神経質礼賛 1502.神経質と年齢
森田正馬先生は10歳か11歳の頃、金剛寺という村の真言宗の寺で極彩色の地獄絵を見てから死の恐怖におののき、眠れなくなったり夢で見てうなされたりしたそうである。前話の白隠もまた、11歳の時に母親に連れられて村の寺で日厳上人の「摩訶止観」の説法を聴いた。死後に閻魔のこらしめがあることや地獄の様子の話を聞いて、自分は地獄に落ちるに違いないと思い込み、強い恐怖に襲われるようになり、そこから解脱するため座禅修行に入っていったと言われる。
幼児期はまだ死というものがよくわからない。私も、小学校低学年の時は親戚の葬式で同年齢の従兄弟とふざけ合って叱られた覚えがある。10歳位になると死んだらどうなるのかといったことを真剣に考えるようになるのではなかろうか。そして死の恐怖が芽生える年頃なのだろう。私の小学校3・4年の担任の先生はとても話好きで、いつも1時間目は漫談で終わっていた。それらの話の中には、車にはねられた子供が苦しみながら死んでいった話とか、頭を強く打つとその時は大丈夫でも少しずつ脳内出血を起こして死ぬことがある、などといった話もあって、それらの話が頭に焼き付いて、強い死の恐怖を感じた覚えがある。対人恐怖や強迫観念もその頃から出始めたのだと思う。そして感受性や自意識が強い思春期には症状に苦しんだのである。
神経質と年齢に関して森田先生は次のように述べておられる。
神経質は早いのは、十六、七歳から発病して、二十、二十四歳くらいで、煩悶をきり抜ける事ができたら、一番都合がよいかも知れぬ。白隠禅師なども、神経衰弱の最も激しかった時は、二十歳を少し過ぎた時でもあったろうか。お釈迦様は、十六、七歳から煩悶し、二十九歳で山に入り、三十五歳で、切り抜けたのであります。三十あまりで発病するのは、神経質が足りない。また発病して、二十年も三十年もたって、治らない人は、もはや治したいという気力がなくなってしまう。将来の希望がなくなり、無理な骨折りをするよりも、このまま、どうかこうか、日を暮らしたほうがよい、という気持ちになってしまう。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.183)
苦しくても仕方なしに社会生活を送っていけば、症状は気にならなくなっていくものである。そして試行錯誤をしているうちに神経質性格を活かせるようになっていくのである。時がすべてを解決してくれる。
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