神経質礼賛 1695.捨てて生かす
強迫神経症(強迫性障害)の人の中に「物が捨てられなくて困る」という人がいる。もし大切な物を捨ててしまったらどうしようと心配して何度も確認するがそれでも捨てられない。本人もバカバカしいと思いながらそうしているのである。かつては、毎回外来受診時に郵便物を持ってきて「捨ててください」と懇願する患者さんがいた。現在もゴミが捨てられないのを主訴に通院している患者さんがいる。タブレット端末をお持ちなので、定点観測のごとく、自宅の様子を撮影してきてもらい、アドバイスするようにしている。
確かに、誤って大切な書類などを捨ててしまって大変なことになってしまうのではないか、と心配する気持ちはよくわかる。私もなかなか捨てられない性分だからだ。しかし、捨てないでいたらどんどん書類(郵便物)が溜まってしまう。せっかく取ってあっても膨大な中から探し出すのは至難の業となってしまう。そして、場所を取るから、それだけ空間スペースという財産を無駄遣いすることになる。「いつか必要になるかもしれない」「使うことがあるかもしれない」とは思っても、1年も2年も使わない物が必要になる可能性はほぼゼロである。捨てるのが心配だ、という気分はそのままにして、処分するのがよい。
昨日は、仕事から帰ってから母の住んでいる家の片づけをする。本人がいると「やるからいい!」と怒り出すが、今まで本人が実際に片付けたためしはない。「茶道雑誌」は古い実家を引き払い引っ越してきた時に私が年月順に揃えて収納しておいたのだが、それらを引っ張り出して、床の上に積み上げてしまっている。今日は平成20年以前の古いものを100冊ほど束ねて、町内の廃品回収に出し、それ以外は再び年号順に収納しておいた。包装紙、箱、袋、景品の類を全部取っておくので、ゴミ屋敷と化している。着ていない衣類もかなり溜まっている。物を大切にするのもよいが程度問題である。場所を取って収拾がつかなくなって生活に支障をきたしているのである。午後には妻が助っ人に入る。私だと、母の思いを考えて躊躇するのだが、妻は「何よこれ!」「使ってないんだから捨てなきゃ!」とどんどん捨てる方に分類する。次々とゴミ袋が一杯になっていく。45リットルのゴミ袋が可燃物7袋、不燃物2袋出る。それらを自宅に運び、今後捨てて行く予定である。これで何とか1階にベッドを置くスペースができた。捨てることでスペースが使えるようになって生きるのである。自宅退院となる場合にはもう一台ベッドを購入して1階だけで生活できるようにするつもりである。
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四分休符先生、お久しぶりです。
先日は掲示板の方へ、ご心配とお祝いの書き込みをいただきありがとうございました。
ものが捨てられない問題、我が家でも同様です。
私の方は比較的ポンポンと捨てる方なのですが、
嫁さんのほうが捨てられない派です。
しかし私も、頭の中がちゃんと整理されたうえですてるのではなく、なんとなく、その時の気分でうっとおしくなって捨ててしまうので、必要なものまで捨ててしまい、あれはどこに行ったかなとなることがしばしばです。
逆に、そんなふうなので、捨てるのに手間がかかる必要でないものはいつまでも家の中にとどまっているということになります。
まず脳内の整理が必要ということなんでしょうね。
投稿: keizo | 2019年12月16日 (月) 08時33分
keizo 様
コメントいただきありがとうございます。
確かに、捨ててしまってから、捨てなきゃよかった、と後悔することもありますね。それでも、やはり使っていないものは捨てていかないと収拾がつかなくなります。実は私の家での居場所(書庫)の三畳間もゴミ部屋状態で妻からはさんざんに言われています(苦笑)。
投稿: 四分休符 | 2019年12月17日 (火) 21時56分