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2018年7月30日 (月)

神経質礼賛 1530.とらわれる

 我々、神経質人間は何か事を起こそうというと、あれこれ考えて細かく計画を立てずにはいられない。それは神経質の美点である反面、やりすぎると自縄自縛になってしまうきらいがある。計画通りに事が運ばないと不満であり、「結果オーライ」にはなかなか満足できない。そして、日常生活の中でも自分で決めたルールにとらわれて、それを押し通そうとしがちである。森田先生は次のように言っておられる。


 「物にとらわれる」という言葉がある。ある考え・ある文句を標準として、モットーとして、自分の行為をそれにあてはめていく事である。久し振りに、休日であるから、「休む」という文句にとらわれる。散歩は「休む」事の範囲に属するけれども、ちょっと庭を掃除する事は、「仕事」の種類であるから、すべきものでないと心得るという風である。実は散歩でも同じ事であるけれども、それに気がつかないのである。

 ここの療法でも、この「とらわれ」がなくなれば、全治するのである。とらわれを離れれば非常に便利で、生活が自由自在になります。ここの入院患者も、とらわれのある間は、仕事が治療のため、修養のため、仕事のための仕事であって、少しも実際に適切しない。盆栽に水をやれば、やたらにやって、腐ってしまっても気がつかず、水をやる事をやめれば、乾いて枯れても、少しも知らないという風である。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.239-240


 理屈はさておき、周囲の状況をよく見て、その時々に必要なことで体を動かしていけば、自然に「とらわれ」から解放されている。

2018年7月27日 (金)

神経質礼賛 1529.ある日の精神保健相談

 一昨日の午後は保健所の精神保健相談だった。厳しい暑さの中なので、熱中症に用心してスポーツドリンクのペットボトルを持って出かける。


 今回の相談は2件で、1件は、飲酒にまつわる問題。しかし、よくよく話を聞いてみると同棲しているパートナーのパーソナリティ障害が大きな要因になっているように思われた。もう1件は、いわゆる「新型うつ病」(
223話)かもしれないケース。妻の実家の家業を継ぐという条件で結婚した夫が仕事をしなくなり、以前の会社員時代に「うつ病」で休職した経験があり、それと同じような感じになっている、と言いながらも精神科受診は拒否しているというケースである。睡眠障害も食欲低下もなく、趣味には熱中している、他罰的で妻やその両親には種々の要求をしてくる、となると、明らかに古典的なうつ病ではない。家業が本人にとって面白くないということもありそうだ。詐病や疾病逃避も疑われる。こういうケースは対応が難しい。休むように指導するか、それとも背中を押して働くように仕向けるか。診立てによって対応が180度変わってくる(287312313328353407458話参照)。そして「人を見て法を説け」(1487話)ということにもなってくるので、ともかく、夫の両親とも連携して精神科を受診するように勧めておいた。


 相談を終えて近くの三島二日町駅で三島行の電車を待っていると、見たことがない派手なラッピング車両が入ってきた。アニメ風の女の子たちの絵が大きく描かれている。
HAPPY PARTY TRAINというもので、架空のアイドルグループAqours(アクア)のメンバーが描かれているのだそうだ。私のような中高年にとっては、静岡鉄道の「ちびまる子ちゃん電車」はまだしも、伊豆箱根鉄道のこの電車はもはやついていけない世界である。電車に乗っていると急に大雨が降り始める。このところの極端な暑さと雨不足で農作物の成長に支障をきたしているので、良いお湿りである。

2018年7月23日 (月)

神経質礼賛 1528.禁断の食物

 このところ明け方になっても気温が下がらず30℃近い。寝る前にエアコンを入れてタイマーで切るようにしているが、エアコンが切れると3時とか4時には目が覚めてしまう。仕方がないので、いつも起きる5時半までは横になっている。一昨日は土日月と当直勤務が続くので、少し早めの5時に起き出して、TVを点け、前日に届いた同窓会雑誌を読んでいた。すると、NHKニュースの中で、「松陰先生禁断の大福餅」が販売されているという話が出て、思わず雑誌を置いてTVに目を遣った。


 幕末の思想家・教育者の吉田松陰
(1830-1859)は江戸遊学中、必要な書を買うために非常に切り詰めた生活をしていた。几帳面な松陰は使ったお金を全部「費用録」に記している。食事は長州藩邸で炊いてもらった御飯を梅干しと味噌で食べ、腹八分目にしていて、酒は一切飲まなかった。しかし、そんな松陰がどうしても我慢できなかったのが大福餅だった。今のお金で160-70円程度だったというから、決して贅沢ではない庶民の食物である。それを多い時は月に6回買ってしまい、後悔の念にかられたのか、費用録には「自分にがっかりする」とまで書き込んでいるそうだ。松陰の生真面目さが伝わってくるとともに、禁断の大福を食べる至福の松陰先生が微笑ましくもある。やはり、人間には適度な遊び、休符も必要である。


 我らが森田正馬先生の禁断の食物といえば、
1506話に書いた茹で卵とカレーライスかもしれない。食べ過ぎを心配する奥さんの久亥さんに隠れて勤務先の病院に出向いて存分に食べておられた。しかしそれ以上の禁断は何と言っても酒である。森田先生は若い頃から大酒家だった。自宅兼診療所で森田療法を行うようになってからも、助手の佐藤政治医師をお供にして晩酌を楽しんでおられた。久亥さんは先生の酒量を減らそうとするが、森田先生も負けずに量を減らされないように出された酒の量を測ったという話まである。「もう半分」と先生から空の徳利を渡された久亥さんがそれを手にしたまま話し続けてなかなか立ち上がろうとしないのを見た佐藤医師が「飲ませてはいけない先生に飲ませてあげたい、という切羽詰まった心が勝って、病院でも飲ませ過ぎてしまうことがある」と言うと、久亥さんは即座に「あなたがそうなら、私はもっと飲ませたい」と返したという。強い夫婦愛が伝わってくる話である。

2018年7月20日 (金)

神経質礼賛 1527.騙(だま)し騙し使っていく

 中高年の患者さんたちの話を聞いていると、種々の身体的な不調に関する訴えが多い。頭痛、めまい、動悸、関節痛、微熱、顔のほてり、手足のしびれ、腹部の不快感など実に多岐にわたる。こうしたサインがガンなどの重大な病気の初期症状の可能性はあるけれども、心配して内科・外科・整形外科などを受診して血液検査、レントゲン、CTなどの検査を受けても特に異常は見つからず、気休めの薬を処方されて「様子をみましょう」ということも少なくない。女性だと「更年期障害かもしれませんねえ」という結論になったりする。そこで、また別の医療機関を渡り歩いてドクターショッピングをしたのでは、同じような検査を繰り返し行われることになり、医療費の無駄遣いにもなる。実は「経過をみる」ということも医療上は意義のあることで、症状が悪化した時に前と同じ医療機関で診てもらえば、検査値や画像の変化がわかり、正確な診断・治療に結びつきやすいのである。


 楽天的な人だと咳がひどく出ていても平気で喫煙し、体調が悪くても飲酒してしまう。その点、神経質な人は身体的な不調に目が向きやすく、ちょっとした不調が重大な病気のサインではないかと心配し、昔なら家庭の医学の本を読み漁り、今ならネット検索で調べまくる。その 結果、注意集中→感覚鋭化→意識狭窄→注意集中→・・・という森田正馬先生が言われた「精神交互作用」の悪循環をきたしてとらわれを深め症状を固着させてしまうことにもなる。


 医療機関で検査を受けても明らかな異常がなかったのであれば、今のところ正常範囲として、健康人らしく仕事をしたり家事をこなしたりしていくことである。かくいう私にも身体的な不調は出たり引っ込んだりしている。「まあこんなもの
(111)と思って、無理のない程度に騙し騙し体を使っていきましょうよ」という患者さんたちへのアドバイスは自分自身への言葉でもある。

2018年7月16日 (月)

神経質礼賛 1526.不安と緊張

 土曜日の外来は交代で順繰りに回ってくる。今月、私は今度の土曜日のはずだったが、一昨日の土曜日は、順番の先生が森田正馬没後80周年墓前祭・講演会のツアーに行かれたため、私が代わりに外来を担当した。


 普段、同じ先生が診ている患者さんを初めて代診する時には、あまり深入りしないのが鉄則である。短時間カルテを読んだだけではわからない部分があるので、主治医の先生の診立てや治療方針とズレが生じてはいけないから慎重になる。とはいえ、普段主治医に言えないことをぶつけてくる人もいるし、睡眠薬や抗不安薬を乱用している人には注意を与えないといけないこともある。


 代診した中に、同じような薬を処方されている会社員の方が二人いた。不安時の頓服として抗不安薬、ドキドキした時に心拍数を下げるβブロッカーが処方されている。二人とも会議や取引先との打ち合わせなどの際には激しく緊張して困ると言う。だからそうした出来事の前にはまた緊張したらどうしようと予期不安が起こり、予防的に薬を飲んでいる。もっとも、仕事を休むことはなく、薬も週2、3回飲む程度である。このお二人には、私が担当している神経症の患者さん同様、森田療法的なアドバイスをしておいた。


 緊張については今まで繰り返し書いてきた(4、5、
4945380711681445話)。不安や緊張が全くなく人前で話せたらいいだろうなあ、という気持はよくわかる。しかし、自分は気が小さくていけない、もっと大胆な人間にならなくてはダメだ、と考えてそうなろうとしてもなれるものではない。それは不可能の努力であって、そうすればするほど不安や緊張が高まるという悪循環を招く。不安も緊張も自然なことだし、逆にそれらがないようでは酔っ払いと同じで、不用意な発言をしたり周囲への配慮が欠如したりして大失敗をすることにもなる。不安も緊張もあってよい。そして、それらはそのままにして行動していくうちに、いつしか薄れている。

2018年7月13日 (金)

神経質礼賛 1525.爪の世界記録

 精神科の患者さんで長年爪を切らないでいる人を見かける、ということを以前書いた(1049)。しかし、上には上がいるものである。昨日のニュースに、爪の長さのギネス世界記録を持つ82歳のインド人が66年ぶりに爪を切り、その爪はマンハッタンの博物館入りとなったという話があった。爪の長さは何と指1本平均1.9m、5本合計で9.5mというから驚きである。子供の時に学校の先生から「忍耐強く取り組んでいない」と叱られたのをきっかけに爪を伸ばすことを決意したのだという。それにしても生活は相当不便だったのではないだろうか。片手は普通に爪を切っていたとしても、着替えや入浴が大変だろうし、外出も容易ではないだろう。寝る時も爪が邪魔ではなかっただろうか。


 とても真似できない、後生に名を残すものすごい記録ではあるけれども、この人の人生でもっとやるべきことはあったのではないか、と思ってしまう。強迫神経症の人のこだわりも、同様である。本人にとっては何よりも重要で、そのためには大きな犠牲を払っても最優先で行っていることが、客観的には意味がないことが多いのである。誤った「目的本位」「行動本位」に陥らないよう、他の人のアドバイスにも耳を傾ける必要がある。せっかく努力するのならば、人のため・自分のために役立つことに向けて欲しいものだ。

2018年7月 9日 (月)

神経質礼賛 1524.キュウリ

 週間天気予報から雨マークが消え、いよいよ真夏到来である。この季節になると、冷やし中華やそうめんが無性に食べたくなる。それらには細切りのキュウリがよく似合う。さっぱりした酢の物も欲しくなる。そこでもキュウリが大活躍である。皮の深緑と実の薄緑の組み合わせが涼しげだし、シャキシャキという食感が心地よい。一年中売られているけれども、やはりこの盛夏が似つかわしい。


 スーパーでキュウリを買おうとすると、「スーヨー」と書かれているのをよく見かける。一見して普通のキュウリである。どう違うのだろうか。知りたがりの神経質ゆえ調べてみる。四葉(スーヨー)という品種のキュウリは本葉が四枚付いた頃から実がなり、普通のキュウリの
1.5倍の大きさになる。イボとシワが多く鮮度が落ちやすいが歯切れがよく漬物にも向いているそうである。となると、冷蔵庫に寝かせずに新鮮なうちにどんどん食べた方が良さそうだ。


 キュウリは水分が約95%を占め、栄養分が非常に少ないことでも知られている。そして緑黄色野菜ではなく淡色野菜に分類されている。何とギネスブックには「世界一栄養がない果物」として記載されているそうだ。しかしながら、カリウム、カルシウム、マグネシウム、リンなどのミネラルは含んでいるから、熱中症が心配される夏場には体が欲する食品であることは確かである。キュウリだけでなく黄緑色野菜そして肉や魚を加えて厳しい暑さを乗り切ろう。

2018年7月 7日 (土)

神経質礼賛 7月9日(月)放送予定 にっぽん!歴史鑑定

1514話に書いた歴史番組はBS-TBSの「にっぽん!歴史鑑定」でして、7月9日(月)22:00-22:54放送予定。「#165 家康と信康~父と子の争い」がテーマです。インタビュー形式で少し私も出るかと思います。

http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

2018年7月 6日 (金)

神経質礼賛 1523.定期券がない!

 先週の土曜日の朝、いつものようにポケットに定期券を入れようとしたが机の上に見当たらない。たまに床の上に落としてしまうことがあるので、探してみたが見つからない。前日着ていたYシャツのポケットやジャケットのポケットなどを探してみるが出てこない。出かける時刻になってしまったので、仕方なく駅で切符を買って仕事に行った。今の病院に勤務して20年以上たつが初めての経験である。午後、帰宅してまた丹念に探してみたが見つからない。ということはどこかで落としてしまったのだろうか、と考える。3カ月定期で半分以上の期間が残っているから、これを自腹で払うとなると実に痛い。かなり落ち込む。

 そうこうしているうち夕方になって、駅から電話が入った。拾得物として保管してあるとのこと。「すぐに行きます」と答えて駅へ行く。定期券を購入する時の申込用紙には連絡先電話番号の欄があるので、そのデータにより連絡してもらえたのだろう。やはり、こういう所はめんどうがらずにしっかり書いておくに越したことはない。前日の帰りに改札を出て定期券をポケットに入れる際に入れ損ねて落としてしまったらしい。神経質でもこんなミスをするものだ。これからはしっかりポケットに入ったことを確認しなくては、と思う。とにかく助かった。ありがたいことだ。「届けて下さった方にお礼がしたいのですが」と言うと、「届けた方はその権利を放棄しておられますので」ということだった。匿名の方の善意には匿名の善意で応えることにした。

2018年7月 3日 (火)

神経質礼賛 1522.森田先生の肖像画と写真

 昨日、医療サイトのニュースを見ていたら、高知新聞からの引用で、かつて富家小学校の講堂に掛けられていた森田先生の肖像画が、香南市野市町の野市図書館で発見された、という記事があった。その講堂とは森田先生が私財を投じて建てたものに他ならない。早速、「高知新聞 森田正馬」で検索してみると、その写真を見ることができた。紋付の羽織・袴姿でピンと伸びた口髭が目立っている。実際にその肖像画を見た卒業生によれば、立派な口髭がずっと印象に残っていたということだ。この肖像画は、森田療法についてのバイブルとでも言うべき大原健士郎著『森田療法』(世界保健通信社)に「最も森田らしくない肖像画」として紹介されていたものである。衣服は画家が描き加えたらしい。紙幣の肖像画としても使えそうな、いかにも偉人といった雰囲気の画である。


 森田先生の写真にもいろいろあって、受ける印象が異なる。最も有名なのは、詰襟服の写真である。ちょっぴり怖そうで近寄りがたい雰囲気がある。それに対して近頃よく使われるのは洋服姿で笑顔の写真、そしてそれを基にした似顔絵である。この方が一般受けしやすいと思われ、生活の発見誌では多用されている。もっとも、森田先生は普段、診療所では着流しのような和服姿のことが多かった。初めての患者さんからすると、古閑義之先生をはじめとする助手の先生が森田先生に見えて、本物の森田先生は下働きのおじいさんに見えてしまうということもあったようである。


 私が一番好きな写真は最晩年の写真である。傘を手にして小さな乳母車にちょこんと座り、患者さんに押してもらって「散歩」した時の写真で微笑んでおられる。病気のため、体力的にかなり厳しい中でも、生の欲望に沿って生き尽そうとした姿勢が示されているように思う。大原健士郎先生は、著書『神経質性格 その正常と異常』(星和書店)の中でこの写真について次のように解説されている。


 森田は病身のため、晩年、乳母車で外出した。自動車よりも便利で、どこでも入っていける利点があった。患者に「恥ずかしいか」と尋ね、「平気だ」と答えると、「そんなことはないはずだ。素直になれ」と諭した。「恥ずかしくても、気分はあるがままに、やるべきことをやれ」という意味である。森田はどのような状況でも、精神療法を行った。


 診察室の中だけでなく、いつでもどこでも生活の中のあらゆる場面で精神療法を行うのが森田療法のすばらしいところである。現代の森田療法家でそれを実践している人がどれだけいるだろうか。

2018年7月 2日 (月)

神経質礼賛 1521.不潔恐怖だった森鷗外

 森鷗外(1862-1922)というと、どんな作品を思い浮かべるだろうか。私の世代では、高校の現代国語の教科書に取り上げられた『舞姫』を思い出す人が多いだろうと思う。これは鷗外自身をモデルにした小説だと言われる。主人公はドイツ留学中に美少女エリスと恋に落ち同棲するが、結局は出世のためにエリスを捨てて帰国する、というストーリーである。実際、鷗外の帰国後、ドイツ人女性が鷗外を追って来日するという事件があり、今日でも、その女性が誰でどんな人物だったかが議論されている。


 私は小学校3年の時に父の転勤のため横浜の高島台という所に引っ越した。当時は横浜港全体が見渡せた。転校した小学校でまず覚えたのが森林太郎(鷗外)作詞の横浜市歌だった。「♪わがひのもとはしまぐによ」で始まる文語体の詩で、栄えゆく港町横浜をうたったものだ。だから、鷗外というとまずこの歌を思い出してしまうのである。


 BSプレミアムで
620日に放送された「偉人たちの健康診断」は森鷗外の話だった。鷗外は作家である前に元々陸軍軍医であり、ドイツに留学して著明な細菌学者コッホの指導も受けた。分解能が高い最新の顕微鏡で種々の病原菌を観察してとてもショックを受け、それ以来極度の潔癖症になってしまったという。不潔恐怖の作家ということでは以前書いた泉鏡花(628)がいるが、鷗外も負けてはいない。野菜は必ず火を通してから食べ、果物ですら加熱して食べていた。自分の子供が不潔な物を触りはしないかと常に心配していたそうだ。


 しかしながら、不潔恐怖のために実生活に支障をきたすことはなく、軍医として最高位にまで出世し、作家というもう一つの自分を上手に使い分けていたのは、神経質性格を活かしきったからとも言えるだろう。

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