神経質礼賛 1710.「聊」の読み
現在、入院の集団療法の際、輪読しているのが『神経質でよかった』(白揚社:山野井房一郎著)である(660-661-662話)。山野井さんが対人恐怖と書痙に悩んで森田先生のところに入院したところを読んでいて、出てきたのが、臥褥前に「無聊をなぐさめるようなことは一切してはならない」という一文である。「無聊をなぐさめる」「無聊を託(かこ)つ」はしばしば見かける言葉であり、無聊とは退屈・暇のことだろうとは理解していたが、さあ、読みは自信がない。恥かしい話である。一人での読書だと意味が分かれば読み流してしまうので、漢字の読みがわからなくても読めてしまうのだ。輪読しているといかに自分が読みを知らないかに気付かされる。国語辞典で探してみると、「ぶりょう」だった。
そもそも「聊」という漢字を見ることはあまりない。「わずか」「いくらか」「たのしむ」「かりそめの」「たよる」など、いろいろな意味があり、無聊は「楽しみがない」つまり「することがなくて暇」ということになる。さて、「聊」の訓読みはどうなるだろうか。「聊か」は「いささか」と読む。少ないこと、わずかなことを示す。ただし、文脈によって意味が変化することがある。「聊か自信がある」は謙遜のニュアンスがあり、本心は「結構自信がある」ということになる。また、「聊か変なのではないか」となると婉曲表現になる。このあたりは「聊か」を現代風に「ちょっと」に置き換えると理解しやすい。「聊」という漢字、いささか難物である。
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