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2019年8月 8日 (木)

神経質礼賛 1653.吊り橋

 私は小学生の頃、夏休みには毎年、父の実家に泊まりに行った。同じ歳の従兄弟も泊まりに来ていて、山で蝉取りをしたり、すぐ近くを流れる安倍川の河原で小魚を追いかけたりして遊んだものだ。おやつには伯母さんが畑で採れたトウモロコシを茹でてくれたりスイカを切ってくれた。そして夜は伯父の家の従兄弟たちとトランプやゲームをして遊び、クライマックスは花火である。全く勉強をしない数日間を過ごすのだった。歩いてすぐの所に安倍川にかかる長い吊り橋があって、そこでも遊んだ。歩く所は30cm幅位の木の板が2枚並べられ、両側は手すり代わりの鉄のワイヤーがあるだけであり、足元にははるか下の河原や川の流れが見えるから結構怖かった。反対側から人が来るとすれ違うのはやっとだった。川の流れを上から見ていると吸い込まれていくような気がした。しかも、悪戯好きの従兄弟がわざと吊り橋を揺らすのである。ただ、慣れると、あまり足元を見ずに対岸の方を見ながら歩くようになり、そうすると揺れていてもさほど怖さも感じずに前へ前へと歩けるようになった。それはいいが、遊んだツケが回って夏休みの最後の4日間は宿題と自由研究を慌ててやっつけるのが常であった。

 森田正馬先生の言葉に「自然に服従し、境遇に柔順なれ」(263話・828話)というものがある。

 急流の橋の上から視下す時や、汽車の走る處を見て、其内に吸ひ込まれるやうに感じ、眩暈のやうな感を起こすのは、皆之を恐れて、其感覚に反抗するがためであつて、流水又は汽車と同じ速度に目を動かせば、全く障りもなく、無碍自在であるのである。

 勉強の苦痛や・家庭の仕事や・社交の煩累や・皆之を自分の心の置處によりて、之をリズミカルに調整する時には、吾人の生活は、常に無碍自在であるべきである。それには先づ自分が其内に没入同化して、其境涯になり、徒に反抗せず・拒避しないやうにする事によるのである。余は之を「自然に服従し、境遇に柔順なれ」といふのである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.384

視点や心の置き所を変えれば、とらわれから解放されて、結果として不安も感じなくなるものなのだ。

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