神経質礼賛 1572.西洋の風と東洋の風
三島森田病院には森田正馬先生の次のような色紙が保管されている。
ニイチェ曰く
南風よ起れ 北風よ来い 暴風よ渦巻け 我は敢然として其中を歩むのみ
形外曰く
南風は涼し 北風は寒し 暴風は恐ろし 我は只そんな事いって居るひまなし
日本のような台風はないにせよ、ドイツでも暴風はありうるだろう。どんな風が来ようと怖くないぞ、自分はその中を突き進んでやるぞ、というのがニーチェ流でいかにも格好いい。一方、森田流は、素直に暴風は恐ろしいと認め、状況に応じてその時にできることをやっていくというものである。ニーチェの場合、自然の力に屈服せず人間の力で自然をねじ伏せようとする西洋的な考え方が根本にあるように思う。東洋的な考え方だと、人間は自然にはかなわないと認め、自然の力に逆らわずに、仙厓さんの「気に入らぬ風もあらふに柳哉」(89・895話)のように受け流したり、あるいは風雨が収まるまで待つ、ということになるだろう。さらに、暴風の時でもできることはいくらでもある、というのが森田流だ。状況に応じてその時々できることをやっていれば、「そんな事いって居るひまなし」なのである。不安や神経症症状という風、時には暴風への対処法も同様である。
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