神経質礼賛 1614.春うらら
先週末は絶好の花見日和だった。土曜日の昼、三島駅の北口に長い行列ができていて何だろうと思ったら、国立遺伝学研究所の一般公開へ向かう無料バスを待つ人の行列だった。様々な品種の桜を楽しめる名所だ。そのうち一度は見てみたいと思いながら年が過ぎていく。静岡駅の改札を出ると、静岡まつりの案内が大きく出ていた。例年、桜の咲く時期には家康に扮した俳優を中心とした大御所花見行列が出て、街は賑わう。これもパスである。あまり人が多く来ていない近所の公園の横を歩くと、満開の桜から風で花びらがはらはら舞い落ちるのが風情があってよい。西行の歌「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」を思い浮かべる。と言いながらも欲張りな神経質は一日でも長く生きようとジタバタするのが本分である。
昨日は楽器を抱えて旧友の家に遊びに行った。ピアノ伴奏してもらってバッハの協奏曲やモーツァルトのソナタやクライスラーの小品を弾いたが、ベートーヴェンのスプリングソナタを弾くのをすっかり忘れていた。いつも弾き終えてから一杯飲むのが最高の楽しみである。帰りのバスの車窓から諸所の桜を眺める。
この季節は何となくあわただしい。進学、進級、就職、異動、引っ越し、など、自分と直接関係はなくても世間全体が大きく変化する時であり、その空気を受けやすく、自分一人が取り残されたような感じを持ちやすい。五月病(185話)・四月病(299話)にかかる人もいる。焦らずに一日一日、目の前のことをこなしていればそれでよい。
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