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2019年2月25日 (月)

神経質礼賛 1600.日常生活の時間

 森田正馬先生は探究心が強く、たとえ日常生活の些細なことであっても科学的な目で見て記録されるのが常だった。雑誌「神経質」には次のような記事が掲載されている。


余が日常生活に於ける種々の時間

洗面 四分十五秒

洗面と髯そり 八分三十秒

排尿 四十五秒

便通 六分

懐中時計をねぢる 二十秒

新聞を讀む(朝刊) 七分   (病中) 三十分乃至一時間

歴代天皇御名讀踊 一分四十五秒

教育勅語 二分

古事記(仮名くづし二千三百八十字) 十二分

普通時・夕食 十七分

ざるそば一 九分

洋食一皿 十五分

入浴(一月頃) 十四分  (白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.514-515


 現代人には馴染みのない項目もある。今では腕時計は超小型電池や太陽電池で動くが、昔は毎日ゼンマイを巻かなければならなかった。几帳面な人でないと巻くのを忘れて時計が遅れたり止まったりしてしまう。決まった時刻に毎日きっちり巻くのは神経質人間が得意とするところだった。歴代天皇名や教育勅語は昔の小中学校では暗唱させられたものである。古事記の音読は三島森田病院に入院する神経症の患者さんでも行われていた。それ以外の項目の時間は自分と比べてもまあ似たようなものだなあ、と思う。


  それにしても、どうしてこういったことを記事に書いて神経質の人々に読ませようとしたのだろうか。強迫神経症、特に不潔恐怖の人に読ませたかったのではないかと私は思う。強迫観念に囚われている人は行動が止まったり遅くなったりする。必要以上に何度も確認していたのでは何をやるにも時間がかかってしまう。手を洗うだけで5分も10分も続けるのは時間と水の無駄使いであり、手も荒れて皮膚がボロボロになってしまう。何もいいことはない。1回の入浴に6時間とか8時間かかる人がいて常人から見れば全く馬鹿げているのだが、本人は不潔なものが付いてしまったから、と何度も洗いなおしてちっとも前へ進まないのである。こういう強迫は理屈抜きで日常生活の中で行動を是正していくのが一番である。健康人らしくすれば健康になれる。時間は絶対的な価値基準である。森田先生と同じような時間で日常生活を送るようにすれば、治っている。そういうことなのだと思う。

2019年2月22日 (金)

神経質礼賛 1599.金無医

 2月は日数が少ない上、年度末なので、せわしない。以前書いたように確定申告(1357話)があるのもその一因である。先送りすると大変なので、すぐに片づける森田式がよい。昨日は休診日だったので、朝から確定申告の書類を作る。源泉徴収票を用意して国税庁のホームページに入力していく。給与所得は勤務先の病院の他は県からのものだけだ。県の方は保健所の精神保健相談と措置診察料を合わせて例年10万円程度だが、給与所得にあたるので、しっかり申告しなくてはならない。雑所得はわずかで、合計20万円以下は国税の申告義務はないが、これも怠ると、後で市役所から通知が来て市民税を申告しに出頭せよ、となって厄介なので、きっちり申告しておく。今回は「放送謝金 出演」というものがあったのが例年と違うところだ。これは今後二度とないだろう。


 ホームページで確定申告書を作るのはそれほど大変ではない。源泉徴収票を順番に入力していくだけである。ただし、雑所得の入力画面が支払者の名称と住所が源泉徴収票とは上下が逆になっているので、そのまま入れてしまうと逆になってしまう。この辺は直してほしいところだ。昨年まで扶養家族として妻の名前を入力し、妻のマイナンバー通知書・運転免許証のコピーも添付していたが、妻の扶養控除がなくなってしまったため、今年からはなしだ。税金の上では単身者扱いになってしまった。そのため結構増税になっている。取りやすい一部のサラリーマンから税金を取ろうという国の策略だ。いずれは妻の扶養控除の年収条件をだんだん下げて行くことは目に見えている。昔からトーゴーサンとかクロヨン(税金を捕捉される率がサラリーマン:自営業者:農林水産業者が10:5:3あるいは9:6:4であること)と言われてサラリーマンや
OLは割を食っていたが今ではもっと差が開いているような気がする。最後に職業欄に「きんむい」と入力したら、「金無医」と変換されて、思わず苦笑する。申告書をプリントアウトして、歩いて税務署まで出しに行く。その帰りに食材を買って母の所に届け、掃除をする。やることは午前中で大体片付いた。

2019年2月18日 (月)

神経質礼賛 1598.焼きそば

 勤務先の昼の病院食で休診日の木曜日と日曜日は麺類であることが多い。木曜日は食べられないけれども月一度の土日当直の日曜日には麺料理を食べることになる。昨日の昼は焼きそばだった。具はキャベツ、人参、豚肉、紅ショウガ、ソース味で青のりが乗った極めてオーソドックスなものである。ただ一つ、普通の焼きそばとの違いは麺が短く切られている点である。高齢者にも食べやすくする工夫なのだろうと思う。最初から短くカットされた麺を仕入れて使っているのか、それとも調理段階でカットするのかちょっと気になる。栄養士さんに聞いてみようかと思う。

 

 焼きそばでは同じ県内の富士宮焼きそばが有名である。B級グルメのB-1グランプリで優勝して全国的に知られるようになった。独自の蒸し麺と肉かす(油かす)と削り粉を使っているのが特徴である。独特の麺は、焼きそばを買って長時間かけて山梨県に持ち帰るお客さんのために、麺が傷まない工夫から始まったと言うし、肉かすを使うようになったのは、戦後の物資不足の時に天かす(揚げ玉)の代わりに使ったのが始めだそうだ。まさに「必要は発明の母」である。

 

 宣伝しなくてもコンスタントに売れているのが、どこのスーパーにも必ずと言っていいほど置いてあるマルちゃんの焼きそば(一袋3人前)だという。余りものの野菜を炒めて軽い昼食や子供のおやつになるから便利だということなのだろう。もっとも、生めんやインスタントの袋麺よりはカップ焼きそばの方が家庭では一般的だろうか。カップ焼きそばだと湯切りしても水っぽい感じが残りやすい。少し早めに湯切りして蓋をはずし、電子レンジで水分を飛ばすとおいしく食べられるという話もあるので、今度食べる機会があったら試してみよう。

2019年2月15日 (金)

神経質礼賛 1597.見かけなくなった検札

 車掌さんが帽子を脱いで一礼し「切符を拝見させていただきます」と挨拶して席を回ってくる検札を東海道新幹線ではこのところ見かけなくなった。小心者で神経質な私など、別に悪いことをしているわけでもないのに、「変な疑いをかけられたらどうしよう」と何となく心配になるのが常であり、車掌さんが入ってきたらすぐに見せられるように切符を手にし、早く通り過ぎてくれないかな、と思っていた。これがもっとひどければ神経症に他ならない。平日の朝はないものの土曜日の朝、静岡始発上り自由席の1両に3、4人しか座っていないガラ空きの自由席では富士川鉄橋前後で検札があったし、平日の下り自由席もやはり富士川鉄橋あたりで検札が来た。たまに遅れて興津のトンネル付近で回ってくることがあった。私は静岡駅ですぐに降りられるようにそのあたりでは席を立ってデッキのドア近くに移動するのが常だ。車掌さんが検札に来てすぐ立ち上がると、いかにも間が悪い。何か逃げ出すように思われたら嫌だなあと感じていた。ところが、ここ1年くらい、全く検札に遭遇していないのだ。2016年春から東海道新幹線の指定席とグリーン車では検札が廃止されているが、自由席に関してはそういう話は聞いていない。


 考えてみれば、いろいろな変化があった。東海道新幹線「こだま」ではワゴンによる車内販売が廃止になり、殺人事件があってからは警備員が巡回するようになった。日中は飛行機の客室乗務員風の恰好をした女性も巡回するようになり、もしかして婦人警察官なのかなあ、と思いきや、この人たちは
JR東海子会社から派遣されたパーサー業務の人たちで、案内業務と安全確保の巡回を主な仕事にしているらしい。パーサーが置かれたことで車掌が3人から2人に減員となり、それで、検札もしなくなったのかなあ、と思っている。検札を気にせずゆったり座っていられるようになったのはありがたい。

2019年2月14日 (木)

神経質礼賛 1596.要約力

 先週の土曜日には年1回の精神保健指定医会議があった。会議とは言っても、実際はお役人様方の有難いお話を聞くために県内の各精神科病院から指定医が集められているだけのことである。会場がある市に住んでいるという理由で、私の勤務先からは私だけが毎年参加している。例によって県内の措置診察や医療観察法の実施状況などが行政担当者から報告され、その後に講演があった。今年は指定医制度の変更についての話だった。精神保健指定医になるには5年以上の実務経験を積んでから規定の症例レポートを提出して審査を受ける。従来は7症例で、そのうち1例が児童思春期症例であり、なかなか症例を経験できなくて苦労する医師が多かったが、それはなくなり5症例で良いことになった。だだし、従来はレポート審査だけだったのが、今年からは口頭試問が行われるようになるという。もし、緊張しやすい私が新規に申請する立場だったら、口頭試問は相当なプレッシャーになるだろうなあ、と思う。なお、レポートの字数制限に関しては、法律関係の委員からはもっと字数を大幅に増やせ、という意見があったが、精神病院協会の委員から少ない字数に要約することは大切なことだと反論があり、それが通ったという裏話を聞いた。


 要約するには全体を見渡してどれが重要でどれが枝葉末節の部分かを見極めなくてはならない。要約力があるかないかで本当に理解できているかどうか、さらにはその人の能力がハッキリわかってしまう。私たち神経質人間は時に些細なところにこだわりすぎて全体を見失う「木を見て森を見ず」となるきらいがあるので注意が必要である。特に強迫神経症の人たちは、どうでもよいことにこだわってそこに膨大な時間と労力を空費している。本当はもっと重要度が高いことがあるはずなのに、である。強迫観念に囚われていると重要度や優先度が正しく判断できなくなってしまっている。強迫を治したい人は、自分の価値基準はさておき、健康人の真似をして健康人らしく行動してみる。それが早道である。

2019年2月11日 (月)

神経質礼賛 1595.不要なダイレクトメール

 自宅や勤務先に郵送されてくる郵便物にはダイレクトメールが多く含まれている。関心のある分野のものはまだいいとして、不要な郵便物はゴミでしかないので迷惑である。もう二度と不動産を買う(というより「買える」)可能性がない私に分厚いカタログの都心マンション雑誌を送り付けられても困るし、この時期は医学部受験予備校からのDMが繰り返し盛んに送られて来るがそういう年頃の子供はいないので用なしである。


  ある医学部受験予備校からの封筒に、「
DMの受け取りを拒否される方は0120-69-4050におかけください。当協会会員各社へ連絡し発送データから削除させていただきます。 特定非営利活動法人 日本個人データ保護協会」と書いてあった。この協会をネット検索してみると、特にいかがわしい組織ではなさそうである。最近、この組織を名乗る振り込め詐欺が横行しているようなことが書かれている。電話の他、氏名と住所を画面入力して申し込むこともできる。どうしようか、と迷う。が、結局申し込まないことにした。DMを送り付けてくる会社がみなこの協会に入っているわけではないので、ブロックできるのは一部である。それに、入力したデータが漏れて、それが悪用される可能性が100%ないとは言い切れない。このご時勢、どこで落とし穴に嵌るかわからない。いくら神経質があっても足りない。今まで通り、不要なダイレクトメールは宛名がわからないように捨て、カタログ冊子類は雑誌と一緒に廃品回収に出すことにした。

2019年2月 8日 (金)

神経質礼賛 1594.鳥害対策

 先週、我が家の前の道路を西に30mほど行った所が丸1日車両通行止めとなり、電力会社が電線工事をしていた。一体、何をしていたのだろうかと後で見てみると、電柱には鳥除けの樹脂製のトゲトゲが付いたプレートが取り付けられ、その電柱付近の電線には黒い疑似鳥が付けられていた。すぐ下は月極め駐車場なので、鳥の糞がひどくて困るという苦情が電力会社に入り、鳥害対策となったのだろう。自動車のボディに鳥の糞が付くと厄介である。早めに洗い落せばいいが、時間が経ってしまうと跡が残ってしまうことがある。スーパーの駐車場で買い物を終えて戻ってきた時に鳥の糞が付いているのを見つけると慌ててテッシュペーパーなどで拭き取り、次からはその場所は避けて他の場所に駐車するように気を付けるけれど、自宅では避けようがない。また、洗濯物を外干ししていて鳥の糞を付けられたら洗い直しになってしまう。家のすぐ前の電線や電話線に鳥がよく集まってきて自動車や洗濯物が汚されてあまりにも困るようならば、電力会社あるいはNTTに鳥害対策を依頼してみることだ。


 近頃は、駅周辺の繁華街でカラスやハトばかりでなくムクドリの大群による糞害に困っているという話をよく聞く。いつも通勤で歩く三島駅南口もその例外ではない。不潔恐怖の人ならひどく気になるだろうし、そうでなくても鳥インフルエンザの騒ぎが起きている時などは神経質人間としてはちょっと気になる。鳥が嫌う大きな音をスピーカーで流して追い払うようなことが各地で行われている。中には鷹匠が鷹を飛ばせて駅周辺の鳥を追い払うことを試みている所もあるそうだ。いずれにせよ効果は一時的で時間が経つと鳥たちがまた戻ってきてしまうので、根本的な解決は難しい。景観対策や災害対策として行われている電柱の地中埋め込みが鳥害対策にも有効であるかと思う。

2019年2月 4日 (月)

神経質礼賛 1593.「負け嫌い」の活用法

 同じく水谷啓二さんの「生命の言葉」の中に、「負け嫌い」の活用法、という一文がある。水谷さんは数多くの神経症の人と生活を共にして、負け嫌いの人が非常に多いことに気づかれた。そして、負け嫌いは「勝気」と「負け惜しみ」という二つの形で現れるという。根本は人より優れたい・負けたくないという点が共通しているが、その人が社会生活において攻撃的な生き方をしていると「勝気」になり、防衛的な生き方をしていると「負け惜しみ」になるという。「勝気」の人は外向的、積極的であり、人のアラ探しをし、優越感を満足させようとする。一方、「負け惜しみ」の人は、負けたくないので、競技や遊戯、難しい仕事には手を出さず、引っ込み思案になる。内向性の神経質にはこのタイプが多い。しかし実際のところは程度の差はあれ、一人で両方を持ち合わせている、と水谷さんは分析している。負け嫌いは後天的な養育環境や社会の影響により形成され強化されるけれども、根本的には森田先生が言われるように先天的に「生の欲望」が強いことからきているから、それをなくすことは不可能だし、なくしてはいけない。その性分を生産的、建設的な仕事に発揮し、さらには人のために生かせばよい。水谷さんは、「負け嫌い」の人には、便所掃除・ドブ掃除など、自らを低くして人々の幸福に奉仕するような仕事に精を出すよう勧めておられた。


 神経質人間は、強力性が前面に出て「勝気」に見えたかと思えば、弱力性が前面に出て「負け惜しみ」に見える時もある。相手や周囲を値踏みして、自分が優位だと思うと「勝気」になり、自分が劣ると思うと「負け惜しみ」になる、という面もありそうだ。ともあれ、その人の価値はその行動で決まる。森田先生は、人の役に立つよう尻軽く行動することを勧めておられた。それは結果的に自分のためにもなってくるのである。

2019年2月 3日 (日)

神経質礼賛 1592.皆身にぞある

 今日は節分。各地の神社や寺では豆まきの儀式が行われ、日曜日ということもあって、福を求める人々で賑わっている。恵方巻き(1352話)を買い求める人もいるだろう。毎年、大量に売れ残り大量廃棄してしまっていることが問題となっているけれども、相変わらずスーパーや惣菜店などには恵方巻きコーナーが出現して様々な恵方巻きが並んでいる。我が家では、子供が小中学校の頃は、学校の話題についていけないと困るだろうと、恵方巻きを買っていたが、それ以降は買っていない。今年のスーパーのチラシには「恵方呑み」の文字があって日本酒が並んでいた。グラスで一気飲みはせず、お猪口で一杯にした方がよさそうだ。


 鬼を忌み嫌い福を求めるのは誰も同じである。しかし、毎日のニュースを見れば、子供を虐待して殺すとか、女性を拉致して殺すとか、あおり運転で人を殺すとか、心を鬼に支配されてしまっている人間の話題が目につく。その一方で、人助けをした人の話題もあって、ほっとさせてくれる。鬼も福(仏)も同じ人間の中に併存するのだ。一休さんの狂歌「極楽は 西方のみかは 東にも 北(来た)道さがせ 南(皆身)にぞある」を思い浮かべる。


 神経質を生かして人の役に立って大いに認められ人にも自分にも福をもたらすか、症状を自分で作り出して自分や家族を苦しめるかは、本人の行動次第。神経質の極楽もまた「皆身にぞある」なのである。

2019年2月 1日 (金)

神経質礼賛 1591.卑近な目標を立てよ

 1588話の水谷啓二さん(1912-1970)は森田正馬先生の治療を受けて神経症が治った後も森田先生の指導を受け続け、形外会の幹事を務め、森田療法の普及に努めるようになる。やがて「生活の発見」誌を創刊し、さらには自宅に「啓心寮」を開き、神経症に悩む人々の指導にあたられた。そんな水谷さんの名言「生命(いのち)の言葉」が生活の発見誌20182月号と3月号に再掲されている。その中で、これはいいな、と思ったのは「卑近な目標を立てよ」というアドバイスである。「少し努力すれば達成できる卑近な目標を立てることが大事である。そうすると、目標を達成するたびに元気が出て、張り切って次の目標達成に進むことができる。あまり遠大な目標ばかり立ててその達成を急ぐと途中でへばってしまい、おれはダメだとかいって劣等感にとらわれることにもなる」と言っておられる。


 水泳の練習を思い出してみるといい。泳げない人が、いきなりクロールや平泳ぎで50m泳げるようにといっても無理な話である。まずは浮く練習から始め、バタ足で前へ進む練習をし、息継ぎを覚え、手の動きを加える。スイスイ泳いでいる友人が羨ましいけれど、仕方がないので、それを横目で見ながら練習する。次の目標で5m泳げるようになりたい、プールの横の端から端まで泳げるようになりたい、と少しずつ進歩していく。そうなると25m泳げるようになる日は近い。次はターンを覚えて50m、と一つ一つ目標を達成しながら少しずつ上達していくのである。

 水谷さんが言われた「遠大な目標ばかり立ててその達成を急ぐ」というのは理想が高く欲張りな神経質人間にはありがちのことである。そして、「どうせダメだ」に陥りやすい。下手をすると、頭で考えただけで行動しないうちに投げ出してしまうこともある。まずは、手を付けやすいところから始めて少しずつポイントを積み重ねていくのがミソである。そうなればしめたもの。森田先生が「神経質は重い車」と言われたように、一旦動き出したら今度は簡単には止まらない。わずかなポイントの積み重ねがいつしか大きな成果にもつながっていくのである。

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