神経質礼賛 1642.君は大胆になりたいですか
私は筋金入りの小心者である。小さなことを心配し、クヨクヨ悩むのを常としている。若い頃は大胆な人がうらやましいと思い、これではいけない、何とか大胆になろうと不可能な努力を繰り返していた。しかし、小心者ゆえ、いろいろと準備をし、自分の行動を反省して軌道修正するから、大失敗をすることは少なく、人並以上の結果が得られることが多い。今では神経質の小心者で良かったと思っている。森田正馬先生は、卒倒恐怖に悩む人に次のように話しておられる。
(電車に乗って駅で止まっていてドアが開閉するのを見て、ふと、もしこのまま外に出られなくなったらどうしようという不安が起き、それ以来家を出ると動悸やめまいが出現した男性に対して)
「君は大胆になりたいですか」
「ええ、そうです」
「それが間違いのもとです」
「でも、つまらない事を苦にするのは、いやですから」
「つまらない事といふのが間違いです。心臓麻痺を起こして死んだら・どうしやうと考へる。之はつまらない事ですか。馬鹿らしい事ですか。死は恐ろしくないのですか」
「恐ろしいです」
「だから、真面目に心配しなくてはいけない。死は恐ろしいから、絶へず戦々兢々をして居れば良いのです。こんなくだらない事を考へまいとするのは間違っています」
そして、次のように解説しておられる。
死を恐れまいとするのは間違ひのもとに決まつてます。之を思ふまいとするのは、柱と相撲をとる様なもので、此方が参つて了ひます。柱には負けるものと決めておいた方が良いのです。恐ろしい・恐ろしいと思ひつめて居るうちに、直忘れます。氣を紛らさう・思ひ出すまいとすれば、忘れられぬに決まつて居ます。素直に柔順に恐れて居れば、簡単に治ります。之を治さうと、ずぼらして寝たりすれば駄目です。恐れながら働くのです。恐ろしくとも・苦しくとも働くのです。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.73)
ビクビクハラハラのままで良い。そして、そのままで行動していけばよい。大胆になる必要はないのである。大胆な人間に比べれば、小心者は緻密な仕事ができる。平気で嘘やハッタリが言える政治家だけにはなれそうもないが、それでよい。
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