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2018年8月20日 (月)

神経質礼賛 1537.現在になりきる(2)

 昨日の朝は涼しくて爽やか。カラッと晴れていて、久しぶりに絶好のお出掛け日和。残念なことに月一回の土日当直なので、病院から一歩も出られない。病棟を巡回してから朝食を取る。その後、会議室の窓から富士山を写真に撮る。ちょうど東からジェット機が飛んできて、西へ向かって「一」の字の雲を描いているところだった。私は静岡に住んでいながら一度も富士山に登ったことがないし、これからも登ることはないだろう。こうして見て楽しむだけで十分である。


 森田正馬先生は富士登山にチャレンジされたことがある。森田先生53歳、昭和2年8月15日から19日のことである。妻子、母親、甥ら総勢7人で吉田まで汽車・電車で行き、河口湖を遊覧して一泊。強力2名を伴って一行は馬に乗って五合目まで行きさらに一泊。翌朝、そこから歩いての登山となったが、森田先生は体調不良のため六合目で断念し、家族と別れて強力1名と須走の五合目へと向かった。霧雨の中、喘息の呼吸困難、嘔気と下痢に苦しんで這うように進んだ。その時の体験をのちの形外会の場で患者さんたちに話しておられる。


 霧雨は降る。息は苦しい。山を降りるかと思えば、なかなか登る事が多い。ついにすべての想像・予想を絶って、この後、幾万歩あるか、永久に歩く心構えで、足元ばかりを見て、歩数を数えて行った。何千歩であったか忘れたけれども、ふと窟室のところへ到着した。それが目的の五合目の宿であった。この時にはなんの苦痛をも既に忘れていた。ただ永久に、足にまかせて歩くという気合があるのみであった。

 これが私の「現在になった」という事の体験である。その時には、自分が病気であるから、どんな大変が起こるかも知れぬとか、「其前を謀る」をいう。既往の持前の事を苦にやみ、嘆くというような繰り言・世迷い言がなく、また「後に慮る」といって、頂上に登れないのが残念だとか、この病気が大変になるのではないか、とかいうような取越苦労や予期恐怖とかいうものはない。ただその現在になりきっているという心境である。(中略)

 ここの患者たちも、頭痛は頭痛、不眠は不眠、強迫観念でも、その時どきに応じて、その時どきの現在になりきりさえすれば、それらの病症が皆消失する事を体験する事ができるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.140-141


 不安や苦痛から逃れたいのは誰しも同じである。しかし、そこから逃れよう逃れようとすれば、それらは追いかけてきて、悪循環を招くばかりである。不安なまま、苦痛を感じながらも、まずは気が乗らないまま、目の前のことに手足を出していれば、神経質人間の場合、いつしか、「現在になりきる」になっているのである。

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