神経質礼賛 1582.背中を押す
一昨日は高校同期の新年会があった。昨年に亡くなった人の話が出る。「あんなに丈夫な奴が・・・」「エー!一緒に飲んだばかりなのに」「バスケ部、もう4人死んでるぜ、次は俺の番かよ」などと声が上がる。人の命は全くわからないものだ。出欠の返信ハガキが回覧で回ってきてそれを見ると、近況にガン闘病中と書いている人もいる。こうして生きていられるだけで本当にありがたい、と痛感する。もっと今を大切にしなければ、と思う。
テーブルの横の席は3年の時の同級生で、大手建設会社から公立大学工学部の教授に転身した人だった。「ウチの大学の生徒たちは地頭力は悪くないんだけどもう一息頑張ろうというところがないんだな。それがここに集まっている連中との違いなんだよな。俺はハラスメントと言われかねないけど、レポートは厳しく指導しているぜ」と言う。確かに進学校出身者だと、遊びたいのをガマンして試験勉強に打ち込んだ経験を多かれ少なかれ持っている。そうして壁を打ち破った経験は社会に出てからも役に立つことがある。教育者はもっと若者の背中を押してやるべきだ、と彼は言う。
神経症の治療も同じような面がある。薬で症状を抑えるのはてっとり早いけれども、根本的な解決にはならない。辛いながらも行動していくうちに自然と健康的になっていく体験を踏むと、もしもまた同じような状態になっても自分の力で壁を乗り越えることができるのである。これが森田療法での治癒像である。森田正馬先生は、神経症の症状のために仕事や学業を放棄しないように指導しておられた。
神経質の患者を治療するに當つては、患者に学校を休学させたり、休職・辞職をさせたりしては、決していけない。こゝで最も困る事は、一般の医者が、神経衰弱といへば、「今一年位、休学しても、元気を恢復して、将来大に勉強した方が得策だ」とか、「職業も大事だけれども、身体には代へられぬ」とかいって忠告する事である。実は患者は、休養のために一年三年と、益々悪くなるばかりで、決して其医者の予定通りに、治るものではない。(白揚社:森田正馬全集 第6巻 p.183)
神経症ではその人の状態や能力を勘案した上で、背中を押してあげることも必要なことがある。
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