならなくなっていくものである。そして試行錯誤をしているうちに神経質性格を活かせるようになっていくのである。時がすべてを解決してくれる。

2018年5月 1日 (火)

神経質礼賛 1501.すたすた坊主

 一昨日は普通の日曜日のように過ごしていた。昼食後に、ふと、今日は429日か、と思い出したことがある。白隠(388話、拙著p.237-238)ゆかりの松蔭寺に一昨年行って(1263)、その際、毎年429日の一日だけ、陰干しを兼ねて、白隠の書画を寺内で公開していることを知ったのだった。ちょっと時間が遅いけれども、行ってみることにした。


 JR原駅を降りると正面に少し霞がかった富士山がいい感じに見える。旧東海道を東へ
10分ほど歩いたところに松蔭寺はある。境内に入ると外のテントを片付けているところだった。しまった、遅かったか。時計を見ると3時15分。片付けている人に聞いてみると「ほんとは3時までだけど、まだいいんじゃないかなあ」と言ってくれたので入らせてもらった。

  お堂の中には、白隠の書画が数多く吊るされていた。先日、静岡市美術館で見た(1477)ものも多かった。美術館でガラス越しに見るのと、堂内に掛けられたものを近くで直接見るのとでは迫力が違う。ここで見ることができるのはありがたいことだ。ユーモラスな「すたすた坊主図」が印象に残った。すたすた坊主とは、江戸時代の乞食坊主・大道芸人でもあった願人坊主のことだ。白隠画では、裸の布袋さんが勢いよく歩いているように描かれている。それは、俗世間から離れて寺に籠るのではなく市井に出て教えを説こうとする白隠の自画像でもあると言われている。なお、白隠が描いた同様のすたすた坊主図は、早稲田大学會津八一記念博物館などに所蔵されていて、見る機会も少なくないだろう。いやな気分や怒りの感情が沸き起こった時には、この画を思い出して、そうした気分はそのまま放っておいて、すたすたと前へ前へ歩いて行こう。

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