神経質礼賛 1600.日常生活の時間
森田正馬先生は探究心が強く、たとえ日常生活の些細なことであっても科学的な目で見て記録されるのが常だった。雑誌「神経質」には次のような記事が掲載されている。
余が日常生活に於ける種々の時間
洗面 四分十五秒
洗面と髯そり 八分三十秒
排尿 四十五秒
便通 六分
懐中時計をねぢる 二十秒
新聞を讀む(朝刊) 七分 (病中) 三十分乃至一時間
歴代天皇御名讀踊 一分四十五秒
教育勅語 二分
古事記(仮名くづし二千三百八十字) 十二分
普通時・夕食 十七分
ざるそば一 九分
洋食一皿 十五分
入浴(一月頃) 十四分 (白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.514-515)
現代人には馴染みのない項目もある。今では腕時計は超小型電池や太陽電池で動くが、昔は毎日ゼンマイを巻かなければならなかった。几帳面な人でないと巻くのを忘れて時計が遅れたり止まったりしてしまう。決まった時刻に毎日きっちり巻くのは神経質人間が得意とするところだった。歴代天皇名や教育勅語は昔の小中学校では暗唱させられたものである。古事記の音読は三島森田病院に入院する神経症の患者さんでも行われていた。それ以外の項目の時間は自分と比べてもまあ似たようなものだなあ、と思う。
それにしても、どうしてこういったことを記事に書いて神経質の人々に読ませようとしたのだろうか。強迫神経症、特に不潔恐怖の人に読ませたかったのではないかと私は思う。強迫観念に囚われている人は行動が止まったり遅くなったりする。必要以上に何度も確認していたのでは何をやるにも時間がかかってしまう。手を洗うだけで5分も10分も続けるのは時間と水の無駄使いであり、手も荒れて皮膚がボロボロになってしまう。何もいいことはない。1回の入浴に6時間とか8時間かかる人がいて常人から見れば全く馬鹿げているのだが、本人は不潔なものが付いてしまったから、と何度も洗いなおしてちっとも前へ進まないのである。こういう強迫は理屈抜きで日常生活の中で行動を是正していくのが一番である。健康人らしくすれば健康になれる。時間は絶対的な価値基準である。森田先生と同じような時間で日常生活を送るようにすれば、治っている。そういうことなのだと思う。
« 神経質礼賛 1599.金無医 | トップページ | 神経質礼賛 1601.当て事と、越中褌(ふんどし)とは、前からはずれる »
« 神経質礼賛 1599.金無医 | トップページ | 神経質礼賛 1601.当て事と、越中褌(ふんどし)とは、前からはずれる »
コメント