神経質礼賛 1528.禁断の食物
このところ明け方になっても気温が下がらず30℃近い。寝る前にエアコンを入れてタイマーで切るようにしているが、エアコンが切れると3時とか4時には目が覚めてしまう。仕方がないので、いつも起きる5時半までは横になっている。一昨日は土日月と当直勤務が続くので、少し早めの5時に起き出して、TVを点け、前日に届いた同窓会雑誌を読んでいた。すると、NHKニュースの中で、「松陰先生禁断の大福餅」が販売されているという話が出て、思わず雑誌を置いてTVに目を遣った。
幕末の思想家・教育者の吉田松陰(1830-1859)は江戸遊学中、必要な書を買うために非常に切り詰めた生活をしていた。几帳面な松陰は使ったお金を全部「費用録」に記している。食事は長州藩邸で炊いてもらった御飯を梅干しと味噌で食べ、腹八分目にしていて、酒は一切飲まなかった。しかし、そんな松陰がどうしても我慢できなかったのが大福餅だった。今のお金で1個60-70円程度だったというから、決して贅沢ではない庶民の食物である。それを多い時は月に6回買ってしまい、後悔の念にかられたのか、費用録には「自分にがっかりする」とまで書き込んでいるそうだ。松陰の生真面目さが伝わってくるとともに、禁断の大福を食べる至福の松陰先生が微笑ましくもある。やはり、人間には適度な遊び、休符も必要である。
我らが森田正馬先生の禁断の食物といえば、1506話に書いた茹で卵とカレーライスかもしれない。食べ過ぎを心配する奥さんの久亥さんに隠れて勤務先の病院に出向いて存分に食べておられた。しかしそれ以上の禁断は何と言っても酒である。森田先生は若い頃から大酒家だった。自宅兼診療所で森田療法を行うようになってからも、助手の佐藤政治医師をお供にして晩酌を楽しんでおられた。久亥さんは先生の酒量を減らそうとするが、森田先生も負けずに量を減らされないように出された酒の量を測ったという話まである。「もう半分」と先生から空の徳利を渡された久亥さんがそれを手にしたまま話し続けてなかなか立ち上がろうとしないのを見た佐藤医師が「飲ませてはいけない先生に飲ませてあげたい、という切羽詰まった心が勝って、病院でも飲ませ過ぎてしまうことがある」と言うと、久亥さんは即座に「あなたがそうなら、私はもっと飲ませたい」と返したという。強い夫婦愛が伝わってくる話である。
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