神経質礼賛 1560.欲張りで良い
無欲恬淡(むよくてんたん)という言葉がある。欲がなく物に執着しないことを言う。仏教では人間が本能的に持っている五欲(①食欲、②色欲、③睡眠欲、④財欲、⑤名誉(権力)欲)が平常心を失わせる根源だとしている。欲が深いというと悪いイメージがあるが、森田正馬先生は欲張りで良いと説いておられる。
神経質の人は、ズボラやルンペン(乞食・浮浪者)を見ると、物に拘泥しなくてよいとか・無欲恬淡でよいとかいって、これをうらやむ事さえもある。しかし僕のところの修養ができて来ると、初めて自分が、物に拘泥し・面倒がり・あれもこれもと欲望が強く・絶えず心がハラハラとして、向上発展の力が泉のようにわいてくるという事を喜び・感謝するようになる。
(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.685)
完全欲の強いほどますます偉い人になれる素質である。しかるにこの完全欲の少ないほど、下等の人物である。この完全欲をますます発揮させようというのが、このたびの治療法の最も大切なる眼目である。完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。学者にも金持にも、発明家にも、どこまでもあく事を知らない欲望がすなわち完全欲の表われである。我々の内に誰か偉くなって都合の悪い人がありましょうか。偉くなりたいためには、勉強するのが苦しい。その苦しさがいやさに、その偉くなりたい事にケチをつけるのである。あの人が自分に金をくれない、それ故にあの奴は悪人である、とケチをつけるようなものである。偉くありたい事と差引きして考える必要はない。これを別々の事実として観察して少しもさしつかえはないのである。この心の事実を否定し、目前の安逸を空想するのが、強迫観念の出発点である。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.32)
神経質人間はよりよく生きたいという生の欲望が人一倍強い。それは良いことなのだが、どうかすると理想が高過ぎたり他人と比較し過ぎたりして、自分はダメだと諦めてしまうことがある。向上発展欲が強いのに、手間と労力を計算して無理そうだと努力を放棄してしまうこともある。理屈をこねずにその場その場でできることを一つずつやっていけば、自然と「ものそのものになる」になっていく。神経質がひとたび動き出せば簡単には止まらない。粘り強く続ける持続力は抜群である。そして気が付けば人並み以上の成果が得られているのである。
最近のコメント