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2018年6月15日 (金)

神経質礼賛 1516.信康の性格

 家康の嫡男・信康はどんな性格だったのだろうか。父親の家康は神経質である。神経質性格は発展向上欲や完全欲が強い強力性と小心で取越苦労しやすい弱力性という表裏一体の二つの面を持ち合わせている。家康はその性格を最大限に活用して、偉業を成し遂げた。母親の築山殿に関する情報は少ないが、教養があってハッキリ物を言う人だったと推測される。信康の妹・亀姫をみると母親譲りの性格を受け継いだと考えられる。亀姫は長篠の戦で軍功のあった奥平家に嫁いだが、夫には側室を許さず四男一女を産み育てたといい、強い女性だったようである。


 人間の性格の中核部分は遺伝的に親から受け継ぎ、その後の生活環境などの影響を受けながら形成されていくものであると考えられている。信康にも神経質な素因は受け継がれておかしくないのだが、母親の性格素因が強く出たのか、それとも挫折体験・失敗体験がなかったため神経質が目覚めることがなかったのだろうか。ある意味、天真爛漫に育ち、思ったことをハッキリ言い、もっぱら武芸に関心を持っていた。


 男の子は多かれ少なかれ父親を強く意識し、父親を乗り越えようとするものである。精神分析の世界ではフロイトが提唱したエディプス・コンプレックスという概念がある。異性の親に性的愛情を抱いて同性の親に嫉妬や憎しみや恐怖を抱くというもので、3-4歳に生じ、
6歳頃に一旦抑圧され、思春期に復活するとされる。信康の場合、母・築山殿が家康に冷遇されていたから、そのコンプレックスは強かった可能性がある。さらに、妻の父・信長から「信」の一字をもらっていて、妻に見下されたくないという気持ちもあって、信長をも強く意識したはずである。だから、武功を立てて、父・家康や義父・信長から認められたいという気持ちが非常に強かったと思われる。14歳で初陣。長篠の戦では16歳だったが一軍の大将を任されて戦果を挙げ、信長からも注目された。その後の武田との戦いでも武功を挙げ、戦の場では難しい役を買って出て、それを見事にこなして家康から高く評価された。


そして家族思いでもあった。妹・亀姫が、地侍に過ぎない奥平家に嫁がされるのには反対したし、家康から子として認められなかった次男(後の結城秀康)を家康に対面させて子供であると認知させている。切腹した時に殉死者を出したことをみても、岡崎の家臣たちからは慕われていたのだろう。

 もし、挫折体験があって、もう少し慎重さがあったら、神経質が発揮されていたら、悲劇の主人公になってしまうことはなかったかもしれない。挫折体験も必要である。

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