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2019年5月30日 (木)

神経質礼賛 1630.周囲に適応する

 私自身、対人恐怖に悩んだ若い頃は、集団での行動は苦手であり、特にバカバカしいと思うと避けてしまう傾向が強かった。だから、集団の中では浮いた存在になりがちだった。その傾向は今でも多少はあるが、仕方なしにその環境に身を置き、周囲を観察しながら行動するようになっている。森田正馬先生の診療所に入院していた人たちには対人恐怖・赤面恐怖の人が多かったから、同様の人が多かったのだろう。森田先生は次のように言っておられる。

 ここに入院している人は、初めのうちは、どうしても修養という事にとらわれる。金物屋に行っても、少し待つ間があれば、雑誌などを読んでいる。僕はそんな時には、常に丁度展覧会を見るように、何か面白い有効のものはありはせぬかと、陳列の品物を見回しているのである。
 ひどいのになると、入院中の人で、熱海形外会の時に、十国峠へドライブした時に、自動車の中で本を読んでいたのがあった。景色を眺め道中を楽しむという事とは無関係である。少し注意して、世の中の人を見ると、学者とか・修道者とかいう人は、凡人と違った偏人であって、時と場合における周囲の状況に適応しないで、ただ自分自身の鋳型にはまっているのが多いのである。
「そういう風でなくては、偉い人になれない」という風に考えている人が、世の中には多いようだけれども、僕は決してそうとは思わないのである。周囲に適応するような人が、よく独創的で・適切な問題を発見して、新機軸を立てるのではないかと考える。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.680)

 神経質人間は性格が堅いと言われやすい。真面目だけれども柔軟性に乏しいきらいがある。「ただ自分自身の鋳型にはまっている」というのは、いわば心にガチガチの鎧をまとっているようなものだ。自分の心の平安を守るのには役立つが、人との交流ができにくいし、その場に適した行動が取れず、損をすることも多い。こういうことは学校教育では教えてくれない。森田療法では、周囲に気を配って行動していくうちに、自然と柔軟さが身につき、神経質の良さが発揮できるようになってくるのである。

2019年5月26日 (日)

神経質礼賛 1629.ティッシュペーパー品薄

 今年のゴールデンウィーク前あたりから、ホームセンターの店頭に変化があった。必ず店の入口付近の台車に山積みされていた安売りの5箱セットのティッシュペーパー(886話)が姿を消したのだ。チラシのお買い得商品にも載っていない。ドラッグストアでも商品棚のティッシュペーパーのところが空いていて「ただいま品薄になっています」という張り紙があった。いったいどうしたのだろうか。

 先月、大手製紙会社の工場で火災があって、しばらく操業停止となったらしいが、その工場は再稼働しているというし、メーカーは他にもあるわけだから、理解に苦しむ。県内の製紙工場へのインタビュー記事が新聞に載っていて、原材料コストの上昇、電気料金の上昇、人件費高騰という事情があって、メーカー側では値上げをしたのが本音なのだそうだ。出荷を控えて価格を上げようという意図があるのかもしれない。品薄になると、なくなったら困るという消費者心理が働いて買いだめに走り、ますます品薄になる、という悪循環が起こる。今年の秋には消費税増税も控えているから、なおさらである。我が家は以前からかなり買い置きがあるので、当分は買わずに静観するつもりである。

 それにしても、普段の生活を顧みると、ティッシュペーパーを気軽に大量に消費していることに気付く。鼻をかむのは仕方ないとして、メガネなどの日用品を拭いてきれいにするとか、床に落ちている埃や毛を取り去るとか、小さい虫を取るとか、清潔で手を汚さずに済むのでつい依存してしまっている。森田正馬先生の「物の性を尽くす」(350話)エコ生活では、チラシ・雑紙や古新聞も無駄にせず、メモ紙、風呂の焚きつけ、落し紙(トイレットペーパー)として徹底的に利用していた。それを思えば、私たちの生活は贅沢をし過ぎている。ちょっと気を配れば、ティッシュペーパーの消費量は2,3割減らせるかもしれない。

2019年5月23日 (木)

神経質礼賛 1628.表裏両面

 半年に1回くらい外来を受診している人がいる。元は他の先生が担当していたが、今では症状が軽減し、薬の服用量が減って薬が半年位もってしまう。そして、仕事の休める曜日の関係で私の担当日に来院するのだ。人が多い所へ行くのは苦手だと言うから対人恐怖的な面はあるのだろうが、現在の仕事をしていく上では特に問題ない。ただ、朝は調子が悪く、動悸が気になったり時に下痢をしたりするという。休日は全く大丈夫だというから、やはり仕事のプレッシャーはありそうだ。似たような状況の外来患者さんは少なくない。そして、私自身にも時々発生する現象である。それを「症状」「不安障害」「精神疾患」として扱うのが現代の精神医学であるが、「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」としたのが森田正馬先生である。森田先生は次のように言っておられる。

 「生の欲望と死の恐怖」という事は、必ず相対的の言葉であって、同一の事柄の表裏両面観であります。生きたくないというものは、死も恐ろしくはない。常に必ずこの関係を忘れてはなりません。
 気がもめるハラハラするという事は、同時に仕事を多くしたい、能率をあげたいという事である。これは必ず別々に取り離して考える事はできない。物事は常に表裏両面を見なければ、その全体を正しく観察する事はできない。死の恐怖ばかりを見つめて、これにとらわれる時は、常に生の欲望の溌溂(はつらつ)たるもののある事を忘れて、いたずらに迷妄を脱する事ができないようになる。気がもめるという不快気分のみの反面を見る時に、この気分だけを取り除いて、楽に仕事をしようとする迷いの心を起こすようになる。楽に仕事をする事に、決して仕事のはかどるものではないという事に、お気がつかれないのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.624)

 神経質人間はよりよく生きたいという生の欲望が人一倍強いため、それと表裏一体の死の恐怖にもさいなまれやすく、失敗を強く恐れ、不安・緊張に伴う身体の変化も発生しやすいのだ。そうした変化を病気の症状として扱い、症状を解消するために薬を飲んでも「モグラ叩き」に過ぎず根本的な解決にはならないし、神経質の良さを殺してしまうことにもなる。この表裏一体の仕組みを理解し、不安や緊張も正常な働きであると考えて、やるべきことに向かっていくのが森田療法の骨子なのである。そして、神経質を生かせば人並み以上の成果が得られ、「神経質でよかった」(660・661話)ということにもなるのだ。

2019年5月19日 (日)

神経質礼賛 1627.ひきこもり100万人超・8050問題

 当直中、朝4時半に目が覚める。時々遠くからホーホケキョというウグイスの鳴き声が、そして近くでチュクチュク・ピー・チュクチュクという絶え間ない小鳥の鳴き声が聞こえてくる。カーテンを開けるともう外は明るい。飛び回るツバメの姿が見える。勤務先の病院はツバメたちの常宿である。換気扇の吹き出し口の上の小さな屋根の上に巣がある。毎年この時期にはせっせと餌を巣に運ぶ親鳥、巣から口を伸ばして餌をもらうヒナ鳥たちをあちこちで見ることができる。やがて親鳥はヒナたちの巣立ちを促し、ヒナたちの訓練飛行が始まるのだ。

  先週の保健所の精神保健相談は2件ともひきこもり、それも経過の非常に長いケースだった。1件目は40代男性。学校を出て2年ほど会社員をしていたが、突然辞めて家に戻って来た。その後は再就職してもすぐに辞めてしまい、以来ひきこもりが続いている。病院を受診したこともあったが続かなかった。一切親とは顔を合わせず、毎月の小遣いを親が部屋の前に置いておくとそれを受け取り、時々早朝の人に見られない時間に出かけて食べるものを買ってくるらしい。カーテンを閉め切っているし、エアコンは塞いでいるというから、妄想の存在が疑われる。ある時、部屋に入ったら激怒し、殴りかかってきて警察が介入したが、特に精神科を受診するようには言われず、親としては怖くて何もできないという。このままでは本人はなにも困らず同じ状態が続くだけだ。まずは小遣いを減額して反応を見てみたらどうかとアドバイスした。そこで何か言ってきたら話し合いのチャンスである。もし殴り掛かるようならすぐ110番通報して警察に介入してもらい、今度は保健所との連携で医療機関受診に結び付けやすくなる。

  2件目も40代だが、こちらは兄妹ともひきこもりである。最初に兄がひきこもりになった。仕事を突然やめ、ひきこもる。病院にも行ったが「病気でない」と言われた。親とは一緒に食事はするが仕事の話をしようとするとごまかす。統合失調症ではなさそうであるが、回避性パーソナリティ障害には該当しそうだ。病気ではないにせよ、医療機関を受診して作業所利用に結び付けていければ道も開けてくる可能性がある。一方妹の方は発達障害的な面が強いように思われた。一時は独り暮らしをして働いたこともあり、その後実家に帰ってからもしばらく働いた後はひきこもり、自分の部屋にカギを付けて入られないようにしている。家族と一緒に食事をせず、ネット通販やスーパーの配達サービスを利用して欲しいものを買って自分で食事は作って食べているという。それらは親のクレジットカード番号を使っているというので、まずはそのクレジットカードをキャンセルして使えないようにすることをアドバイスした。兵糧攻めである。

 ひきこもりの問題は当ブログでも何度か取り上げてきた(79195232314441話)が、ひきこもりは増加の一途を辿っている。今年の内閣府の発表によれば40歳から64歳のひきこもりは61万人にのぼり、40歳未満のひきこもり54万人と合わせると軽く100万人を超えている。最近では80代の親が50代のひきこもりの子を支える8050問題もクローズアップされるようになってきた。高齢の親が子供を扶養しているが、親も病気になったり要介護状態になったりして、経済的に行き詰ってしまうという事態が発生する。時々、親が亡くなっても遺体を放置していたひきこもりの子が逮捕される、という事件が発生している。ひきもりのため親の死に対処できないということと、親が亡くなると年金が入ってこなくなって生活に困るために放置していたと考えられる場合もある。

  子供がかわいそうだということで、いつまでもエサを与え続けていては、それに依存して巣立ちができない。ツバメの親を見習う必要がある。緊急回避的な援助はやむを得ないが、長引かないように、援助する条件として職を探す努力をさせる、場合によっては医療機関を受診させてデイケア参加や作業所利用へ結びつけることも必要である。失業保険がもらえる代わりに職探しの努力をしなければならないのともらえる期間に限度があるのも、それに依存して働かないのが当たり前にならないような仕組みになっているのである。

2019年5月16日 (木)

神経質礼賛 1626.Officeの認証

 7年間自宅で使っているノートパソコンの具合が悪くなってきた。タッチパッドのボタンが不安定になり、操作がうまくいかないことが多くなってきたので、これはハードの問題でどうにもならない。家から歩いて行ける家電量販店でOffice付の一番安い6万円のノートパソコンを購入。その際に家にあったもっと古いノートパソコンを1台処分してもらった。

 実用的なパソコンと呼べるものを最初に買ったのが平成元年。持ち運びできるラップトップ型で重量は6kg位あった。記録媒体はミニフロッピーディスクだった。OSはWindowsの前のMS-DOSでマウスは使わずにキーボードからコマンドを入れて操作した。それから3年後にハードディスク内蔵のノートパソコンを購入した。これもまだMS-DOSだった。さらに5年後にWindows95のノートパソコンを購入。こういった初期のパソコンはいずれも1台30万円ほどだったから大出費だった。初めの頃はNECあるいはシャープのパソコンを買い、そのうち子供に買い与えるようになってから、安価な東芝、HP、acer、レノボも買うようになった。今回は初めて富士通のパソコンであり、通算21台目にあたる。買った時の箱は年々小さく軽くなってきていて、隔世の感がある。分厚いマニュアルが何冊も同梱されていたのが、今ではマニュアルはなく、初期設定について書いた薄い冊子が付いてくるだけである。

 まず、Windowsの初期設定を行う。メーカーへのパソコンのユーザー登録はパス。個人情報をむやみに送るのは危険だし、有料サービスへの誘導がミエミエだからだ。既存のWord文書を開こうとするとOfficeの認証画面になる。かつてはCD-ROMやDVD-ROMを入れて開始したのが、今は紙切れ一枚に書かれたプロダクトキーのカバーをコインで削り取って読み、それを入力するだけ、のはずだったが、プロダクトキー入力後に今回は余分な画面が増えていた。Officeの種類を選択する画面が追加されていた。うっかり機械的にENTERを押してしまったら、購入したものはOfficePersonal2016というWordとExcelだけでPowerPointがないタイプのため、PowerPointを購入しろという表示が出る。そこで、処理を中断してやり直す。ところが、今度は認証回数が規定回数を超えたので認証できません、という表示が出る。いろいろやってみたが、ネット経由でなく、電話で認証を行うしかないということになる。夜遅くなっていたので、別の休日に電話をしてみることにした。

 電話をかけると自動音声が流れてきて、それにしたがって電話機の番号を押すのだが、全く反応してくれない。そんなことを5分以上やっていたら、オペレータに繋がった。オペレータは男性で、とても落ち着いた話し方だ。怒って電話してくるクレーマーにも対処できそうな感じがする。指示に従って、エラー画面の6桁の番号が9ブロック位あるのを読み上げる。すると、キーとなるやはり非常に長い桁数の数字を告げられ、それを入力してやっと認証が通って使えるようになった。年々パソコンのハード・ソフトとも性能・機能が向上している反面、初期設定や操作やメンテナンスが煩雑になる一方である。もっと基本機能だけに絞り、どのハードにも共通して使えるようなワープロ表計算ソフトがあったらなあ、とつくづく思う。

2019年5月12日 (日)

神経質礼賛 1625.イダオイル

 休日でもやることはいろいろある。朝、母の家に行ってタオルケットやシーツなどを取ってきて家で洗濯して干す。その後、数年ぶりに楽器磨きをする。普段、楽器を弾いた後にテッシュペーパーで軽く拭くしか手入れしていない。弓に塗る松脂の粉が飛んで表板が汚れるし、夏場は汗が落ちて汚れることもある。時々はオイルを付けて磨いてあげるのが良いとはわかっているが、ついつい先送りしてしまっていた。患者さんには気が付いたらすぐに行動、と言っているくせに、これではいけない。オイルは結構ニオイが強いので、ニオイに敏感な妻が実家に行っていて、湿度が高くない今日が絶好のチャンスである。まず、布にオイルを少し付けて表板・裏板・側面を磨く。それからまた乾拭きをする。ヴァイオリン2挺、ヴィオラ1挺あるから30分ほどかかる。後は乾かしておく。狭い自室に置く場所は少ない。ヴィオラは書棚に立てかけ、ヴァイオリンはスキャナーの上に横置きする。

 私が長年使っているオイルはイダオイルというものだ。主成分はテレピン油(松精油)らしく、ちょっと柑橘系っぽい香りもする。楽器表面のニスを傷めず、害虫予防にもなると書かれている。残り少なくなったので、次を買わなければと思っているが、もう製造中止で入手できないという情報も流れている。それでも、田舎の楽器屋ならばまだ売れ残っているだろうと思って、昼食後に出かける。いつも行っている楽器店「すみや」に行くと、管弦楽器売場がなくなり、レッスンや練習用の貸ホールに替わってしまっていた。もう一軒、普段行かない静岡パルコに入っている島村楽器をのぞいてみる。ここは軽音楽系主体で、ヴァイオリン関係は弦と松脂くらいしか置いていなかった。あきらめて帰宅。調べてみると、いつも行っていたすみやの管弦楽器コーナーは昨年秋に移転していたことが分かった。今度は新しい店に行ってみよう。洗濯物は乾いていたので、畳んで母の所に届ける。その後は自宅の掃除をする。ちなみに夕方帰宅した妻からニオイを追及されることはなかったので、作戦成功である。

2019年5月10日 (金)

神経質礼賛 1624.赤魚・シルバー

 病院食のメニューを見ていると、聞き慣れない魚の名前が出てくる。一見、キンメダイのような魚の煮付け。高価なキンメダイが出るはずはなく、赤魚と書かれている。味はなかなかおいしい。この赤魚の正体はアコウダイでメヌケとも呼ばれる魚である。学名が「赤魚(アカウオ)」という魚とは全く別物とのことだ。水深500-700m位のところに生息し、水揚げされた際に水圧の変化で目が飛び出してしまうことからメヌケの名がある。かつては日本近海でも獲れたらしいが現在はほとんど獲れることがなく、アメリカやロシアから冷凍で輸入されてくるそうである。

 また、シルバーという魚も時々登場する。切り身を焼いたものを食べるとブリのような感じがする。これは銀ヒラスという魚で、やはり水深500m位のところに生息し、オーストラリア・ニュージーランド・チリあたりから頭と内臓を除去して冷凍で輸入されてくる。フライにすると美味であり、知らないうちに外食や総菜で「白身魚フライ」として食べている人も多いという。クセが少ない魚だから、味噌漬けや西京漬けにも適しているそうだ。低カロリー、高タンパクであり、栄養面でも優れているらしい。

 おなじみの鯵・鯖・鰯といった魚偏漢字の近海魚が獲れなくなって価格も高騰し、冷凍輸入の魚に頼らなければならないのは残念なことだが、やむをえない。栄養士さんたちは少しでも栄養価が高くておいしくて廉価な食材を日々研究しておられる。食べる側もいろいろ知った上でおいしくいただきたい。

2019年5月 6日 (月)

神経質礼賛 1623.酸蝕歯(酸蝕症)

 歯科医院から送られてくる定期検診の案内にはいつも歯の病気にまつわる記事のコピーが添付されている。今回は酸蝕歯についてであり、なるほど、これは気を付けないといけない、と思ったので紹介しておこうと思う。

 精神科病院に長期入院している患者さんには歯が悪い人が多く、40代、50代くらいから歯がどんどんなくなってしまう人をよく見かける。セルフケアができず、正しい歯磨習慣が身についていないのが大きな要因になっているが、意外な盲点はこの酸蝕歯だった。病院食を食べているから栄養的には問題ないはず。しかし間食が曲者である。菓子類によるカロリーの摂りすぎやカップ麺の塩分摂りすぎはよく注意するけれども、正直言って炭酸飲料までは頭が回らなかった。歯が悪い人で、いつもダイエットコーラを飲んでいる人がいる。人工甘味料だからカロリーの問題は少なく、砂糖は使っていないから歯にも悪くなかろうというのは、全く勉強不足だった。酸性の度合いはpH(ペーハーあるいはピーヘイチ)で示される。中性の純水はpH7で、酸が強いほど数字が小さくなる。多くの市販飲料がpH5.5以下の酸性を示す中、特にコーラ類はpH2程度で強い酸である。そうした強い酸に晒されると歯のエナメル質が溶けて失われ、軽いうちは歯がしみる知覚過敏を起こし、さらには象牙質の損傷を招き虫歯にもつながるのである。

 入院患者さんに限らず、私たちの食生活は酸を多く摂るようになっている。サラダのドレッシングや柑橘類やワインや炭酸飲料など、洋食が多くなって酸を摂取する機会が増えている。よく健康のためと称して黒酢を飲む人がいるが、酢のpHは普通3程度であり、これも要注意である。後でお茶や水を飲んだり、うがいしたりすることで酸蝕は防ぐことができる。この辺は神経質になった方がよい。だらだらとペットボトルの炭酸飲料を飲む習慣は避ける必要がある。これから夏場に向けて、脱水や熱中症対策にスポーツドリンクを飲む機会も増える。時々は水や麦茶にしたり、うがいしたりして、酸蝕からかけがえのない歯を守ろう。

2019年5月 2日 (木)

神経質礼賛 1622.思い切るにも二通り

 令和新時代が始まった。新年は毎年やってくるけれども、新しい元号に遭遇するのはめったにないことである。この際だから、今までできなかったことに思い切って挑戦してみようか、という方もいるかもしれない。思い切ってやる、ということに関して森田先生は次のように言っておられる。

 思い切ってやるという事にも、二通りある。一つは能動的に、自分から勇気をつけてやる。空元気の付け焼刃であるから、する事が不自然になる。しかしその事柄によって、例えばお悔やみに行くようなことならば、それは誰にでもできる事であるから「案ずるより生むがやすい」といって喜ぶ事になる。これに反して、人と取り引き・談判とかいう事になると、空元気のしくじりが多くなって、大いに悲観して、ますます引込主義になる事が多い。
 第二の場合は、受動的に、やむを得ずやる。すなわち背水の陣である。この時は付け焼刃でないから、自分は弱いものと覚悟して、自然であるから、談判にも擬勢がなくて、勝たなくとも、少なくとも負けはしない。この場合には、勝てば喜び、負けても、当然の事として、がっかりするような事はない。
 第一の場合は、赤面恐怖患者が、よく「人前に出る稽古をすればよいか」など質問する心持で、第二の場合は、いかなる境遇にも、ことさら逃げないで、当たって砕けるという態度になる心境である。ちょっと思い違えると、区別のできないような、わずかな相違であるのである。この第一が軽快、第二が根治である。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.283)

 外来には神経症の症状のために行動ができないという人がよくいる。視線恐怖だとかパニック発作を恐れてとかで一人では家から出られずひきこもる人、会食恐怖のため友人と飲食店に行けない人、強迫観念のためにゴミが捨てられない人、確認のために家事が進まない人・・・。状況は実に様々だけれども、「できないのではなくやらないだけ」という点は共通している。誰もが普通にやっていることなのだからできないはずはない。やればできるのだ。いろいろなことが気にはなってもそれはそのままにしておこう。この際、令和になったのだから、という理由づけでもいい。森田先生が言われた「第一の場合」になってもよい。とにかくダメでもともと、というつもりで思い切って恐怖突入(212話)してほしい。頭で考えているだけでは1cmも前へ進まない。理屈は横に置いておいて行動すれば必ず道は開ける。

2019年5月 1日 (水)

神経質礼賛 1621.ヴィオラ元年

 平成最終日の昨日、令和初日の今日、TVは天皇関連の番組で埋め尽くされている。街へ出れば連休の上に令和祝賀ムードに溢れている。新天皇陛下は皇太子時代に学習院大オケのOBとしてよくヴィオラ(795)を弾いておられた。今日の毎日新聞夕刊にはヴィオラを指導しておられた先生のコメントが紹介されていた。ブラームス(のソナタ)とテレマン(の協奏曲)を好んで弾かれるそうだ。御多忙かとは思うがこれからもヴィオラを弾いていただき、ヴィオラという楽器をもっと世に知らしめていただけるとありがたい。今年がヴィオラ元年となればいいなあ、と勝手に思っている。陛下が弾いておられる楽器の製作者は日本人マエストロの石井高さんだと聞く。

  石井さんはストラディヴァリやアマティら有名ヴァイオリン製作者を輩出したイタリアのクレモナに身一つで渡り、たたき上げでマエストロになった人だ。私は一度だけお会いしたことがある。平成元年に新婚旅行の際、ミラノから準急列車で1時間ばかりのクレモナに足を運んだ。クレモナ駅で、さて、どっちへ行こうかと地図を広げて見ていた時に声を掛けて下さったのが石井さんだった。古そうなヴァイオリンケースを肩に掛けていて、「今からミラノへ行くところだから私の工房は案内できないけど、市庁舎へ行くといいよ。ヴァイオリンを弾く真似をして、ストラディヴァリOK?と守衛さんに聞いたら展示室を教えてくれるよ」とよく通るきれいなテノールの声で教えてくれた。日本に帰ってからお礼の手紙を書いたら、返事をいただいた。私が医学生であることを知って、脊髄腫瘍の手術を受ける予定だというようなことまで書かれていた。その年、石井さんは天正少年使節団がローマから日本に持ち帰り秀吉の前で弾いたというヴィオラの前身の古楽器ヴィオラ・ダ・ブラッチョを復元して、日本で展示会を開くというので私も見に行ったが、石井さんにお会いすることはできなかった。その楽器で演奏されたCDと石井さんの著書『秀吉が聴いたヴァイオリン』は購入した。何年か前、TV番組に石井さんが出演しているのを見た。足が御不自由な様子で、やはり脊髄腫瘍の手術の後遺症なのかなあ、と思った。その後、石井さんのことは忘れていたが、新天皇即位でふと思い出してネットで調べてみると、すでに4年前の2015年に72歳でお亡くなりになっていたと知った。残念だ。弦楽器の名器は何百年も生き続け、多くの人の手を渡っていく。石井さんが生み出したヴァイオリンやヴィオラの名器たちも世界中で弾き続けられていくことだろう。私も一度弾いてみたいものである。

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