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2019年12月29日 (日)

神経質礼賛 1700.古事記を音読する意味

 森田正馬先生の入院治療では、起床時と就寝前の5分間程度、古事記を音読するのが習わしとなっていた。それに倣って三島森田病院でも古事記音読が日課の一つになっていた。いつの間にか自然消滅してしまったが、熱心な看護師さんの発案で、また復活している。しかし、何のためなのだろうか。脳波のα波が出やすくなるとかリラックスできるとかの効果でもあるのだろうか。なぜ古事記なのだろう。平家物語のように七五調になっているものならばリズミカルに読めてもっといいのではないか、と疑問に思ってしまう。

 「生活の発見」誌の創始者、水谷啓二さんも古事記音読は何のためなのか疑問に思われたそうだ。今からちょうど50年前の196912月に水谷さんがラジオ関西から「森田正馬」というテーマで放送された中でそのことが語られている。その原稿が「生活の発見」誌19705月号に掲載され、さらに今年2019年の5月号に再掲されている。「意味はわからなくとも、ただ棒読みすればよい」とだけ言われ、先輩患者に古事記を音読する理由を聞いても納得がいく説明は得られなかったが、水谷さんは仕方なく素直に音読していた。その後、だいぶ年月が経ってから、古事記を読まされた意味がわかってきたそうだ。神経質者が劣等感にさいなまれ症状に苦しむのも、この一生をただで終わりたくない・偉くなりたい・真人間になりたいとの憧れに対する・やるせない苦悩なのだ、と森田先生は言っておられる。この真人間、つまり純なる心に生きる人間こそ、古事記にいうところの神々であると水谷さんは悟ったそうである。もちろんこれは水谷さんの解釈であって、正解かどうかわからない。神経質人間は理屈にこだわり納得がいかないとバカバカしいと切り捨てがちであるのを戒め、理屈抜きでとにかくやってみる習慣を付けさせる目的もあったのかもしれない。

 令和の最初の年が終わろうとしています。今年も何とか1か月10話ずつ書き続けることができました。これも神経質のおかげだと感謝しています。お読みいただきどうもありがとうございました。

2019年12月28日 (土)

神経質礼賛 1699.チョコレート餃子

 昨日は森田療法の茶話会があった。退院が近い患者さんが体験発表をして、それに対して医師がコメントする。その際にお菓子を作って出す習わしがある。今回、調理担当になったのは50代男性会社員の方で、普段料理はしないので、何を作ろうかと頭を抱えておられた。電話で奥さんと相談して、卵焼きとチョコレート餃子を作ることになった。卵焼きというのはその人が唯一できる料理なのだそうだ。細ネギを刻んだものとチーズが入っている。チョコレート餃子は奥さんの発案で、ネットでレシピを見て、簡単にできそうだということで選んだ。チョコレートとクリームチーズを餃子の皮で包み、バターを引いたフライパンで焼くものだ。餃子の皮を使っていながら洋風のスイーツである。病棟ではフライパンは使えないのでホットプレートを使う。神経質で心配性の人だから、病棟でリハーサルをしたり、外泊で家に帰った時に練習したりして本番に備えていた。チョコレートやクリームチーズの量がポイント。後は温かいうちがおいしいので、茶話会開始時刻直前に出すように工夫されていた。本番では、卵焼きには南天の葉が添えられて彩もよく、とても美味しかった。また、チョコレート餃子はチョコレートとクリームチーズの量がほどよく、それほど甘くなくてよかった。餃子の下には画用紙を切り抜いて作ったいろいろな動物が敷かれていて面白かった。お客さんを楽しませようという気配りである。このように、人を楽しませようというサービス精神が行動に表れてくれば神経症も自然と治っていく。

2019年12月25日 (水)

神経質礼賛 1698.ギャンブル依存症

 先日、読売新聞にギャンブル依存症の治療が保険適用となる見込みという記事があった。これはカジノを含む統合型リゾート(IR)を認めるにあたり、ギャンブル依存症が増加するという批判をかわすためである。すでに大阪や横浜などいくつかの都市がIR誘致に手を挙げている。

 以前、1153話に「酒封じの神」と題する記事を書いた。大阪・天王寺に近い一心寺の境内に徳川四天王・本多忠勝の次男、本多忠朝の墓があり、「酒封じの神」として信仰されている。忠朝は父譲りの勇猛果敢な武将で関ヶ原の戦いでは父とともに大活躍したが大坂冬の陣の戦いでは飲酒のために敗れ、家康から叱責された。夏の陣の天王寺・岡山の戦いでは汚名を挽回しようと最前線に立って戦うも討ち取られた。「忌むべきは酒なり。今後わが墓を詣でる者は必ず酒嫌いとなるべし」と言って亡くなったため「酒封じの神」とされ、断酒を誓う人たちが墓所の塀の内側壁面に願かけの「しゃもじ」を掛けて奉納してある。しかし、私が行った時によく見ると、酒断ちばかりでなく、「パチスロがやめられますように」「借金がなくなりますように」と書かれたものが目立った。女性が書いたものも意外にあった。ギャンブル依存は借金苦を招き、本人ばかりでなく家族も悲惨なことになる。

 ギャンブル依存症を保険で治療できるようにしたからカジノを作ってもいいだろう、というのはおかしな話である。金儲けができれば不幸になる人々が出てもいいという考え方にそもそも問題がある。子供の教育上もよろしくない。IRを推進している政治家たちはギャンブル関連業界から献金を受けているのではないかと勘繰っていたが、ついにIR担当副大臣だった国会議員がIR参入を目論む中国企業から不正な資金提供を受けていた疑いで逮捕された。IR誘致の影では魑魅魍魎どもが蠢いている。日本にカジノは要らない。

 小心で心配性の神経質はギャンブル依存症に陥るリスクは低いとは思うが、たまたまやってみて大当たりをしたのをきっかけにはまり込んでしまうことはあり得る。ギャンブルには近づかないのが一番である。

2019年12月22日 (日)

神経質礼賛 1697.花は咲く

  昨日は病院のクリスマス会だった。病棟ごとに女性看護師さんたちが手作り衣装でコスプレサンタさんになって華やいだ雰囲気が溢れている。カラフルなLED照明を身に着けたサンタさんもいる。例年通り、私がトップバッターである。今週になって持ち時間が10分しかないと知って、急遽、演奏曲目を2曲に絞った。オープニングは景気付に「千本桜」。もう一曲は「花は咲く」。言わずと知れた東日本大震災からの復興ソングである。地震や津波や水害だけでなく、私たち誰もが人生の中では大きな病気に苦しんだりケガで障害が残ったり家族や親しい人を失って心が折れる経験を重ねていく。それでもまた芽を出し枝葉をつけ、いつかまた花を咲かせたい、咲かせよう、そういうメッセージを込めて弾かせてもらった。病院のイベントの際に時々ボランティアで来て下さるアマチュア手品師さんから「先生のヴァイオリンを聴くのは3回目ですよ」と声を掛けていただいた。

 せっかくなのでデイケアでも弾かせてもらった。この日のデイケアの午後のスケジュールは「おやつ作り」だったので、私もお相伴にあずかってしまった。イチゴとバナナの入ったクリームロールケーキ。健康を考えて甘味控えめとなっていてイチゴのほどよい酸味が効いてとてもおいしかった。その後は、フリータイム。トランプをやっているグループもあれば、一人カラオケを楽しんでいる人もいる。フリータイムにはいつでもネットカラオケを楽しむことができる。一人離れて黙々と漫画を読んでいる人がいた。私が担当している患者さんだ。ふと思い出したように立ち上がり、カラオケの所に行き、歌い始めたのが「千本桜」だった。私もうれしかった。長年勤めた病院のクリスマス会で弾くのはこれが最後である。

2019年12月19日 (木)

神経質礼賛 1696.片頭痛の効用?

 勤務先の病院では、以前は製薬会社各社のMR(医療情報担当者)さんたちが、外来待合室に陣取り、外来患者さんが切れた時に医師と面会していたのだが、この秋からはそうしたことが禁止になり、MRさんは昼食時に職員食堂近くの廊下に立ち、生命保険のセールスレディと並んでパンフレットを渡すだけになった。そして、医師・薬剤師・看護師長など少人数でWeb講演会を見ていたのが、看護師、ケースワーカー、事務員、調理師さんなどすべてのスタッフが「勉強会」として見ることになった。

 Web講演会とは言っても、結局はそのメーカーが出している薬の宣伝なのである。要点をまとめれば5分程度なのに30分とか1時間付き合わされるのはかなわない、というのが正直なところである。医療情報サイトでも毎日のようにWeb講演会をやっていて、その案内メールが何度も送られて来るから、大量のメールの削除に追われることになる。それでも、実際に役立ちそうなものは見ている。

 昨日は特定のメーカーとは無関係の「最新の慢性頭痛」というテーマのWeb講演会があった。講師は東京女子医大脳神経外科の清水俊彦先生だった。清水先生は長年にわたり頭痛の臨床研究に携わってきた方である。講演の中では、筋緊張性頭痛(最近は緊張性頭痛と呼ぶ)に対して漫然と薬を処方する害が述べられていた。頭痛や頭重感を訴える神経症の人は多い。安易な薬物療法は好ましくない。また、片頭痛の臨床について詳しく解説されて興味深かった。そして、講演の最後におまけとして、面白いことを言われた。「私は片頭痛をあまり病気と思っていません」という趣旨である。光や音に敏感なのも、元来、人類が危険を避けて生きていくのに必要なことだったし、女性に多い片頭痛もパートナーと仲良くなって子供を授かるのに役立ってきた一面もあるのではないか、と漫画を交えて語っておられた。

 神経質の不安もなくてはならないものである。人類は原始時代から、獰猛で強い動物に襲われそうになった時には不安になって早目に逃げることは必要だったし、創意工夫して罠にかけたり、そうした動物を倒す武器を発明したりした。戦う時には緊張して血圧を上げ、瞬時に動けるように体ができているのである。現代社会では直接食うか食われるかといった場面はなくなったけれども、仕事をしていく上で、あるいは受験勉強したりスポーツの試合に出たりして不安や緊張はあって当然、必要なことなのである。今から百年も前に森田先生が言われた「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.386)という言葉を改めて噛み締めよう。

2019年12月15日 (日)

神経質礼賛 1695.捨てて生かす

 強迫神経症(強迫性障害)の人の中に「物が捨てられなくて困る」という人がいる。もし大切な物を捨ててしまったらどうしようと心配して何度も確認するがそれでも捨てられない。本人もバカバカしいと思いながらそうしているのである。かつては、毎回外来受診時に郵便物を持ってきて「捨ててください」と懇願する患者さんがいた。現在もゴミが捨てられないのを主訴に通院している患者さんがいる。タブレット端末をお持ちなので、定点観測のごとく、自宅の様子を撮影してきてもらい、アドバイスするようにしている。

 確かに、誤って大切な書類などを捨ててしまって大変なことになってしまうのではないか、と心配する気持ちはよくわかる。私もなかなか捨てられない性分だからだ。しかし、捨てないでいたらどんどん書類(郵便物)が溜まってしまう。せっかく取ってあっても膨大な中から探し出すのは至難の業となってしまう。そして、場所を取るから、それだけ空間スペースという財産を無駄遣いすることになる。「いつか必要になるかもしれない」「使うことがあるかもしれない」とは思っても、1年も2年も使わない物が必要になる可能性はほぼゼロである。捨てるのが心配だ、という気分はそのままにして、処分するのがよい。

 昨日は、仕事から帰ってから母の住んでいる家の片づけをする。本人がいると「やるからいい!」と怒り出すが、今まで本人が実際に片付けたためしはない。「茶道雑誌」は古い実家を引き払い引っ越してきた時に私が年月順に揃えて収納しておいたのだが、それらを引っ張り出して、床の上に積み上げてしまっている。今日は平成20年以前の古いものを100冊ほど束ねて、町内の廃品回収に出し、それ以外は再び年号順に収納しておいた。包装紙、箱、袋、景品の類を全部取っておくので、ゴミ屋敷と化している。着ていない衣類もかなり溜まっている。物を大切にするのもよいが程度問題である。場所を取って収拾がつかなくなって生活に支障をきたしているのである。午後には妻が助っ人に入る。私だと、母の思いを考えて躊躇するのだが、妻は「何よこれ!」「使ってないんだから捨てなきゃ!」とどんどん捨てる方に分類する。次々とゴミ袋が一杯になっていく。45リットルのゴミ袋が可燃物7袋、不燃物2袋出る。それらを自宅に運び、今後捨てて行く予定である。これで何とか1階にベッドを置くスペースができた。捨てることでスペースが使えるようになって生きるのである。自宅退院となる場合にはもう一台ベッドを購入して1階だけで生活できるようにするつもりである。

2019年12月12日 (木)

神経質礼賛 1694.クレセントのネジ

 今月は当直勤務が10回を超えていて、自由に動ける時間が少ない。母はまだ入院したままだ。今日、主治医の先生の説明を聞きに行った。MRIでも明らかな骨折はハッキリしないが、痛みは軽減したものの立てないので骨折は否定できず、骨盤のあたりをさらに精査してみるとのことだった。もしこのままだと一人暮らしは無理だということになり、施設入所も考えなければならない。何とか立てるようになってほしい。昨日は妻の父が一人で散歩中に転倒して顔面を打撲。通りかかった人が心配して救急車を呼んでくれて市立病院に搬送されるという事件も起きた。幸い、頭部CTでは異常なく、迎えに行った妻とともに帰宅している。本当に転倒は怖い。

 このところトラブルによく見舞われるが、その合間に少しでもできることをやっている。例によって掃除機をかける。外には飛んできた枯葉がたまっているので拾って捨てる。当直の洗濯物を洗って干そうとすると、窓サッシのクレセント(三日月型のカギの掛け金)のネジが緩んでガタガタになっているのに気が付いた。家のなかのサッシで、すでにぐらぐらしている所が他にも何か所かある。面倒だから後回しにしよう、と先延ばししたのがいけなかった。ネジの部分は見えないようにプラスチックの蓋が付いているタイプである。蓋を外してドライバーで締めるだけのこと。ドライバー1本でできる仕事だ。一か所直すのに2分くらいだ。一旦やりはじめればとことんやろうとするのが神経質人間の特徴であり、一気に全部やってしまった。気が付いたらとにかくすぐに手を出す。どんどん仕事がはかどっているのである。

2019年12月 8日 (日)

神経質礼賛 1693.非常事態

 一昨日の夜、母が住んでいる地域の民生委員さんから電話があった。嫌な予感が的中した。母が家の中で転倒して腰部に強い痛みを訴えて動けなくなっているというのだ。夕方に私に電話をしたがまだ帰宅しておらず、普段から懇意にしている民生委員さんに電話して来てもらったとのことだ。すぐに行ってみると、母が玄関に座り込んでいた。6年前に変形性股関節症の手術をして人工関節が入っている側あたりの痛みを訴えている。骨折している可能性が高いし、動きが取れない状態なので、救急車を呼ぶことにした。これまでも何度か外で転倒して受傷し、通行人や近所の方が心配して救急車を呼んでくれて救急受診したことがあるけれども、動けないほどのことは初めてだ。外科系の救急当番の病院に搬送される。父がその病院の整形外科で亡くなっているので嫌がっていたが、そんなことを言っている場合ではない。午後9時半頃には到着したけれども、急患で非常に混雑していて診てもらえたのは午後11時を過ぎていた。CTでは骨折はハッキリせず、MRIで確認する必要があるが、救急では対応できないということで入院することになった。入院時ルーチンの胸部X線、心電図、血液検査、尿検査があって、病棟に入ったのは午前0時過ぎだった。看護師さんの入院説明を聞いて書類を書き、帰宅したのは午前2時だった。尿失禁して汚してしまった衣類を持ってきていたので、とにかく洗濯をする。そして、仮眠を取ってからいつも通りの時刻に出勤する。仕事を終えて帰宅してから、さしあたり必要な物を買いそろえてまた病院へ行く。やることはいろいろある。隣の家の奥さんに事情を話して、当分は回覧板を飛ばしてもらうようにお願いする。新聞屋さんに電話をして新聞を止めてもらう。宅配便の不在配達票が入っていたので、後日配送センターに取りに行くという連絡をする。今日も家の中の片づけをしてからまた病院へ行く。冷蔵庫の中の生ものは一部、冷凍室に移しておく。こういう非常時には焦るけれども、一つずつできることをやっていくしかないのである。

2019年12月 5日 (木)

神経質礼賛 1692.ハンガー

 衣類をクリーニングに出して戻ってきた時のハンガーが知らず知らずのうちに溜まってしまう。かつてのような針金ハンガーはなくなり、今は黒いプラスチック製ハンガーである。針金ハンガーはカラス(423話)の巣の材料になりやすく停電の原因になることがあるし、普通の家庭ごみとして出せないという問題があった。プラスチックになって、ごみとして出しやすくはなったが捨てるのはもったいない。クリーニング屋には「当店のハンガーは無料回収します」という張り紙があるけれども、実物のハンガーを見ると、同じようでも微妙に形が違うものがあって、別の店に出したのかもしれないと気になるのでなかなか出せないでいる。

 一方、洗濯干しのハンガーはホームセンターで購入したものを使っている。プラスチック製で軸が回転するもの、上側に凹みがあってランニングのような衣類をそのまま掛けられるもの、下側にクリップが付いていて靴下などが止められるものなどである。回転するタイプは使いやすいが軸の回転部分のところが折れやすい。当直勤務で溜まった洗濯物は帰宅した夜に自分で洗って乾燥機の風で干し、翌朝の出勤前に畳んで衣類ケースに収納している。乾燥機を使って干していると熱のためにプラスチックの劣化が早く、立て続けに折れてしまったこともある。平均寿命2年程度といたところか。少々高価でもしっかりした長持ちするものを買いたいと思っている。

2019年12月 1日 (日)

神経質礼賛 1691.じれったいと仕事の能率とは正比例する

 今日から12月。なにかと慌ただしくなる。正月休みがある分仕事が詰まってくるから、どうしても追われる感じになる。あれもやらねばこれもやらねばと、じれったくなる。大掃除など年1回の行事もある。我が家では大掃除というほどではないが、普段やっていない網戸洗いや窓ガラス拭きを簡単にする。年1回交換の台所流し下の浄水器フィルターの交換がある。これは一人ではできず、妻と二人で重く大きな引出を注意深くはずしてやらなくてはならない。年々少しずつ減って60枚位になっているけれども年賀状書きもある。森田正馬先生は年賀状を千通近く出していたと思われるが、ものすごい速さで宛名書きをされていたようである。

 年賀の葉書の宛名を書くのに、私は一時間に、百二十枚書きます。普通の人と比較すると、早いようです。
 さてここで、「じれったい」「気がもめる」とかいう事について、これは自分の欲望する仕事を、早く仕上げたい・片付けたいという衝動の気分であって、この衝動がすなわち仕事を早くはかどらせるところの原動力である。この衝動なしには、決して仕事のできるものではない。それで仕事は、できてもできなくとも、どうでもよいというような時に、決して「じれったい」という気分のあるはずはない。仕事の能率と「じれったい」の強さとは、常に比例して行くものである。
 「面倒くさい」という事がある。これも「じれったい」と同様の関係にあるもので、仕事の価値批判と労力との相対関係である。例えばある人が、一円の仕事を一時間でする事を普通の事とすれば、それを二時間・五時間でする事になれば、その「面倒」さが増してくるはずである。それで、「面倒」という事も、早く仕事をしてしまいたいという「気のあせり」すなわち衝動である。
 この衝動が強いほど、仕事を早くしようとする工夫やりくりが、絶えず心の内に起こってくる。そこに初めて、仕事の絶えざる能率増進がある。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.626)

 じれったいと思いながらも気分はそのままにしてとにかく手を出していく。そうすると意外にも仕事がはかどっている。この要領で慌ただしい師走を乗り切っていこう。

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