神経質礼賛 1615.強弱・・・弱そうで実は強い神経質
森田正馬全集第7巻「神経質者のための人生教訓」の中に「強弱」と題する次のような短文が掲載されている。
アノ猛禽の鷲の面がまへをシミジミと見て居ると恐ろしくなる。アノ眼の鋭さ・嘴の頑丈さ・爪のとがり・肩のいかり、如何にもすさまじいものである。これが・どうして、世の中の小禽を征服して、鳥類の覇者とならないであらうか。
而かも猛禽の類は、世上から次第に滅亡しつゝあるのに、一方には、神経質らしい・極めて弱々しい・雀のやうなものが、盛んに繁殖するのは、どうした譯であらう。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.519)
この文を森田先生が書かれたのは、一見弱そうに見える神経質は実は強いのだ、ということを示したかったからだと私は思う。神経質人間は小心翼々であり、死の恐怖に怯え、劣等感にさいなまれる。しかし、死の恐怖と表裏一体の生の欲望は人一倍強い。怯えるだけで行動しなければ弱いままだが、生の欲望に沿ってビクビクしながらも注意深く行動していけば結果がついてくる。強者と同じあるいはそれ以上の成果も得られようというものだ。
鷲のように鋭く強い歴史上の人物、と言えばまず頭に浮かぶのが織田信長だろう。軍事的・経済的なセンスは抜群に優れていたが、意に沿わない者は功ある重臣だろうが若い侍女であろうが即座に切り捨てた。仮に明智光秀が本能寺の変を起こさなかったとしても、誰か他の家臣が謀反を起こして同様に命を落とした可能性が高いだろう。一方、神経質な徳川家康の場合、祖父も父も若くして家臣に暗殺されているから常に家臣たちの意見をよく聞き、彼らのバランスを取り、慎重に行動した。最悪のケースを考えて、もうダメだ、自害するしかない、切り死にするしかない、と覚悟したことが何度もあったが、周囲の助言を容れて立ち直っている。堂々とした衣冠束帯姿のイメージとは異なり、毎日「南無阿弥陀仏」を書き続け、病気を恐れて自分で薬草を煎じて薬を調合していたのが実像である。その結果、当時の戦国大名にしては珍しく長い健康寿命を保ち、最強者となり得たのである。
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