神経質礼賛 1738.うれしい便り
1月末に退院した方から手紙が届いた。茶話会でチョコレート餃子(1699話)を作った方である。大学病院で森田療法を受けておられたが生ぬるい作業が合わず、途中でやめて三島森田病院に入院された。精神科薬は一切飲まず、本当に一生懸命に作業に打ち込んでおられた。1月の寒い夕方、5時を過ぎても病棟に戻っていないので、捜しに外へ行ってみると病院前の歩道の枯葉を一人黙々と掃いている彼の姿があった。予定通りピッタリ3か月で退院することになったけれども、やはり退院前は不安な様子だった。「まだよくなっていないのではないか」「会社に戻ってちゃんと仕事ができるのだろうか」そんな思いが彼の頭の中を去来していた。私は山野井房一郎さんの話(1719話)を例に出して彼の背中を押した。彼ならば必ず突破してくれるだろうと信じながらも気にはなっていた。手紙によれば、退院されてすぐ産業医と面談して半日勤務から徐々に勤務時間を延長し、3月中旬からはフルタイム勤務に復帰したとのことだ。奥様からの手紙も入っていて、入院前と比べて見違えるように明るくなったと書かれていた。彼は私にとって最後の入院森田療法の患者さんである。本当にうれしい。
こうした治療ができていたのも森田療法の本質をよく理解した看護スタッフさんたちのおかげである。とりわけ長年にわたり作業指導にあたってこられた山代記美男さんの功績が大きい。元々は看護助手として閉鎖病棟の患者さんたちのお世話をしておられた。時には興奮して暴れる患者さんを体を張って抑えていた。まだ作業療法士もケースワーカーもいない時代に作業療法に携わりレクリエーションを企画したり患者さんの外勤先を探してきて退院への足掛かりを作ってくれたりと八面六臂の活躍をされていた。患者さんと職員の合同での他の精神科病院とのソフトボールの試合にも出場していたことを思い出す。田原あやさん(84話)が亡くなられてからこの四半世紀、三島森田病院の森田療法を支えてこられた。心から御礼申し上げたい。
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