神経質礼賛 1724.不安定即安心
標題を御覧になって、「不安心即安心」の間違いではないか、と思われた方もいらっしゃるかと思う。不安心即安心とは208話に書いたように、不安であってもじたばたせずに仕方なしにやるべきことをやっていけば、しだいにそれは消褪していく、ということであり、よく使われる「森田の言葉」の一つである。それとは別に、森田先生は不安定即安心ということも言っておられる。
「不安定即安心」という事については、不安定とは客観的の日常の事実であり、安心は主観的の想念である。風や、寒さや絶えず変化する事が日常の不安定の事実であり、これをその事実ありのままに見る時に安心があり、いやな事苦しい事をも、ことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤が起こり、余のいわゆる思想の矛盾が起こり、強迫観念が起こり不安心が起こる。すなわち余はただ「事実唯真」という。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.26)
これは昭和5年1月に行われた第2回形外会での御発言である。気候の変動ばかりではなく身の回りでは大きな出来事が起きる。その昭和5年に一人息子の正一郎が病死し、さらにその5年後には妻の久亥が急逝する。社会情勢も大きく変化し続ける。森田先生の生きた明治・大正・昭和初期をみれば、日清戦争・弟を失った日露戦争・第一次世界大戦と戦争続きだったし、関東大震災も起きている。悲しいまま、苦しいまま、嫌なまま、できることをやって生き尽くしていく他はないのだ。事実を曲げて悲しくないように・苦しくないように・嫌でないようにすることはできないし、そのような不可能の努力はしなくてよい。
今、私たちも新型コロナウイルス肺炎問題のために不安定な状況に巻き込まれてしまっている。その中で事実を認め、できる工夫をして、生き延びて行こう。
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