神経質礼賛 1681.主観的事実と客観的事実(2)
神経質に悩む人にとっては、とにかくこの辛い症状がなくなって欲しい、これさえなければいいのに、と思うことだろう。しかし、森田療法でいうところの治った、というのは、症状が消えてしまうことを意味しない。症状があるとかないとかを問題にせず、日常生活でやるべきことができるようになれば、それが「治った」なのである。森田先生は次のように言っておられる。
たいていの人は、主観的に気持の上でよくなるよりは、客観的に事実においてよくなる。本人が気付くのは、ずっと遅い。
(某氏:それでは、自分で治ったと思うのはどうですか。)
ここでは一切、自分の気分や想像で、「よくなった」とか、「わかった」とかいう事は問題にならない。ただ治ったという事実が大切です。体重が増したとか、終日よく働く・気転が利くようになったとかいう事実を観察して、初めて治ったという事が、決まるのであります。
(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.448)
本人とっては症状がよくなっていないように思えても、たとえ辛いままであっても、仕事や勉強や家事ができる状態になっている、そして、周囲に気を配って行動できるようになっている、という客観的事実があるのならば、すでに治っているのである。「気分は後からついてくるもの」と患者さんたちには説明している。そして、いつかは主観的事実においても治っているのだ。神経症は、いつ治ったかわからないが、気がついたら治っていた、という治り方をするのである。
« 神経質礼賛 1680.主観的事実と客観的事実(1) | トップページ | 神経質礼賛 1682.災害用非常食 »
コメント