神経質礼賛 1619.万葉の歌
いよいよ来週には元号が変わる。まだ馴染んでいないため、つい患者さんの診断書に「平成31年6月末日まで休養加療を要す」と書いてしまい、あわてて「令和元年」に書き直すありさまである。最近は新元号の考案者とされる万葉学者・中西進さんのインタビューが放送され、万葉集がにわかに脚光を浴び、書店には関連本が並んでいる。
出典は大伴旅人(おおとものたびと665-731)。無類の酒好きであり、酒を題材とした歌も多く、「なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ」(人間よりも酒壺になりたい)とまで歌っていて、現代に生きていれば酒場歌人としてTV出演していたことだろう。晩年に大宰府の長官に赴任。自宅で開いた宴での梅花の歌三十二首の序文から二文字を抜き出して組み合わせたものが今回の新年号となっている。
私は万葉集にそれほど強い興味はなく、高校の日本史・古文で学んだ程度の知識しか持ち合わせていない。それでも、大伴旅人と同じ時期の歌人、山上憶良(やまのうえのおくら660?-733?)の歌は強く印象に残った。憶良も晩年に筑前守となっていて、旅人と親交があったようだ。「憶良らは 今はまからむ 子泣くらむ それその母も 吾を待つらむ」「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」は家族愛を強く感じさせる名歌だと思う。そして貧窮問答歌は弱い立場の人々への思いやりを感じさせる。庶民の生活の惨状を訴える政権批判とも受け取られかねない長歌とセットになった反歌「世間(よのなか)を 憂しと恥(やさ)しと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」はグッと心に沁みてくる。ふと「コンドルは飛んでいく」の歌詞も頭に浮かぶ。現代のサラリーマンやOLそして学生や年金生活者も同じだ。辛くても何とも仕方がない、あるがままに今を生きていこう。
40年ほど前、私が大学生の頃、日曜日の昼のNHK-FMの番組に歌手のペギー葉山(1933-2017)さんと万葉学者の犬養孝(1907-1998)さんが出ていて、万葉集の名歌をテーマとした十曲からなる「恋歌 万葉の心を求めて」というアルバムが紹介されていた。ペギーさんの歌とともに万葉集の元歌を犬養さんが詠んで解説するというものだった。食費を切り詰めている貧乏学生だったけれども、どうしてもこのLPレコードが欲しくなって買ってしまった。このアルバムの最初と最後に収録されているのが山口洋子作詞・大塚博堂作曲の「あかねさす紫野」。元歌は、中大兄(天智天皇)と大海人(天武天皇)の兄弟から愛された額田王(ぬかたのおおきみ)の「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」。これほど妖艶なペギーさんの歌を聴いたことはない。この歌が消えてしまうのはもったいない。万葉集に注目が集まる今、どなたかカバーして広めてくれないかな、と思うこの頃である。
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