神経質礼賛 1659.だらだら・ごろごろ(2)
8月21日付毎日新聞夕刊の特集ワイドは音楽家・加藤和彦さん(478話)と北山修さん(571話・577話)の話だった。加藤さんが自殺してちょうど10年。そして、精神神経学会の講演で拝見することもある九大大学院教授だった北山修さんもすでに73歳である。私が小学校4年生の時に大流行したザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」は280万枚を売り上げた大ヒット曲だ。はしだのりひこさんとの三人グループで、北山さんは当時、京都府立医大の学生だった。グループは1年間限定のプロ活動の後解散。その後、「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」「花嫁」の名曲が生まれた。
今も精神科臨床にたずさわる北山さんは、「この年になると、医療のお世話にならずに生きているのは難しい。そういう状態でも、だらだら生きていくことが大事なんです。負けないで、だらだらと生きていくことが」と語っておられる。その通りである。別に勝てなくて良い。どんな状況であれ、生きている、それだけで価値があるのだ。そこを原点として少し積み上げが図れたらさらに良い。とりあえず、だらだら・ごろごろでも良いから、辛くても今日一日を生きて行こう。山頭火(887話)の俳句のように「だまって今日の草鞋(わらじ)穿く」である。明日には明日の風が吹く。
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内容に救われました。40歳、働き盛りですが、うつ病で離職、アルバイトを1日に4時間で精一杯、将来の不安が大きいのですが、とにかく今を生きて、さらに状態が上向けばプラスアルファを図ればよいと再認識できました。「負けても良い」に救われました。
投稿: | 2019年8月26日 (月) 09時42分
神経質で凹みやすい私自身、過去には「うつ」のトンネルに入り込んだことが何度かあります。そういう時には焦ってもどうにもなりません。とりあえず今日一日、というつもりで、どうにかぶら下がっていればよいのです。そうこうしているうちに、いつしかトンネルの出口の光が見えてくる時が来ます。
投稿: 四分休符 | 2019年8月27日 (火) 21時41分