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2019年11月10日 (日)

神経質礼賛 1685.音読

 社会人になってから音読することはほとんど皆無である。思えば、小学校の頃は国語の授業中に指名されて教科書を読まされることがあって、これはとても苦手だった。うまくできないと笑われたり冷やかされたりする。それを恐れるとますます緊張して声が震えたり途中で引っかかったり一行飛ばして読んだりしてしまう。終わってしまえばどうということもないのだが、当てられたらどうしよう、とひどく恐れていたものだ。音読恐怖と言ってもよい。中学、高校、大学では、英語の授業の音読がある。発音のわからない単語をあらかじめ調べておかなくてはならないし、さらに読んだ部分の日本語訳も要求されるから、予習をしておかないと恥をかくことになっていた。ただ、中学高校で、平家物語の最初の部分や百人一首を暗記して声に出す、ということは緊張しながらも心地よさも感じていたものである。

 入院の森田療法では週1回集団精神療法がある。その中で、前任の先生から引き継いだ『自覚と悟りへの道』(白揚社)の輪読を行っている。これは、形外会の記録を水谷啓二さんが編集されたダイジェスト版である。患者さんだけでなく参加している医師や看護スタッフも順番に音読していくのである。形外会の全記録を収録した森田正馬全集第5巻は何度も読み直しているけれども、音読してみると意外と読み飛ばしている箇所に気付いたり、ここはどういう意味だろうかと考えさせられる部分も出てきて、とてもためになる。そして、何よりも音読した後には一種の爽快感が得られるのである。

 音読の効果はいろいろと言われている。脳の前頭前野を活性化するというような話もあるようだ。ただし、こうした輪読会ではなく一人で音読する時には、周囲への配慮が必要なのは言うまでもない。

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