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2020年3月29日 (日)

神経質礼賛 1730.ヘッドライト・テールライト

 私が初めて今の病院に派遣されたのは大学病院で研修を終えた直後のことだった。かつて森田正馬先生のお世話をしていた田原綾さん(84話)が御存命で、森田療法の指導員をされていた。森田療法もやっているとは言え、一見して古い精神病院。病院玄関の上の2階は女子病棟で、窓の鉄格子には縛られた下着がはためいていた。洗濯干しに行くのをを面倒がって自室の外の鉄格子に縛って干す患者さんたちがいたためだ。3階は男子病棟で、窓から道路を通りかかる小学生に声を掛ける患者さんがいた。この光景を見て、初めての人は中に入ろうかどうしようか躊躇した挙句に引き返してしまうということが時々あった。1年ほど勤務したところで大学に呼び戻され、助手(今で言う助教)に就任した。大原健士郎教授が退官された後、浜松医大を辞し、改めて今の病院に就職した。今から23年前、平成9年のこと、まだ三十代の終わりだった。

  携帯電話は普及しておらず、たまに携帯電話で話をしている人を見ると、幻聴があって独語しているのではないかと心配する時代だった。インターネットも高速通信はなく、パソコンから家庭の電話線に直接ケーブルを繋いでいた情報通信の黎明期。県東部地区の精神科病院がどこもホームページを作っていない中、Wordだけで病院ホームページを作成していち早く公開した。作業療法士さんがまだいない時で、患者さんの音楽クラブを作り、歌だけでは飽き足らず、ポケットマネーで買ったプラスチック製オカリナを配布して、合奏もした。

  それから6年後に病院は山の中腹に新築移転となった。作業療法士さんたちが加わりデイケアも行うようになって立派な病院になった。自分の机の近くには森田正馬全集があるので、時間がある時には全集を何度も読み返した。そんな中、当ブログ「神経質礼賛」が誕生し、15年になる。本の出版も実現した。患者さんの治療に関しては看護スタッフ、ケースワーカーさんたちと相談しながら何とかやってきた。細々だけれども、やるべきことはやってきたつもりだ。気が付けばとうに還暦を過ぎ、高校の同級生たちの多くは職場を退職している。そろそろ私も卒業のタイミングなのだろう。中島みゆきさんの歌を思い浮かべる。♪ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない。場所を変えてもう少し仕事を続けていこうと思う。

2020年3月26日 (木)

神経質礼賛 1729.桜えび

 当地でも桜が開花し、駿府城公園は3分咲きとのことである。外堀の日当たりが良い場所に植えられている桜には満開近いものもある。今年は新型コロナ肺炎の影響で花見は自粛ムード。桜の季節に行われる静岡まつりの中止が決まった。5月の連休中に行われる浜松まつりまで中止となってしまった。例年ならば春休み・新入学前の華やいだ空気があふれる繁華街もちょっと元気がないように見える。そんな雰囲気を吹き飛ばすような明るいピンク色の電車が走っている。5年ほど前から導入され始め、順次レインボーカラーを揃えてきた静岡鉄道A3000形車両に今年はプリティピンクとフレッシュグリーンの新車が加わった。それぞれ静岡の名産品の桜えびと山葵(わさび)をイメージさせる色なのだそうだ。このピンク色の車両はとにかく目立つ。このところ誰もがひきこもり生活を余儀なくされて、沈みがちな空気を払拭してくれるといいなあと思う。

 そういえば桜えびは食卓から遠くなった。桜えびは駿河湾でしか獲れないが、ここ2年ほど不漁で資源保護のため休漁となっているからだ。海流の変化が原因とも獲り過ぎが原因とも言われる。生桜えびは美しいピンク色で、静岡では生しらすとともに愛されてきた。これまた静岡の特産の山葵を添えて食べる。細くて長い触角が口の中でチクチクするのも御愛嬌だ。桜えびのかき揚げは香りがよく、とても人気が高い。干すと赤色になる干し桜えびは日持ちがするしお好み焼きに入れるとおいしい。かつては富士川河口の河原で天日干ししている風景もあった。干し桜えびもすっかり希少品となってしまった。また資源が回復することを望む。

 コロナ問題のため、病院に入院している患者さんたちも面会制限や外出外泊自粛で私たち以上に不便を強いられている。特に女性患者さんたちは美容院に行けなくて困っている。早くコロナが収束して安心して外出できる日が戻ってきてほしいと切に願う。

2020年3月22日 (日)

神経質礼賛 1728.ただいま撤収準備中

 今月末で長年勤務した病院を去ることになった。1年前には退職はまだ何年も先のことと思っていたが、諸般の事情のためやむを得ない。先月の中旬頃から外来の患者さんたちには担当医が交代することを告げ始めた。それとともに患者さんの要約を電子カルテに記録する作業に取り掛かる。ここ1年余りの間の電子カルテ導入後に初診となった患者さんは初診時に聴取した生活歴や家族歴や現病歴などが電子カルテに入っているからまだよいが、長く通院されている方の場合、紙カルテの情報が電子カルテに入っていない。そのままでは後任の先生が診察するのに苦労されるだろうし、患者さんにとっても適切な治療が行われず不利益を被る恐れがある。毎日空いた時間に少しずつ紙カルテを引っ張り出してきては、必要な情報を入力する作業を続けている。外来患者さんは軽く100人を超えている。昨年、今年、退職された先生から引き継いだばかりの方もいる。当初はやり切れるかどうか心配だったが、何とか終わりそうである。

 自分のデスクや本棚にある大量の資料、文献、書籍、小物類も処分しなくてはならない。そのまま捨てられないものはシュレッダーにかけるから時間がかかる。そして、必要な物は毎日少しずつ家に持ち帰り、どうやら目途がついてきた。月が替わったら、指定医の勤務先変更の手続きや学会関係の勤務先変更連絡、御挨拶の葉書作成、いろいろとやることがある。神経質を発揮して落ちのないようにしたい。

2020年3月19日 (木)

神経質礼賛 1727.入院森田療法の行方

 今まで何度か書いてきたように、入院森田療法がますます継続困難な状況になってきている。現在の保険医療では採算が取れにくいことも一因であるけれども、一番大きなものは、「使役問題」である。森田正馬先生の時代からすでに、「患者から高い入院費を取って働かせるとはけしからん」という非難があった。昨今は病院の監査の際には「掃除やシーツ交換や配膳などは職員が行うべきで、患者さんに手を出させてはいけない。もし患者さんが行ったら相応の対価を支払わなければならない」と注意を受ける。森田療法の場合には、できることは自分でやる、率先して手を出していくのが重要だから、どうしても使役問題にひっかかってしまうのだ。今までは治療の一環として本人が自主的にやっていると主張して通してきたが、もはやそれが通らなくなってきた。さらに洗濯にしても、自分の衣類やタオル類は自分で洗濯していたものが、最近の流れで業者に委託するようになってしまった。そうなると、上げ膳据え膳、何もしないでくつろぐ温泉旅館の生活になってしまう。理屈ばかりこねて行動が伴わない神経症者の治療の場が提供できなくなってきているのだ。

 以前から、入院に代わる効果的な森田療法は訪問看護の利用にあるのではないかと考えている。精神科の訪問看護の対象になっているのは主に慢性期の統合失調症や遷延化したうつ病の患者さんなどで、看護師さんが一緒に掃除や洗濯や調理などの家事を行っていて、その結果、日常生活能力が向上したり、意欲が向上したり、家族や周囲の人たちとの関係が改善したりすることもある。症状はありながらもやるべきことをやっていくよう導く、神経症に限らない広い森田療法的アプローチと重なる部分があるように思う。神経症でも特に強迫のために日常生活に支障をきたしているような人には実際の家庭生活の中でタイムリーな助言がしやすいことが考えられる。もはや、従来のような形で入院森田療法ができにくい時代になってしまったけれども工夫の余地はある。

2020年3月15日 (日)

神経質礼賛 1726.大福中

 今月一杯、森田療法の集団療法は私の担当であり、ミーティングの後には『神経質でよかった』(白揚社 山野井房一郎著)を引き続き輪読している。患者さん、スタッフ、私が順番に音読していく(1685・1710話)。日常生活の中での神経質の生かし方に感心し、神経質ゆえの失敗も「自分もそうだなあ」「それってありがちだよなあ」と共感できる。以前にも書いたように、時々読みがわからない漢字が出てきて慌てることになる。恥ずかしいが、後で調べて次回の輪読会で説明している。今回は「大福中」。読みと意味がおわかりになりますか?お菓子の大福ではありませんよ。

 今では全く聞かない言葉である。江戸時代の井原西鶴の「日本永代蔵」の中で使われており、明治から昭和初期までの文豪たち・・・芥川龍之介や幸田露伴、北原白秋らも用いていたようだ。正しい読みはそのまま音読みの「だいふくちゅう」でよい。大福中だ、大福中な○○、というように形容動詞として使われ、意味は、度量の大きいこと、ふとっぱらということである。

 神経質人間の場合は小心で心配性であるから、たとえ酔っていても友人たちとの飲み会の清算もきっちり割り勘にし、「いいからいいから」と奢ってしまうことはまずない。反対語として「小福中」という造語をしたくなる。しかし、人の役に立ちたいという気持ちも強いから、ケチケチしているようでもよく考えて、出す時には出すのが神経質である。森田正馬先生の場合は普段節約していても郷里の小学校に講堂や遊具や書籍などを寄贈し、慈恵医大には奨学金の資金を寄付されていた。それとは全く比べ物にはならないが、私も神経症関係のNPO法人には毎年寄付しているし、同窓会やOB会の寄付はよくする方である。大福中でなくともよい。

2020年3月12日 (木)

神経質礼賛 1725.体温測定

 2週間ほど前から出勤時に体温を測ってタイムレコーダー横の帳簿に記載するようになった。額に近づけてスイッチを押すと瞬時に測定できる赤外線体温計が置かれている。外来診察時もマスク着用。長年、精神科外来をやっていて、マスク着用の経験はなかった。内科や外科などの医師ならばマスク着用は当たり前だけれども、精神科の場合、話すのが主な仕事であるから、ちょっと違和感がある。しかし新型コロナ肺炎対策上やむをえない。外来の看護師さんも大忙し。外来患者さんの体温を測り、電子カルテに記録しなくてはならない。入院患者さんへの御家族の面会はなるべく控えていただいているが、やむを得ない事情のある場合には、受付で体温を測り、マスク着用の上で短時間の面会としている。出入りの業者さんたちも受付で体温チェックを受ける。

 勤務先だけでなく、どこの医療機関も感染防御にピリピリしている。一昨日に母が病院を退院した時にも、玄関には机でバリケードが築かれており、受付カウンターで体温チェックを受けてやっと待合室に入れた。病棟には入れず長時間待合室で待機し、歩行車につかまって出て来た母と再会した。この病院では3週間前から面会禁止となっていた。大雨の中、母を連れて帰るとすぐに、包括の担当者・ケアマネージャーさんとの打ち合わせだ。母は嫌がっていたが、週1回入浴付のデイサービスを利用していくこととなった。介護サービスも新型コロナ対策で大変だと聞く。

 新型コロナ陽性の人が必ずしも発熱しているとは限らない。不顕性感染もあるらしく、感染の自覚がないまま他の人たちと接触して感染させてしまうケースもあるようだ。とはいえ、他に簡便なチェック法がないし、インフルエンザ対策も兼ねて体温測定は必要だろう。もっとも、人によって平熱は異なるし、体温計も測定誤差がある。その辺も考慮した上で判定する必要がある。早く、インフルエンザ用同様の安価で迅速判定できる検査キットが開発されて欲しい。

2020年3月 8日 (日)

神経質礼賛 1724.不安定即安心

 標題を御覧になって、「不安心即安心」の間違いではないか、と思われた方もいらっしゃるかと思う。不安心即安心とは208話に書いたように、不安であってもじたばたせずに仕方なしにやるべきことをやっていけば、しだいにそれは消褪していく、ということであり、よく使われる「森田の言葉」の一つである。それとは別に、森田先生は不安定即安心ということも言っておられる。

 「不安定即安心」という事については、不安定とは客観的の日常の事実であり、安心は主観的の想念である。風や、寒さや絶えず変化する事が日常の不安定の事実であり、これをその事実ありのままに見る時に安心があり、いやな事苦しい事をも、ことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤が起こり、余のいわゆる思想の矛盾が起こり、強迫観念が起こり不安心が起こる。すなわち余はただ「事実唯真」という。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.26)

 これは昭和5年1月に行われた第2回形外会での御発言である。気候の変動ばかりではなく身の回りでは大きな出来事が起きる。その昭和5年に一人息子の正一郎が病死し、さらにその5年後には妻の久亥が急逝する。社会情勢も大きく変化し続ける。森田先生の生きた明治・大正・昭和初期をみれば、日清戦争・弟を失った日露戦争・第一次世界大戦と戦争続きだったし、関東大震災も起きている。悲しいまま、苦しいまま、嫌なまま、できることをやって生き尽くしていく他はないのだ。事実を曲げて悲しくないように・苦しくないように・嫌でないようにすることはできないし、そのような不可能の努力はしなくてよい。

 今、私たちも新型コロナウイルス肺炎問題のために不安定な状況に巻き込まれてしまっている。その中で事実を認め、できる工夫をして、生き延びて行こう。

2020年3月 5日 (木)

神経質礼賛 1723.番号での呼び入れ

 外来患者さんを診察室に呼び入れるのは、主として外来担当の看護師さんだった。私の場合は、看護師さんに頼まずに自分でドアを開けて呼び入れることが多かった。それだけのことで得られる情報がある。呼んだときの表情や反応は大切な情報であるし、歩き具合から薬の副作用はないかチェックできるし、普段は診察室に入って来ない人と一緒にいると御家族かな・それとも付き合っている人なのかな、などと考える。長年、そんなスタイルでやってきた。

 昨日から急に患者さんの呼び入れは診察机の上のボタンを押してマイクを使って名前でなく番号で呼ぶことになった。以前から患者さんのプライバシー保護のために番号呼び入れにしようという話はあったけれども、あまりに急なのでとまどっている。患者さんたちも慣れていなくて、番号で呼んだだけでは反応がなく、結局ドアを開けて近くへ行って合図して知らせるといった具合である。

 私自身が患者として行っている市立病院内科だと、チャイムが鳴って新たに呼ばれた患者さんの番号が診察室入口近くのディスプレイに大きく表示される。そのディスプレイは普段は、一画面に外来担当の医師ごとに診察中・次の患者さん・さらに次の患者さん・そのまた次の患者さんの番号が表示されているから、待ち状況が一目でわかる。まだ時間がありそうならトイレに行ってこようか、売店やキャッシュコーナーへ行ってこようかということもしやすい。もっとも、プライバシーという点ではあまり意味がない。というのも、診察が終わってから会計票などを渡される際には看護師さんから大声で名前を呼ばれるからである。それだけではない。患者さんの取り違い防止のため、検査や診察前、会計窓口、いろいろな場所で何度も何度も名前をフルネームで言わされるから、近くにいる人には名前を知られる可能性がある。番号化すればプライバシーが保護されるという単純な話でもなさそうだ。

2020年3月 2日 (月)

神経質礼賛 1722.デマとパニック

 昨日、たまたま液体洗剤を買いにドラッグストアへ行ってみると、入口に「マスクは完売しました。次の入荷は未定です」という看板が立っていた。普段ならばトイレットペーパーやティッシュペーパーが入口近くに高く積み上げられているのがなくなっていて、店内にもない。東京周辺ではさらに米や麺類も店舗からなくなっているという。当地ではまだそこまでひどいことになってはいない。

 突然、独断で総理大臣が新型コロナ肺炎予防のため全国の小中高とも学校を休校するようにと言ったため、社会不安や混乱が起きている。幼稚園や保育園も同じ対応を取らざるを得ない。幼児を幼稚園・保育園に預けたり小学生を学童保育に預けながら働いておられる女性たちは困惑し、その職場も要員確保に苦労している。アメリカではCDC(アメリカ疾病予防管理センター)という感染症対策の専門組織があって、専門家がきちんとした見解を発信しているが、日本にはそうした組織はなく、医学に関しては全くの素人の政治家が記者会見をして、見てくれだけの「やってる感」「スピード感」を演出するために先のことは考えずにその場限りの出まかせを言うから混乱が起きやすい。現代は口コミよりもSNSなどを通じてデマが短時間に広範囲に流れてしまう。トイレットペーパーやティッシュペーパーが中国から入らなくなっているなどともっともらしい話を聞いてパニックになった人々が店に走って買おうとし、その話をSNSでさらに拡散させて悪循環になっていく。実はトイレットペーパーもティッシュペーパーも大部分が国産品であり、メーカー在庫も十分にあるのだ。学校が休みになって給食がないから、ある程度は米や麺類や冷凍食品の需要は増加するだろうが、これまたメーカーや問屋の在庫が十分にあるはずで、あわてて買いに走る必要はない。

 神経質としてはそうしたデマに惑わされないことだ。そして、普段から用心のために災害対策も兼ねて日用必需品はある程度ストックしておくことが大切である。

2020年3月 1日 (日)

神経質礼賛 1721.ヴィオラ三昧

 NHK-FMでは祝日に「今日は一日〇〇三昧」という特集番組を放送している。先週の月曜日、天皇誕生日の振替休日、新聞のラジオ番組欄を見たら午後から「今日は一日ビオラ三昧」という番組が入っていて驚いた。地味で目立たないヴィオラが主役の6時間半番組というのはすごい。新天皇陛下がヴィオラ弾きであることに敬意を払ってのことだろうか。あいにく世間の3連休と反対に私は3泊4日当直勤務だったので、病棟からコールがあって出向く時が何度かあって、全部は聞けなかったが、実に面白い番組だった。

 ゲストは東京フィル首席ヴィオラ奏者の須田祥子さん、慶応大学教授で音楽評論家でもある片山杜秀さん、そしてアナウンサーの武内陶子さんという顔ぶれだった。須田さんによれば、ヴィオラ弾きは「常識が服を着て歩いている」と言われるのだそうだ。気配り上手で人と争わず、脇役に徹してじっと待つことのできる人といったイメージである。まるで陶冶された神経質性格のようだ。アマオケでは「嫁さんもらうならヴィオラ弾き」という話もチラホラ聞く。しかし、須田さんは強烈なヴィオラ愛に溢れた人で、「打倒ヴァイオリン、打倒チェロ」のスローガンを掲げて、テンポよく楽しいトークを披露しておられた。時代を追ってヴィオラが活躍する名曲の紹介、名ヴィオラ奏者の演奏を紹介していくとともに、須田さんがオーケストラ曲のヴィオラパートを弾いて、何の曲か当てるクイズもあった。クイズではベートーヴェン交響曲第5番「運命」の第4楽章冒頭の強烈な「キザミ」、ブラームスのハンガリー舞曲第5番では「後打ち」や「合いの手」、スメタナの「モルダウ」では「うねり」の表現が出題され、いずれもヴィオラが隠れた大役を果たしていることに改めて気づかされた。さらに世界的なヴィオラ奏者今井信子さんのインタヴューと演奏、そして、最後は須田さん率いるヴィオラ奏者だけのグループ「SDA48」によるヘビメタ演奏とバッハのブランデンブルク協奏曲第6番の演奏だった。

 ヴァイオリンに比べて数が少ないヴィオラ曲の楽譜は私もいろいろ集めていて、パソコンに入力して伴奏音源を作ってそれに合わせて弾いているけれども、今回の放送で今まで知らなかった名曲と出会うことができてうれしかった。ヴィオラ曲の「エレジー」というとヴュータン作曲のものが有名であるが、グラズノフ作曲のエレジーが紹介されていた。なかなか美しい曲である。さらに、ヴュータン作曲のカプリッチョという無伴奏ヴィオラの曲もいい曲だった。この曲の楽譜はネット上の楽譜図書館のペトルッチライブラリーで見ることができる。楽譜は2ページと短い。当直勤務が終わって帰宅して家の用を済ませてからヴィオラを引っ張り出して最初のところを弾いてみる。練習すればいけそうだ。私のヴィオラ三昧はこれからである。

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