神経質礼賛 1666.ハイドンの「告別」
以前、398話に書いたオーストリアの作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)は104曲にものぼる交響曲を作曲し、「交響曲の父」と呼ばれているが、そのうち何曲を聴いているか、と問われたら、恥ずかしいほど少ない。かつてハイドン作曲とされていた有名な「おもちゃの交響曲」はアマデウス・モーツァルトの父親であるレオポルト・モーツァルトの作曲だということになったが、さらに現在ではオーストリアの神父で作曲家のエトムント・アンゲラーの作品であるということに落ち着いている。
ハイドンの交響曲の思い出というと、高校生の時に弦楽合奏部と吹奏楽部と合同でハイドンの交響曲第94番「驚愕」・・・いわゆる「びっくりシンフォニー」を演奏したこと位だろうか。わが弦楽合奏部は少人数で吹奏楽部は大人数だから音量がアンバランスでそれだけでも「びっくりシンフォニー」だった。当時の吹奏楽部のフルート奏者は、つい最近まで長く財務官としてTVニュースによく出ていたA君だったなあと思い出す。医大オケではベートーヴェン、モーツァルトの交響曲はよく演奏したが、ハイドンはトランペット協奏曲だけで交響曲は一曲も弾いていない。
ハイドンは気配り上手の人で、穏やかな循環気質、メランコリー親和型と考えらるが、神経質と見て取れる面もある。彼は長年にわたり大貴族エステルハージ家に楽長として仕えた。その仕事は作曲ばかりでなくお抱え楽団維持に関する雑用が多く大変であったらしいが、ソツなくこなしている。家族と離れて生活する楽団員たちが休暇をもらえず不満がくすぶっていたのを察知したハイドンは主人の前で交響曲第45番「告別」を演奏した。第4楽章では、十二人の奏者が順々にロウソクを消して退場していき、ついにはヴァイオン二重奏になり、その二人もロウソクを消して退場して終わる。エステルハージ侯爵は、楽団員たちの思いを知って休暇を与えたということだ。一人、二人と消えていくのを見ても何も感じない・神経質が足りない雇い主では話にならないが。
「ハイドン 告別 動画」で検索すれば、2009年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートから告別の第4楽章をYouTubeで見ることができる。8分ほどの曲で、その半分位から団員が立ち去り始める。指揮者のバレンボイムはおやおや、という表情で指揮の手を止めるが気を取り直してまた振り始める。大オーケストラの団員が次々と舞台から姿を消していくのだから聴衆から笑いが漏れる。最後に残った奏者の楽譜をのぞき込み頭をナデナデしてあげたりするのだが、その二人も姿を消し、無人となったオケを指揮しても音はなく、唖然とするバレンボイム。なかなかの役者ぶりである。
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