神経質礼賛 1569.金箔瓦
現在、駿府城天守台の発掘調査が行われていて、金箔を貼った瓦が次々と出土している。先月、発掘現場の見学説明会があり、見に行ってきた。天守の規模は江戸城をしのぐ日本最大級だったそうである。先週からは発掘現場内のプレハブ小屋で瓦の展示が始まったので、また見に行ってきた。金色が少し残った瓦の破片がいくつか展示されていた。元は金箔を漆で貼りつけたものだったという。もっとも、写真パネルで展示された金箔が多く残っているものは4年前に復元された坤櫓(ひつじさるやぐら)に保管・展示されていて、「100円払ってそちらで見て下さい」とのことだった。そちらはまた日を改めて、ゆっくり見に行くことにする。
この金箔瓦は秀吉の家臣、中村一氏が駿府城主の時のものである。1590年の小田原征伐の直後、秀吉は家康を関東に国替えさせた。家康の力を削ぎ落し、京から遠ざける狙いがあったと考えられている。駿府城の高くそびえる天守の屋根には遠くからでもハッキリ見える金箔を貼って、秀吉の権力や財力を誇示したのだろう。
金の茶室などで派手好きだと思われている秀吉だが金を無駄遣いしていたわけではない。自分の宣伝効果が高いことに思いきり金を注ぎ込んでいたのであって、金箔瓦もその一つなのだろう。それに比べ、神経質人間の家康は徹底的に質素倹約・実用本位である。初期の江戸城の入口の上がりには船板を流用していて、「見苦しいから立派なものにしましょう」と家臣が言っても聞き入れなかったというし、駿府城でも目立つ金具は一切付けさせなかったという。そうして家康が蓄えた金により江戸幕府は長続きし、長く平和が保たれたのである。
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