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2019年4月29日 (月)

神経質礼賛 1620.敗者復活

 今年は今川義元公生誕五百年ということで、この連休中は駿府城公園内で今川復権まつりのイベントが開催される。昨日は天気が良かったので、散歩がてら静岡浅間神社内にある文化財資料館の「今川義元の生涯」と駿府城巽櫓(たつみやぐら)の「今川ファミリー ゆかりの地をめぐる」という展示を見に行ってきた。

  今川義元(1519-1560)というと、大軍を率いていながら桶狭間の戦いで信長に敗れて討ち取られた残念な人であり、お歯黒をして輿に乗っていた公家かぶれのダメ大名というイメージがすっかり定着してしまっている。しかし、実際の義元は優れた領国経営能力を発揮し、武田氏や北条氏と巧みに渡り合い、駿河・遠江・三河の三国を支配し、「海道一の弓取り」と呼ばれていた。現在の静岡の街の基礎を作った功績はもっと評価されるべきである。義元は今川氏親の五男として生まれ、4歳で出家させられ、京都の建仁寺や妙心寺で修業を積んだ。だから教養や文化的才能は非常に高い。たまたま兄たちが亡くなったため還俗し、異母兄と戦って勝利し、今川家を継いでいる。今川家の家紋「足利二つ引両」は将軍の足利家や吉良家と同じである。足利家が途絶えた時には吉良家とともに将軍を継承する立場の名門だった。輿に乗っていたのも、田舎の下剋上大名とは格が違うことを見せつけるためのパフォーマンスだったと今では考えられている。人質に過ぎないのちの家康・竹千代少年に高い教育を受けさせ、親族を嫁がせたあたりを見ても、竹千代の素養を見出して自分の一族として活躍させようとした先見の明がうかがえる。桶狭間の戦いでは突然の豪雨が信長の奇襲を招き、不運だったとしか言いようがない。後を継いだ氏真(1538-1615)はさらに無能・暗愚の烙印が押されている。蹴鞠と和歌が上手だったから、後世散々な言われようである。それなりに領国経営に力を尽くしたようだが、武田氏からは見くびられ、国侍たちの離反により、桶狭間の戦いから9年後には掛川城を明け渡して妻の実家・北条氏に身を寄せ、大名としての今川家の終焉を招いた。もっとも、家康の許しを得て江戸時代には高家として幕末まで代々家が続いたのであるから、案外、負けるが勝ち(276話)、ということなのかも知れない。

2019年4月26日 (金)

神経質礼賛 1619.万葉の歌

 いよいよ来週には元号が変わる。まだ馴染んでいないため、つい患者さんの診断書に「平成31年6月末日まで休養加療を要す」と書いてしまい、あわてて「令和元年」に書き直すありさまである。最近は新元号の考案者とされる万葉学者・中西進さんのインタビューが放送され、万葉集がにわかに脚光を浴び、書店には関連本が並んでいる。

 出典は大伴旅人(おおとものたびと665-731)。無類の酒好きであり、酒を題材とした歌も多く、「なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ」(人間よりも酒壺になりたい)とまで歌っていて、現代に生きていれば酒場歌人としてTV出演していたことだろう。晩年に大宰府の長官に赴任。自宅で開いた宴での梅花の歌三十二首の序文から二文字を抜き出して組み合わせたものが今回の新年号となっている。

 私は万葉集にそれほど強い興味はなく、高校の日本史・古文で学んだ程度の知識しか持ち合わせていない。それでも、大伴旅人と同じ時期の歌人、山上憶良(やまのうえのおくら660?-733?)の歌は強く印象に残った。憶良も晩年に筑前守となっていて、旅人と親交があったようだ。「憶良らは 今はまからむ 子泣くらむ それその母も 吾を待つらむ」「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」は家族愛を強く感じさせる名歌だと思う。そして貧窮問答歌は弱い立場の人々への思いやりを感じさせる。庶民の生活の惨状を訴える政権批判とも受け取られかねない長歌とセットになった反歌「世間(よのなか)を 憂しと恥(やさ)しと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」はグッと心に沁みてくる。ふと「コンドルは飛んでいく」の歌詞も頭に浮かぶ。現代のサラリーマンやOLそして学生や年金生活者も同じだ。辛くても何とも仕方がない、あるがままに今を生きていこう。

 40年ほど前、私が大学生の頃、日曜日の昼のNHK-FMの番組に歌手のペギー葉山(1933-2017)さんと万葉学者の犬養孝(1907-1998)さんが出ていて、万葉集の名歌をテーマとした十曲からなる「恋歌 万葉の心を求めて」というアルバムが紹介されていた。ペギーさんの歌とともに万葉集の元歌を犬養さんが詠んで解説するというものだった。食費を切り詰めている貧乏学生だったけれども、どうしてもこのLPレコードが欲しくなって買ってしまった。このアルバムの最初と最後に収録されているのが山口洋子作詞・大塚博堂作曲の「あかねさす紫野」。元歌は、中大兄(天智天皇)と大海人(天武天皇)の兄弟から愛された額田王(ぬかたのおおきみ)の「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」。これほど妖艶なペギーさんの歌を聴いたことはない。この歌が消えてしまうのはもったいない。万葉集に注目が集まる今、どなたかカバーして広めてくれないかな、と思うこの頃である。

2019年4月22日 (月)

神経質礼賛 1618.病院敷地内禁煙

 昨年の健康増進法改正に伴い、今年の7月からは全国の学校、病院、行政機関が敷地内禁煙となる。昨年末の段階ですでに全病院の約6割が敷地内禁煙を実施しているとの報道があった。精神科病院では実施が遅れていて、法の施行限度一杯の7月からという病院も少なくない。私の勤務先の病院も同様である。今年になって、7月から敷地内禁煙となることを周知するポスターが院内のあちこちに貼られている。そうなると、喫煙所はすべて撤去され、職員が病院敷地内の駐車場の自分の車の中で喫煙するのも違法行為となる。喫煙後30分位は有害物質を周囲に巻き散らすことになるから、このあたりは徹底する必要があるからだ。

 私が研修医になった頃の精神科病院はどこも病棟に入るとタバコとカビの臭いがしみついていた。廊下に座り込んで、ぼんやりとタバコを吸い続けている患者さんたちの姿が目立った。入院患者さんの多くは当時精神分裂病と呼ばれていた統合失調症の患者さんたちであり、服用している薬はセレネース(一般名ハロペリドール)が多かった。定期的な血液検査の際に一般的な血算や生化学検査の他にこのハロペリドール血中濃度も測定していた。すると、処方量が多いのに血中濃度が異様に低い人たちがいた。怠薬がないか看護師さんにチェックしてもらってもきちんと服薬している。こうした人は概してヘビースモーカーだった。なぜだろうと思って調べてみると、海外の英語の文献から、喫煙により肝臓での薬剤クリアランスが高まり、血中濃度が低下していることを知った。患者さんが喫煙することで経験的に薬の血中濃度を下げて副作用を回避しているのではないか、一種の拒薬とも考えられる、という考察が印象に残った。今では肝薬物代謝酵素のCYP1A2誘導によるクリアランス上昇によるものだということはよく知られている。抗精神病薬ジプレキサ(一般名オランザピン)の添付文書には相互作用の項目に「喫煙」ときちんと記載されていて、喫煙者では非喫煙者よりもクリアランスが37%上昇(それだけ薬の効果が減弱)したとの調査結果も書かれている。喫煙者の入院患者さんたちはタバコが吸えなくなることを今から非常に恐れているが、こちらとしては、薬の処方量の見直しが必要になる患者さんが続出することを心配している。

2019年4月19日 (金)

神経質礼賛 1617.静かに急げ

 私のような神経質人間は、どうも二つ三つのことを同時に処理するのは苦手である。苦手と言うよりも正確には一つに集中できない状況を非常に嫌っていると言った方が適切だろう。今やっていることを中断して他のことをやらなければならないと強いストレスを感じてしまう。一つずつ集中して処理していけると気分が良い。しかし、実生活ではそううまくはいかない。例えば、外来診察中にも、病棟職員から入院患者さんについての急ぎの報告が入って指示を求められ、外来患者さん本人あるいは家族から突然あれこれ相談の電話が入ってきて、ケースワーカーさんからは入院依頼のケースの話があり、事務員さんからは急ぎの書類書きの依頼が入り・・・となるともう頭の中はパンク寸前である。そんな時、外来の看護師さんは焦る私の顔を見て、バタバタ落ち着きなく動いているのを見て、またパニクッてるな、と思っているに違いない。これが、神経質であっても森田正馬先生のように達人の域に達すると、マルチタスクも自由自在になる。

 なおここで、私の日常の行動について、思いつくままに、ちょっとお話ししてみたい。私は外へ出掛けるに、洋服に着替えるとき、鏡の前で、静かに立ってするとかいう事はない。常にあちこちと動きながら、持って行くカバンを用意したり、机の上の物を整理したり、同時に二つ三つの仕事をしている。ボタンなども、必ず歩きながら、かけている。立ったままでかけるとかいう事はない。こんな状態のときには、物を忘れるとかいう事はないが、少し身体の加減が悪いとかで、洋服を着ると、カバンを用意するとを別々にすると、心が落着き過ぎて、かえって間違いや忘れ事が多いのである。
 こんな心理は、中年以後の事かと思うが、これを他から見ては、さほどあわただしいとも見えない。ドイツ語の諺の「静かに急げ」という風に、常に一様に静かに動いているので、忙しいといって、あわただしくし、暇だといって、うっとりするとかいう事はない。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.575)

 317話で森田先生の色紙「達人の能は静かに早く和やかに強し」について書いている。それから十年以上経った今も自分は何ら進歩がないと反省することしきりである。

2019年4月15日 (月)

神経質礼賛 1616.語呂合わせいろいろ

 中学高校生時代、語呂合わせで暗記をした経験はどなたもおありだろうと思う。数学の√2=1.41421356・ひとよひとよにひとみごろ、√3=1.7320508・人並みに奢れや、√5=2.2360679・富士山麓オーム鳴く。これをネタにした高石ともやの受験生ブルースという歌もあった。高校数学の三角関数の加法定理の語呂合わせに至っては怪しげな呪文の世界である。理科のイオン化傾向K、Ca、Na、Mg、Al、Zn、Fe、Ni、Sn、Pb、H、Hg、Ag、Pt、Au・借りるかな(貸そかまあ)あてにするな、ひどすぎる借金。元素の原子番号順のH、He、Li、Be、B、K、N、O、F、Ne、Na、Mg、Al、Si、P、S、Cl、Ar、K、Ca・水兵リーベ僕の船そー(ナトリウムはソーダとも言うので)曲がるシップスクラークか。実生活ではほとんど使いどころもないけれど、何かの時に思い出すことがある。記憶というものは何か他のものと結びつけると定着しやすいのだ。自分なりに作った古文の文法の語呂合わせもある。

 語呂合わせは歴史の年号暗記での利用が一番多かったのではないだろうか。何と大きな奈良の都(710年平城京遷都)、鳴くようぐいす平安京(794年平安京遷都)あたりは名作である。高校の英語の先生がシェークスピアの生没年を1564-1616・人殺しいろいろ、と言ったのをよく覚えている。ロミオとジュリエットをはじめ、シェークスピアは作品の中で登場人物をよく死なせているから納得がいく。同じ1616年没の有名人は徳川家康である。1542(厳密には1543年だが)-1616・以後世にいろいろ、となるだろうか。そして、森田正馬先生の生没年は1874-1938。嫌な世行く身は、何とも仕方なし、あるがままにある他ない。

2019年4月12日 (金)

神経質礼賛 1615.強弱・・・弱そうで実は強い神経質

 森田正馬全集第7巻「神経質者のための人生教訓」の中に「強弱」と題する次のような短文が掲載されている。

 アノ猛禽の鷲の面がまへをシミジミと見て居ると恐ろしくなる。アノ眼の鋭さ・嘴の頑丈さ・爪のとがり・肩のいかり、如何にもすさまじいものである。これが・どうして、世の中の小禽を征服して、鳥類の覇者とならないであらうか。
 而かも猛禽の類は、世上から次第に滅亡しつゝあるのに、一方には、神経質らしい・極めて弱々しい・雀のやうなものが、盛んに繁殖するのは、どうした譯であらう。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.519)

 この文を森田先生が書かれたのは、一見弱そうに見える神経質は実は強いのだ、ということを示したかったからだと私は思う。神経質人間は小心翼々であり、死の恐怖に怯え、劣等感にさいなまれる。しかし、死の恐怖と表裏一体の生の欲望は人一倍強い。怯えるだけで行動しなければ弱いままだが、生の欲望に沿ってビクビクしながらも注意深く行動していけば結果がついてくる。強者と同じあるいはそれ以上の成果も得られようというものだ。

 鷲のように鋭く強い歴史上の人物、と言えばまず頭に浮かぶのが織田信長だろう。軍事的・経済的なセンスは抜群に優れていたが、意に沿わない者は功ある重臣だろうが若い侍女であろうが即座に切り捨てた。仮に明智光秀が本能寺の変を起こさなかったとしても、誰か他の家臣が謀反を起こして同様に命を落とした可能性が高いだろう。一方、神経質な徳川家康の場合、祖父も父も若くして家臣に暗殺されているから常に家臣たちの意見をよく聞き、彼らのバランスを取り、慎重に行動した。最悪のケースを考えて、もうダメだ、自害するしかない、切り死にするしかない、と覚悟したことが何度もあったが、周囲の助言を容れて立ち直っている。堂々とした衣冠束帯姿のイメージとは異なり、毎日「南無阿弥陀仏」を書き続け、病気を恐れて自分で薬草を煎じて薬を調合していたのが実像である。その結果、当時の戦国大名にしては珍しく長い健康寿命を保ち、最強者となり得たのである。

2019年4月 8日 (月)

神経質礼賛 1614.春うらら

 先週末は絶好の花見日和だった。土曜日の昼、三島駅の北口に長い行列ができていて何だろうと思ったら、国立遺伝学研究所の一般公開へ向かう無料バスを待つ人の行列だった。様々な品種の桜を楽しめる名所だ。そのうち一度は見てみたいと思いながら年が過ぎていく。静岡駅の改札を出ると、静岡まつりの案内が大きく出ていた。例年、桜の咲く時期には家康に扮した俳優を中心とした大御所花見行列が出て、街は賑わう。これもパスである。あまり人が多く来ていない近所の公園の横を歩くと、満開の桜から風で花びらがはらはら舞い落ちるのが風情があってよい。西行の歌「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」を思い浮かべる。と言いながらも欲張りな神経質は一日でも長く生きようとジタバタするのが本分である。

 昨日は楽器を抱えて旧友の家に遊びに行った。ピアノ伴奏してもらってバッハの協奏曲やモーツァルトのソナタやクライスラーの小品を弾いたが、ベートーヴェンのスプリングソナタを弾くのをすっかり忘れていた。いつも弾き終えてから一杯飲むのが最高の楽しみである。帰りのバスの車窓から諸所の桜を眺める。

  この季節は何となくあわただしい。進学、進級、就職、異動、引っ越し、など、自分と直接関係はなくても世間全体が大きく変化する時であり、その空気を受けやすく、自分一人が取り残されたような感じを持ちやすい。五月病(185話)・四月病(299話)にかかる人もいる。焦らずに一日一日、目の前のことをこなしていればそれでよい。

2019年4月 5日 (金)

神経質礼賛 1613.最初の一歩

 先週、不潔恐怖のため部屋から一歩も出られない人のお母さんが外来に来た。涙を流しながらうれしそうに言う。「4年ぶりに部屋を出てシャワーを浴びたんですよ。髪も切ってくれと言ったので短く切りました」と。この人の病歴は長い。学校を中退してから完全な引きこもりになり、それが十数年続いている。5年前に初めて私のところを受診。今まで重症の人を何度も経験しているが、これほど驚いたことはない。髪と髭が伸び放題なのは当然ながら、なんと女性用のネグリジェを着てシャワーキャップのようなものを被っていた。トイレに入れないのでオムツをしていて、交換が楽だからというのだ。食事も不潔が気になって、カロリーメイトとポカリスウェットの類しか摂取していないという。何年も入浴していない。話をしてみると統合失調症などの精神病ではなく、極めて重症ながら強迫神経症である。本人も苦しくて何とか治したい、と言うので入院治療を勧めたが、予約してもいざとなるとキャンセルしてしまう。やっと入院となり、まずは身だしなみを整えて、嫌でも他の人と同じように食事をしトイレを利用しシャワーを浴びて清潔にしていくことを目標としたが、2週間でギブアップして退院。1か月後に再入院を希望して来たが、再入院翌日にはもう「自宅で静養したい」と言い出し、2日で退院してしまった。それから4年半ほど経った。昨年あたりからやっと母親が作った食事を食べるようになった。姉が子供を連れて会いに来てくれて、その恰好では恥ずかしくて会えないけれど何とか会えるようになりたいと思ったらしい。そして、ついに部屋を出て、母親の話では「たった1時間半で」シャワーを浴びたそうだ。不潔恐怖の人の入浴・シャワーは数時間に及ぶのが常で、それも家族を巻き込んで(本人の考える)不潔にならないように操作するのだ。それを思えばすばらしい出来である。知らない人が見たら馬鹿げた話のように見えるが、本人にとっては、清水の舞台から飛び降りる覚悟で思い切って行動した、貴重な「最初の一歩」だったのだ。

  神経症、特に強迫症状に悩む人たちは最初の一歩がなかなか出ない。やればできるのに頭で考えるばかりで「できない」にしてしまうのだ。何はともあれ、頭は置いておき、最初の一歩を踏み出すことが最良の解決法である。一歩が出れば、それが二歩、三歩となっていく(662話)。気が付けばどんどん前に進んでいる。

2019年4月 2日 (火)

神経質礼賛 1612.新年度スタート

 昨日、新年度になって最初の仕事は、出勤途中に三島駅でバスの時刻表の写真を撮ることだった。ネットでバス時刻表がわかるようにはなっていないため、外来患者さん用に三島駅発と病院近くのあじさい公園発の時刻表を事務員さんが毎年作って受付のカウンターに置いている。「41日の朝、撮っておいて下さいね」と言われて忘れないか心配だったが無事クリア。病院に着いてすぐプリントアウトして事務員さんに渡す。毎週月曜日はとにかく忙しい。まず入院患者さんたちの回診を済ませておいてから外来診療が始まる。

 昨日は新元号が何になるか気にしている外来患者さんが多かった。下馬評の高い「安久」になるのではないか、という人もいた。診察が終わってからも待合室でTVのニュースでの発表を待っている人がいた。「令和」・・・クールな語感である。画数が多くないので書きやすく、言いやすく、頭文字が「R」でM、T、S、Hとダブらない点は良い。夕方の民放のローカルニュースでは同じ名前の人を何人かインタビューしていた。「令和」(のりかず)という名の男性は意外といるものである。本人たちは当惑気味である。これからは学校名や商品名などに多用されることになるだろう。出典は万葉集とのことだが、令和という言葉そのものがあるわけではなく、2字を抜き出して組み合わせているだけだから、出典を云々する必要もないはずだ。「令」の字が元号に使われたのは初めてだそうだ。心配性の神経質としては、命令や指令を強要する全体主義の冷たい「冷和」の国にならないことを望む。

2019年4月 1日 (月)

神経質礼賛 1611.新元号

 今日から新年度が始まる。そして、平成の次の新しい元号が発表される予定だ。今日の話題はもっぱらこれでもちきりになることは間違いない。ついでにエープリールフールだから、おかしなデマも流れるかも知れない。

 仕事柄、患者さんの生年月日から年齢を頭の中で計算することはよくある。医師になりたての頃は、まだ明治生まれや大正生まれの患者さんがいた。もうさすがに明治生まれの人にお目にかかることはなく、大正生まれの人も少なくなっているので、昭和の計算だけでほぼ用が足りていた。つまり、平成生まれの人は現在平成31年だから31からそのまま引き算しさらに誕生日前なら1を引いて計算、昭和生まれの人だと今年は昭和94年に相当するとして94からその生まれ年を引いてさらに誕生日前なら1を引いて計算していた。これからは、平成の人も換算が必要になる。もっとも、今まで手書きの処方箋に年齢を書いていたのが電子カルテになって年齢が自動的に印刷されるようになったので、計算することは以前より減った。その分、頭を使わなくて早くボケそうである。

 元号が30年位で替わるのは、世代の切り替わりにはちょうど良いだろう。私の場合、昭和は少年・青年期、平成は壮年期、新元号の時代は老年期にあてはまる。ただ、最近は元号を使わずに西暦を使う人が増えている。患者さんの生活歴や病歴を尋ねると、若い人を中心に西暦で話す人が年々増えていると感じる。生命保険会社に提出する入院証明書を書かなくてはならないことがよくあるが、西暦で記載させる保険会社が増えている。元号は時代情緒を感じさせるものだけれども、実用的には不便であるし、これからは日本に住む外国人も増えていくであろうから、お役所の文書以外は自然と西暦に置き換えられていくのは必然だろうと思う。

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