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2019年7月28日 (日)

神経質礼賛 1650.くやしいままに奮闘

 私たち神経質人間は、自分を他人と比較して、自分は全然ダメであると劣等感を持ちやすい。しかし、その裏には人より優れたいという強い「生の欲望」が隠れている。悔しさをバネにするとはよく言うけれども、神経質は粘り強く努力を積み重ねることには長けているため、結果的にはダメどころか人並み以上の成果を出すことができる。そして、決して慢心しないのが神経質の美点でもある。森田正馬先生は次のように言っておられる。

 手の焼けどの奇形が、くやしくて、其のくやしいまゝに、努力奮闘したのが、世に名高き野口英世博士であり、●病の奇形の手を、ことさらに、衆人の前にさらけ出して居るのが、巡査に追立てられる乞食である。

 神経質は、往々にして、自分の恥かしいと・氣のついた事に対して、徒らに之を隠さんとするものが多い。そして、或は之を恥かしく思はざらんとして、乞食の心理を模倣せんとするものが多く、その恥かしいまゝに・くやしいまゝに・野口を模倣すればよい・といふ事に、氣のつかぬ者が多い。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.440

  敗戦した時の惨めな自分の姿を描いた「しかみ像」(209話)を座右に置いて、努力奮闘の糧、そして慢心の戒めにしていた徳川家康、寝る前の1時間を反省の時間にしていた松下幸之助(211話)、すばらしい例は今まで何人も御紹介してきた通りである。

2019年7月25日 (木)

神経質礼賛 1649.結膜下出血

 先週、病院で当直していて朝起きて髭を剃ろうとして鏡を見てビックリ。右眼のいわゆる白目の部分の右半分が鮮血色にベッタリ染まっていた。痛くも痒くもなく眼脂も全くないから結膜炎ではなく、結膜下出血だろうと判断した。たまに小さな斑状の結膜下出血が出ることはあったがこれだけ派手なものは経験がない。何といっても見たところがグロテスクである。外来や病棟の診察の時に患者さんがどう思うか心配である。不快な思いをさせてしまうのではないかと気がかりだ。案の定、看護師さんたちから「どうしたんですか!」「大丈夫ですか?」「結膜炎ですか?」などと言われまくる。外来患者さんに接する時はつい下を向きがちになっていけない。これではまるで醜貌恐怖患者や自己視線恐怖患者である。幸い、1週間経って、だんだん色は薄れてきて、ちょっと目が赤いかな程度に収まってきた。来週の外来は何とかなりそうだ。

 結膜下出血は結膜の小血管の出血によって起こる。全身疾患がベースにある場合を除くと多くは原因不明。咳やくしゃみ、繰り返しのまばたきなどが誘引となりうるという。眼球本体には異常はなく、特に治療薬もない。1-2週間で自然消褪するので、それを待つしかない。加齢も関係する結膜弛緩が悪さをすることもあり、それには手術による治療もあるらしい。

 一つ原因として思い当たるのは昨年末から始まった電子カルテである。各人に貸与されたノートパソコンで仕事をしているのだが、恐ろしく字が細かく、ページを送ったり戻したりするのも紙カルテと異なり一苦労だ。便利なことも多いが、一日中画面とにらめっこしてオペレータのような仕事をしていると、本当に眼への負担が大きい。若い人はいいだろうが、高齢者には厳しい。何とか方策を考えなくてはと思うこの頃である。

2019年7月21日 (日)

神経質礼賛 1648.IMR(疾病管理と回復)の講演会

 県中部地区の精神科医会で学術講演会があったので参加してみた。講師は久留米大学附属病院でデイケアを担当している先生で、「統合失調症を持つ人のパーソナルリカバリーを目指したアプローチ~IMRの可能性~」という演題だった。IMRはIllness Management and Recoveryの略であり、精神疾患を持つ人が自らリカバリー目標を設定しその人に適した方法で症状を自己管理しリカバリーしていくために有用な情報や技術を獲得することを目的とした心理社会的介入プログラムとされる。アメリカ政府によるツールキットが作られていて科学的根拠に基づいているとされ、それを元にしたテキストが日本でも作られている。ただ、これをデイケアの場で学習していくと半年とか1年とかかかってしまうし、それなりの理解力がある人でないとついていけないという面がある。私の勤務先の病院でもデイケア担当者がIMRを取り入れようと試みたが参加者のレベルに無理があって、それで「ワンポイント森田」(122913291440)が誕生したという事情がある。

 講演の中で面白かったのは、最初に高い目標を設定してみる、ということだった。常識的には、例えばデイケアにある程度参加したらB型作業所に短時間から通所して作業時間を徐々に増やしていき、それができたら最低賃金が保証されるA型作業所に通所して、それがうまくいったら一般就労にチャレンジしていく、とだんだんに目標を底上げしていくところだが、講師の先生に言わせると、例えば大学の研究者として活躍したい、というような高い目標を患者さんが述べたらそれを尊重して支援していくと、その目標自体は無理であっても、結果的には高い成果が得られやすいとのことだった。デイケアの参加グループ全体の活性化も期待できる。そうしてうまくいった人がピアサポート(当事者によるサポート)に入ってさらにデイケアのレベルを押し上げるという好循環をきたすという効果もあるそうだ。もっとも、必ずしも高い目標がよい結果をもたらすとも限らず、人によりけりだろうし、まとめ役の医師の的確な診たてが欠かせないだろう。

 最近は精神疾患の治療で社会心理教育だとかピアサポートの話題が多くなっている。しかし、それよりはるか昔に行われていた森田療法、特に月1回行われていた形外会はそれらの機能を含有した実にすばらしいものだったのだとあらためて思う。

2019年7月18日 (木)

神経質礼賛 1647.信用金庫の合併

 私が住んでいる県内では信用金庫の合併が相次いでいる。我が家から徒歩2分のところに本店がある信用金庫も一昨日に隣市の信用金庫と合併した。銀行よりも待ち時間が少ない(それだけすいている)から払い込みなどには重宝している。合併になっても特に手続きはないので利用者から見れば今まで通りである。

 こうした合併が相次いでいるのは金融機関、特に地方銀行や信用金庫など規模の小さい所で経営危機になっているからである。低金利はまだしも、ゼロ金利やマイナス金利はそもそも資本主義経済の原則に反するもので、金融機関の経営は成り立たなくなる。その結果、どこの金融機関も高利のカードローンや客が損をする可能性が高い保険商品や投資信託を勧めるというインチキ商売でかろうじて食いつないでいるのが現状である。そのカモになっているのは主に高齢者である。有名な金融機関のやることだから安心だと騙されて身ぐるみ剥がされる。スルガ銀行の大規模な不正事件も背景にはマイナス金利がある。一時的には仕方ないにしても、「デフレ脱却」を錦の御旗にしてマイナス金利を何年も続けているのは異常である。不思議なことに新聞やTVの報道番組でもその問題を取り上げることはまずない。かろうじて毎日新聞が時々取り扱う程度である。新聞の雑誌広告を見ていると現政権礼賛雑誌がいくつもあるらしい。知らないうちに言論統制が行われているのではないかと勘繰ってしまう。マイナス金利は景気を偽装するだけのことで、そのツケは後で回ってくる。「一波を以て一波を消さんと欲す 千波萬波交々(こもごも)起る」(540)という禅語が頭に浮かぶ。神経症者の「はからいごと」と同じである。

 デフレデフレと言うけれども、生活実感からすると、本当はインフレである。特に食品類の値上がりがここ数年目立つ。私が買物に行くホームセンターとスーパーを兼ねた店では開店と同時に60代・70代と思われる人たちが走って行く売場がある。賞味期限が近くなったパンを3050%引きにしてあるワゴンである。一人で食パンを4つも5つもカゴに入れている人もいる。冷凍にしておけば日持ちするから一度に買いだめしているのだろう。週に1回、消費税分を値引きして実質100円で売る100円ショップがある。その日に行くとレジは長蛇の列である。生活者たちは身を守るために工夫しているのだ。苦労知らずのお坊ちゃま・お嬢ちゃまたち二世・三世の世襲国会議員様たちには到底お分かりにならないだろう。

 今度の日曜日は参議院議員選挙の投票日。ぜひ棄権しないでいただきたい。そして、聞こえのいい見せかけの実績を誇張する候補者や○○を無料にしますと唱える候補者に騙されないでいただけるとなおよい。

2019年7月15日 (月)

神経質礼賛 1646.朝の電車の遅れ

 今日は祝日ながら普段通り朝から出勤である。雨の中を歩いて行く。持ち前の心配性のためいつも早めに家を出るので電車が出る12分前くらいにはホームに着いている。ところが、駅に着いて案内表示板を見上げると、1本前の電車がまだ出発していないらしい。どうしたのだろうか。とりあえずホームに停車している前の電車に乗り、車内の電光掲示を見ると、夜間工事が遅れていてまだ運転できないのだと知った。台風や集中豪雨の時や停電トラブルなどで朝の電車が遅れたり下手をすると運休することはあるが、夜間工事の遅れとは今までにないパターンである。

 何はともあれ、病院に電話を入れ、送迎車のドライバーさんに連絡しておく。私以外にも数人の職員さんたちが乗るので、待たせて迷惑をかけたら悪い。他の人たちが集まっていたら待たずに出発して下さい、と告げる。すると、車内アナウンスがあって、「工事が終了したのでまもなく出発する予定です」と。結局、いつもの電車と同じ位の時刻に出発する。さらに前の電車が詰まっているため、駅の手前で信号停車を繰り返す。どれだけ遅れるのだろうかとハラハラする。あまり遅くなるようなら、もう一度病院に電話を入れて当直の先生に待っていてもらわなくてはならないからだ。幸いにも大きな遅れにはならず、送迎車に間に合うことができてほっとする。結果オーライである。

2019年7月14日 (日)

神経質礼賛 1645.かこさとし絵本展

 先週のNHK日曜美術館は没後1年のかこさとし(加古里子:1926-2018)さんをテーマにしていた。今夜また再放送が予定されている。子供が小学生の時に学校から『だるまちゃんとてんぐちゃん』という絵本を借りてきて見ていた記憶がある。これはかこさんの代表作の一つである。ちょうど今、藤枝市文学館で「かこさとし絵本展」(61日-728日)が開催されていると知り、妻の実家に行きがてら見に行ってきた。

 だるまちゃんシリーズの他には『からすのパンやさん』に始まる、からすシリーズもよく知られている。会場には絵本の代表的なシーンがパネル展示されるとともに、ソファには絵本が置かれている。作品を読んだであろう親子たち、かつて絵本を子供に買い与えたことがあるであろう老夫婦たちがやってきて展示を見たり置かれた絵本を広げたりしていた。ほのぼのとした親子の愛情、そして創意工夫して困難な状況を生き抜いていく知恵を扱っていて、とても良い作品ばかりだ。親が子供に読み聞かせたら、子供の教育だけでなく、親の情緒安定にも効果がありそうだ。『みずとはなんじゃ?』のように自然科学をやさしく教えてくれる作品も展示されていた。展示された下書きを見ると細かいメモが入っていて、実に神経質がいき届いているように思われる。かこさんは異色の経歴の持ち主である。東大工学部応用化学科卒業後、昭和電工の研究所で働くかたわら作品を作り続けた。科学者の目を持った絵本作家ということになるだろう。晩年は緑内障による視野障害に苦しみながらも最期まで絵本を描き続けられたそうである。

 小学校低学年のうちから英語教育だとか道徳教育の復活だとか愛国心を養えだとか妙な方向へ流れているが、そんなことよりもこうした良質の絵本を読み聞かせて人間形成に役立てることの方がずっと大切なのではないかと思う。

2019年7月11日 (木)

神経質礼賛 1644.ガサ入れ?

 「先生、お願いします!」と病棟師長。「はい、では始めましょう」と私が答える。と言っても別に手術をするわけではない。私が先頭に立って、6名のスタッフで患者さんの部屋に向かう。段ボール箱を持ったスタッフもいる。まるで警察か検察の「ガサ入れ」である。この患者さんは一日中寝っぱなし。スナック菓子を食べながら雑誌を見るのが唯一の楽しみである。しばしば入浴は拒否。髪はボサボサ。暑い夏でも冬の衣類を重ね着していて極めて不潔だ。部屋はゴミ屋敷状態だが、女性スタッフだけで片付けようとすると怒って暴れる恐れがあるということで、私が呼ばれたのだ。「今からお部屋を整理しますよ」と宣言して作業開始。ベッドマットの下からは新聞紙や大量の雑誌が出てくる。とりあえず、古い雑誌は今度御家族が車で来た時に持ち帰ってもらうこととした。ベッド横の床頭台(タンス)の引き出しを開けると、汚れた衣類がこれでもかというほど出てきて、それとともに菓子の食べかすが大量に出てくる。雨の時期は外からアリが入ってくることになるし、ゴキブリ発生することにもなりそうだ。食べかけの菓子などのゴミは捨て、傷んで着られないような衣類は処分し、洗濯すれば使えそうな衣類は業者の洗濯に出すことにした。30分ほどでようやくきれいに片付いた。

 この人の場合は、ある精神病の陰性症状の無為・自閉・不潔によるものであるけれども、精神病ではない神経症でありながら片付けができずにゴミ屋敷状態にしてしまう人がいる。ある人は何か重要なものを捨ててしまうのではないか、と恐れて何度もゴミの中身を確認をするが、それでも心配で捨てられずにゴミが溜まっていく。またある人は不潔恐怖があって、自分の基準で思うところの不潔にならないように無駄な労力を使い、結果的には入浴や洗髪もできずかえって不潔になり、それとともにゴミを自分では捨てられず溜め込んでしまいゴミ屋敷化してしまうのである。そのこだわりや労力を仕事などの実生活に活かしていけば神経質が活きるのに実にもったいない。「わかっちゃいるけど捨てられない」ということなのだ。自分なりの理屈は置いておいて、普通の人がするように、とにかくゴミに手を付けて一つでもいいから捨ててみるしかない。一つできれば、二つ目、三つ目にとりかかればよい。それもできないとなれば、思い切って業者に委託して、一度処理してもらうのもありかもしれない。

2019年7月 7日 (日)

神経質礼賛 1643.古紙回収

 今日は月2回の町内の古紙回収の日。朝食を食べてから新聞紙を紙ひもで縛る。新聞紙は二つ折りか四つ折りにするのが普通かと思う。我が家は普段積んで置く場所の関係で四つ折りである。四つ折りの場合、普段からキッチリ折っていないと、縛りにくいだけでなく縛ったのが崩れやすい。わたしは新聞紙も折込チラシもキッチリ揃えてから折って積んでおくが、妻はいい加減に折って積んでいるので、縛る前に崩れそうな折り方をしているものは折り直さなければならないので手間がかかる。このあたりは普段から神経質にしていると楽である。段ボールもまとめて縛り、古紙回収の集積場まで持っていく。かつては各家の前に出したものを町内の役員がトラックを運転して町内を巡回し、子供会のお母さんたち数人でそれをトラックに積み、小学校まで運んでいたから、本当に大変だった。妻もトラックの荷台に乗って作業してくれていた。今は業者が回収してくれるから楽になった。子供会の仕事は、「今日は廃品回収の日です」というテープを流しながら町内を一周するだけである。さて家に帰ってくれば、新聞紙と段ボールの山が消え去り、気分もすっきり、ちょっとした達成感がある。

 「何もすることがない」とぼやいている人には古紙回収の日はチャンスである。ものの10分か15分くらいの手間だけで、容易に満足感が得られる。すると、次の仕事にも手を出しやすくなる。さらにいろいろな仕事が次々と見つかるので、それらを片付けていくうちに、気が付けばとても充実した一日が過ごせているのである。

2019年7月 4日 (木)

神経質礼賛 1642.君は大胆になりたいですか

 私は筋金入りの小心者である。小さなことを心配し、クヨクヨ悩むのを常としている。若い頃は大胆な人がうらやましいと思い、これではいけない、何とか大胆になろうと不可能な努力を繰り返していた。しかし、小心者ゆえ、いろいろと準備をし、自分の行動を反省して軌道修正するから、大失敗をすることは少なく、人並以上の結果が得られることが多い。今では神経質の小心者で良かったと思っている。森田正馬先生は、卒倒恐怖に悩む人に次のように話しておられる。

(電車に乗って駅で止まっていてドアが開閉するのを見て、ふと、もしこのまま外に出られなくなったらどうしようという不安が起き、それ以来家を出ると動悸やめまいが出現した男性に対して)

「君は大胆になりたいですか」

「ええ、そうです」

「それが間違いのもとです」

「でも、つまらない事を苦にするのは、いやですから」

「つまらない事といふのが間違いです。心臓麻痺を起こして死んだら・どうしやうと考へる。之はつまらない事ですか。馬鹿らしい事ですか。死は恐ろしくないのですか」

「恐ろしいです」

「だから、真面目に心配しなくてはいけない。死は恐ろしいから、絶へず戦々兢々をして居れば良いのです。こんなくだらない事を考へまいとするのは間違っています」

 そして、次のように解説しておられる。

 死を恐れまいとするのは間違ひのもとに決まつてます。之を思ふまいとするのは、柱と相撲をとる様なもので、此方が参つて了ひます。柱には負けるものと決めておいた方が良いのです。恐ろしい・恐ろしいと思ひつめて居るうちに、直忘れます。氣を紛らさう・思ひ出すまいとすれば、忘れられぬに決まつて居ます。素直に柔順に恐れて居れば、簡単に治ります。之を治さうと、ずぼらして寝たりすれば駄目です。恐れながら働くのです。恐ろしくとも・苦しくとも働くのです。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.73

 ビクビクハラハラのままで良い。そして、そのままで行動していけばよい。大胆になる必要はないのである。大胆な人間に比べれば、小心者は緻密な仕事ができる。平気で嘘やハッタリが言える政治家だけにはなれそうもないが、それでよい。

2019年7月 1日 (月)

神経質礼賛 1641.冷食餃子は難しい

 いつも母親の家に食材を買って届けている。やはり年々作るのは大変になってきているようで、すぐに食べられる冷凍食品が少しずつ増えている。その中で、以前から変わらず買っているのが味の素の冷凍餃子である。母は、焼くのではなく、一度に3,4個スープの中に入れて食べている。水餃子みたいなものである。パッケージの写真は羽根つきで美味しそうに見える。数年前に一度自分用に買って作ってみたら、フライパンに焦げ付いて見事に失敗した。今回、再度の挑戦である。

 餃子を作る前にモヤシを炒める。浜松餃子にはよくモヤシがセットで出てきて、意外とよく合う。その後、説明を読みながら餃子を作る。フライパンには油を敷かず、そのまま餃子を並べ、蓋をして5分間中火にかけ、蓋を開けて水分を飛ばす。水は不要である。4分すると「羽根」にあたる部分がいい感じのキツネ色になってきて、そろそろ完成である。そこで、裏返しにすれば、説明通りの綺麗な羽根つき餃子の出来上がり・・・のはずだったが、フライパンに焦げ付いて裏返せない。12個中1個だけ綺麗に焼けていたが、後は底なし餃子になってしまった。ああ、また失敗である。焦げ付きにくいテフロン加工のフライパンだったらいいのかもしれないが、妻はそれを嫌っているので、このフライパンを使わざるを得ないのである。焦げ付きやすい場合は少し油を敷いて下さいとも書いてあるので、次回挑戦する時にはそうしてみよう。冷凍餃子もなかなか難しいものである。

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