神経質礼賛 1680.主観的事実と客観的事実(1)
神経症の人が訴える症状は本人にとっては非常に苦しい事実なのだが、客観性がないことが多い。不眠症で「全然眠れない」と訴えても、家族から話を聞くと「結構、眠ってますよ」ということはよくある。神経症の人が言う「不眠症」の正体は「不眠恐怖」なのであって、眠れないと体に障るからとても心配である、家族が眠っていると言っても、自分としては眠れていないから、そのせいで頭がスッキリしなくて仕事や勉強ができない、というようなものである。対人恐怖のため人前で激しく緊張して赤面し頭の中が真っ白になってしまうと訴える人でも、はたから見れば本人が思っているほど緊張しているようには見えず、やらせれば人前で話すことも何とかできるのである。それでも本人にとって人前で話すことはやはり恐ろしい。このように神経症の人にありがちな「事実」の乖離を森田正馬先生は、主観的事実と客観的事実という言葉で説明しておられる。
例えば心臓麻痺恐怖の人があるとする。医者が心臓は大丈夫だという。それは、客観的事実である。しかし本人はやはり怖い、これは主観的事実である。このとき患者は大丈夫だという客観的事実と、自分は怖がる者であるという主観的事実とを認めなければならない。それがありのままである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.159-160)
素直に客観的事実を認めずに主観的事実だけを言い立てていたのでは、いつまでも症状の呪縛から脱却できない。のちに高弟の高良武久先生が神経症者の訴える症状は「主観的虚構性」(680話)を帯びている、と説明しておられた。これも主観的事実と客観的事実の乖離について述べたものだ。現代の認知療法あるいは認知行動療法では認知の歪みとして説明されるものであるが、森田療法でははるか以前から説明がなされていたのである。
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